みなさん、お風呂へ入ったとき、ちょっと腕をみてください。皮膚になにか痕跡は残っていませんか。いえ、傷痕とかではなくて。
私には薄くなったけど右腕に十円玉大のが2つ、左腕には小豆粒大のが2つ痕跡があります。これは疱瘡の接種あとなんです。わたしら子供の時は、じいちゃん、ばあちゃん含めてみんなこの疱瘡接種あとがありました。子供のうちに何年か間をあけて2回(幼稚園と小学校高学年かな?)全員が強制的にしましたから、学童期以上の国民はみんなこの痕跡があったとみていいでしょう。
しかし、いつの頃からか疱瘡接種もしなくなったみたいで、若い人にはそんな痕跡もない。みんなつるっとしたきれいなもんです。なんで、昔は、わざわざ一生残るような痕跡を強制的につけたのか。その疱瘡接種の意味もしらないでしょうね。
一緒に温泉なんかに浸かっていると、
「年配の人って、腕にみんなおできの跡がある人が多いね。」
ぐらいにしか思ってないのではないでしょうか。
今はもうかえりみられない、ちょっと醜い痕跡をとどめた疱瘡接種。しかし、近代においてこれが発見されたときは、人類にとって福音でした。
もし、疱瘡接種(以下、種痘を使う)がなければ、今生きている日本人の数代前の祖先は、多くが乳児・幼児期に死亡し、多くの日本人がこの世に存在していなかったことになります。それくらい大切な種痘だったのです。
「あばたもえくぼ」という慣用句があります。好意を持っていて、ひいき目にみると欠点も美点に見えるという、昔から言い古されてきた句なんですけれども、みなさん、ちょっと考えてみてくださいよ。そんじゅそこらにあばたっています?せいぜいニキビ跡でしょう。あばたというにはね程遠いし、これは違いますよ。
ほんとのあばたは、疱瘡(天然痘)にかかり、なんとか一命をとりとめたが、ひどい痘疹の後遺症のため皮膚が醜く、月の表面のように凸凹えぐれたり、ひきっつたりしたものなんです。だから、今の人で、あばたがある人は皆無といっていいでしょう。
実は、私の曾祖母は私が5歳まで生きていたんですけど、この疱瘡によるあばたがありました。なくなったとき86歳ぐらいだったから、1870年頃の生まれです。明治のごく初期、田舎にはまだ種痘が普及していなくて、幼児期に罹ったのだろうと思います。
今、鳥インフルエンザ、そして人間のインフルエンザも流行してますね。伝染性であっという間に広がり、恐ろしい症状をもたらし、時には、多くの人の命を奪う。疫病といい、最近はパンデミックとも言われています。
人類史上、もっとも最強、最悪な疫病は、この疱瘡(天然痘)ではなかったかと思われます。私も、本の受け売りだから断言はできませんが、まず、免疫抵抗力のない人が接触したら(空気、接触で伝染する)100%罹る。そして、大流行の場合によって差はあるが、罹患者の半数以上が死亡する場合もある。まったく処女地である新大陸にこの天然痘が持ち込まれたとき、原住民の一種族が全滅したといわれています。
それは日本でも同じことでした。江戸中期以後日本の人口は増えないんですが、原因として、間引きや堕胎など出産忌避とならんで、幼児の天然痘による死亡が大きかったのではないかと思っています。
先日、文化の森の文書館の資料に次の古文書の一文を見つけました。これは名西郡高原村の元木家の1808~1860年、江戸後期、の日記の中に書かれてある幼児の天然痘による死亡に関する文です。
『疱瘡追々流行仕、国中都ておもく村ニより七歩死半より三・四歩、当郷忠吉娘磯吉娘十二相果申候』
天然痘が大流行し、村によっては子供の70~30%も死亡したことが記録され、身近な近所の娘であろう、2名が死んだことも書かれている。
生まれて大人になるまでの間にかなりの確率で天然痘で死亡したのである。疫病による幼児のこのような大量死が人口が増えなかった大きな原因であるのもうなずける。
やまさんの推理では、当時、疱瘡(天然痘)はかからざるを得ない通過儀礼のようなものだろうとおもわれるのです。(わたしが子供の時は、はしかなんかはまだそうでした)、そして死亡率が高いため、半数、よくて2~3割は、疱瘡のため死神に取っていかれると人々も考えたんじゃないかなと思うのです。
昔は子供も全員育つ可能性が低かったので、我々は今よりたくさん子供を作りました。そしてやはりその中の何人かは、疱瘡や他の病気で死にました。多くの兄弟のなかでそのような運命を背負った子供を、「死に坊」と呼んだりしてました。悲しい話です。
こどもならだれでも通過し、それが命の別れを決める疱瘡。その宿命に福音が現れます。疱瘡の撲滅につながる予防医療が幕末の長崎からもたらされます。英国のジェンナーによって始められた種痘です。驚くべき効果を発揮し、種痘を受けた子供で死ぬことはなくなります。
種痘普及と同じくして人口は大きく増加しはじめます。子供の疱瘡死が激減したのが大きな原因であろうと思います。
この種痘による幼児死亡の減少は、もっと知られていいと思うのですが、種痘も廃止になった今、関心を寄せる人もいません。
風呂に入ったとき、年配の人の腕にある痕跡を見て、人類最強・最悪の天然痘の恐ろしさ、そして種痘の恩恵を想いだし、今、私がここにいるのは、先祖が種痘によって生き延びたからかもしれないなあ、と考えてみてください。
幕末、徳島で初めて種痘を行った人
もちろん、長崎からこの技術を持ち帰った。
この間、眉山に登ったとき、麓にあったので撮った。
幕末、これによってどれだけの子供が死なずに済んだか。その子だけでなく、未来の子孫の我々まで。
恩恵は計り知れないほど大きいはずだが、
ひっそりと遠慮がちに石碑。訪れるひともいない。
3 件のコメント:
さっき8時前、夜のウォーキングをやってましたが、寒いこと寒いこと、雪も降ってきました。
昨日、わずか一合弱で悪酔い、朝の頭痛、そしてのどの調子もおかしい。わたし、酒はやはり体に合いませんわ。
初めてアルコールやったときはじんましんが出ましたもの。
人類はアルコールは飲めるのが一般的だそうです。ところが、満州か東シベリアか、太古(大大大昔)にアルコールの分解酵素を持っていない突然変異の人がポッと一人現れた。そのDNAが代を次々重ね、広がり、その直系がやまさんです。
だから、ホントの下戸は東アジアに集中。
ということは、体質的な下戸は、やまさんの遠い遠い親戚ですよ。だれかな。
昨日は、ほんとに寒くて、母が、松山から、バスで帰ってくるので、夜18時頃、迎えにいきました。霙のような雪が、降ってました。
YAMASANウオーキングされるんですね。
身体には、いいと思いますが、今年は、ほんとに寒いので、お気をつけて!
僕は、ハローワークに行くのも、自転車は止め、クルマを使っています。
この方は、長井長義さんと
つながりのあった方ですか?
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