2011年1月7日金曜日
五節句
君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪はふりつつ
百人一首に入っている光孝天皇の御製である。
その年の早春、はじめて野に出でた野草、その中でも食べられたり、薬になったりした草である。その若菜を摘み、誰かに送ることは縁起の良いものとして喜ばれ広く行われていたのであろう。しかしまだ春浅く、摘んでいると雪が降ってくる。その情景を歌に詠んだものである。
今日は五節句の一つ、人日の節句である。一年最初の節句である。一般にはお正月の祝いの最後、七草粥を縁起物として食べることで知られている。豊作と無病息災を願い食するのである。
この五節句の行事が行われるたびに、私は不満に思い、どうにかならぬものかと思うことがある。ちなみに五節句はこのほか、皆さんよく御存じの桃の節句、端午の節句、七夕の星祭り、そして重陽の節句(菊花の祭り)がある。それぞれ3月3日、5月5日、7月7日、9月9日と陽数である奇数が重なる日になっている。
はっきり言って、太陽暦でやるのにはかなり無理があるのである。ちょっと皆さん思い出してください。3月3日に桃の花を、5月5日に菖蒲やアヤメを。9月9日に菊を手に入れるのは難しくありませんか。これらの花はこの時期まだ咲いていません。季節にして40日ほど早いんです。また、7月7日の七夕、星祭なんですけど、太陽暦ではこの頃は梅雨の末期、集中豪雨が多発する時期で、澄んだ夜空とはもっとも縁遠い時期です。これも40日ほど後へずらすと8月の中旬、大陸から初秋の澄んだ空気がもたらされ始め、好天が続きます。
これを旧暦でやるとすれば、30~40日後にずれますからちょうどぴったりします。というか、もともと五節句の行事は旧暦から外れてやること自体、おかしくて、旧暦の行事なのです。だから、太陽暦で五節句をやることは全く間違いといっていいのです。
しかし、多勢に無勢といいますか、新暦以外は梃子でも受け付けぬその筋、大きな影響力をもつマスコミも新暦で、桃の、端午の、七夕の節句と大はしゃぎでがなりたてます。たまに申し訳程度に、ほんとは昔は旧暦でしてましたとコメント。
そうじゃないってば!旧暦でしなければ間違いだっちゅうの!
こんな私の意見なんか聞く耳もちませんよね。でも平気で季節感のない五節句を新暦に継ぎはぎし祝うのは、どう考えてもおかしい。もっと文化を大切にしてくれないものかと悲しくなります。
人の脳は右、左と別れ、機能的にも気質的にも複雑です。不合理なもの、感覚でなければ説明できないもの、そしていくつもの違った概念が同時に認識できます。新暦と旧暦を共存させて用いることはなんら難しくはないと思うのですが。
今日もTVなどでは人日の節句、七草粥、と行事を取り上げるでしょうが、春の七草にはまだまだ早いのは、先に言ったとおり。
新暦では2月9日が、ホントの節句です。この頃になると気温はまだまだ低いですが光の強さから春は訪れ、柔らかい七草も野に出始めます。
昨日、ニュースで七草パックを都市部へ出荷している農家をやってました。季節的にははやいので促成栽培なのでしょう。縁起物だから高く売れるとのことでした。
七草粥は縁起物といって、わざわざ高価な七草パックを手に入れてまで粥を作り、食べる人がいますが、野草そのものの七草がおいしいはずもありませんし、消化にも悪いです。パックを売る人に文句を言うつもりはありませんが、伝統ということで、江戸の人々は、この七草粥をどのように作ったか、紹介しておきます。
縁起かつぎの信心深い江戸の人でも、粥にほんとに七草など入れません。
ナズナだけほんの少し入れ、主は小松菜を入れて食べてました。
まったく間違った時期にやるにもかかわらず、馬鹿正直に江戸時代の人でも入れないような七草を入れて、「縁起もんじゃ!」と食べてる人を見たら、江戸の人は笑うでしょうね。
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2 件のコメント:
夜ごはんは、七草粥と全く縁のない、スパゲッティーミートソース、昨日、スパゲチを分量考えずたくさん茹ですぎて、2日続けてのスパゲチです。
縁起ある食べ物とも、バランスのとれた栄養ある食べ物とも縁遠いやまさん、冥途への道をまっさかさま。
スパゲティは大好きです!
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