名物茶屋で休む弥次喜多
食い意地の張った二人は適当なところに茶屋があるとすぐに一服を入れる。特に名物茶屋となると見逃しはしない。酒を注文し名物に舌鼓を打つ。
ここは鞠子の宿、とろろ汁が名物である。どっかと腰を下ろし、おかわりを注文している。歩きの旅でこれではなかなか先へ進まない。
御油の宿場は強引な客引き女、留め女という。
今ではこのような強引な客引きは禁止されているが、江戸時代は当たり前。このあたりの客引き「留め女」は名物になるくらい有名だった。
右と左の宿から出張った留め女に左右から引っ張られ袖が引きちぎたりする。真ん中の男は襟をつかまれ引きずられようとしている。こうなったら逃れるのは難しい。
ずいぶんと不美人だが、夜ともなると留め女はコッテリコンと白粉をつけ、没個性的な白塗り女「飯盛り女」(宿場の宿が抱える売春婦)に早変わりする。こちらの手練手管も強引であろうと推理される。
「旦那さん!はよう、済ましてや~」
「いらんことせんと、さっさと入れて抜いてんか!」
などとえげつないこと言われて追い立てられたんでしょうな。
多くの旅人相手でさっさと数をこなし、儲けるのが彼女の仕事。といっても今ほど高くはない。まあいわば薄利多売か。
この右の窓から顔をだし頬杖をしてる女、ちょっと美人ですなぁ、留め女のすごい顔と比べてもね。多分、留め女のような肉体労働兼任の売春婦でなく、専門の売春婦かもしれません。芸者かもしれませんね。
赤阪の旅籠の内部
当時の旅籠のサービスがすべてそろった場面です。
飯、風呂(左の廊下の突き当りであろう、これでは見えていないが、いま喜多さんが手拭いを肩にかけた湯上り姿でいるので風呂上りとわかる)、あん摩(盲人とわかる按摩さんが入ってきている)、そして右の部屋では飯盛り女(売春婦)がいる。弥次喜多の相手であろう。
この時代、旅籠に泊まるくらいの金のある男は夕飯を食べるような感覚で毎夜、宿場ごとに売春婦を買うことは一般的であった。
売春が違法となったのはたかだか昭和34年以降である。江戸時代は買う方も売る方も不道徳をやってるなどとは微塵も思わなかったはずである。
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