早朝、持病が少し出たが、幸い緊急外来のお世話にならずに治まって。
ホッ
でも、おかげで寝不足。おまけに年齢のせいか、寒さによるものなのか、足、腰、肩が痛くもあるような、だるくもあるような、何とも言えない不快感が一日付きまとった。
こんな日は、天気もひどいもので、家から外へ出たとたんにぱらぱら雨に降られ、急いで傘を取りに戻り、歩き出したが、風もあり、曇って寒く、先ほど少し濡れた顔や手が刺すように冷たい。
お米がないので買いに来たが、スーパーも入っているショッピングモールの中は結構暖かいので、ベンチに腰掛ける。睡眠不足か手足のだるさが頭にも上ったのか、あたまがぼんやりして、
うとうと、そしてしばらくだが昏睡。はっとして目覚め、目的の
買米にスーパーの中に入る。
「糴」 なんかすごく難しそうな字ですね。大昔、通信教育で日本史の勉強した時に出てきた不思議な文字を思い出しました。
これ1字で、「米を買い入れる」という意味になるんです。読み方は、テキ、または訓で、かいよね。(米、よねを買うから)
で、やまさん、スーパーで、糴す。
平成の大御代に生まれた喜びを感じなければなりませんね。貧乏人のやまさんでも食べようと思えば、毎日でも白米が食べられます。
今から100年にもならないちょっと昔、米が買えなくて米騒動が起こりました。昭和の初めの頃も白米飯は贅沢。「おしん」では大根飯でしたね。昭和30年代でも首相が
「貧乏人は麦を食え」って言ってました。やまさんの子供時代は米と麦の混合飯を食べてました。
ずっと昔から日本人は米の飯が食べられることが食生活の究極の目的でした。つい50年ほど前までは、これが夢であり、希望でした。
「ああ、米が買え、毎日、おまんまが食べられてありがたい。」
ちょっと昔の日本人ならそう思ったでしょう。
そんなふうに思えば、米を買うことに特別の感慨が湧いてきます。
貧乏人のやまさんは、安いコメを買うべきなんでしょうが、貧乏を体験したある人が
「米は、少し高くてもおいしいコメを買う方がいい、なぜなら、おいしいコメだといろいろなおかずなしでも食べられるから、結果、安くつく。」
と聞いて無理して銘柄を買うことにしてます。
ぱんぱかぱーん。華は越後の~、新潟こしひかり、を買いました。
5キロ袋をかかえて、撫でるとちょっとジーンとします。
歴史上、このコメは、ただの食糧ではなく、富、しあわせ、金銭、だったのです。
とはいえ、今日は白米を炊飯しませんでした。手作りのコロッケを5つもらい、それで腹が膨れました。足りない分はスパゲッチを解凍して食べます。うちの家でもコメの消費は落ちてます。
追伸
「糶」これ上の字と少し違います。こちらの意味は、米を売る、という意味になります。チョウ、と読みます。
3 件のコメント:
一日、ぼんやりして充実とは程遠い、密度のうす~い人生のページを重ねました。
夕方、吉野川ハローワークへ相談に行く。たびたび世話になった優しい親切な人で気持ちがなごむ。
あす、徳島での就活セミナーに出席する段取りをつけた。やる気、活力をもらってきます。
僕も明日、気になる求人をもう1件応募します。お互い頑張りましょう!
お会いできるんですね。すごく、嬉しいです。お気をつけて徳島へいらしてください。今日は、あまり求人がなく、気持ち画へこんでましたが、お会いできる事になり、気持ちが明るくなりました。
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