2011年10月20日木曜日

ありがた~い真言

 もともと仏教は教え諭し、心の平安を得るのに重点を置いていたはずである。
 意外な気がするが仏教の開祖といわれる釈迦は、死んだらあの世へ行くなどとは言っていない。また、病気や苦痛を取り除く呪文やまじない、奇跡の類も行っていない。

 人の正しい生き方、心のありようを常に説いている。この意味では仏教は宗教というより人生哲学に近い気がする。よく耶蘇教の坊主が仏教批判として指摘するものである。
 その教えをまとめたもの、普通の人ならばそれは『論』(論文・論じた言葉)になるが、釈迦の場合は『論』とは言わず、それを『経』という。

 だから『経』は漢文で書かれていて我々にはチンブン漢文だけれども言葉を連ねた論理が一貫して通っており、難しいけれど理解すれば言わんとする意味はくみ取れる。

 しかしこのような『経』による理解は難解だし、正しい生き方、心のありようをを求める初期仏教はよほど高い修業・学問を積んだ人でなければその実践さえも難しいものになる。

 高度で深遠な教え『経』とは別に、すぐ御利益があるような「祈祷・呪文」が欲しくなる。
 そして仏教にそのような「祈祷・呪文」がとりいれられたとき、我々のような凡夫は、有難い!といって飛びつくことになる。
 なにせ呪文・祈祷で苦痛を除去してくれるならこれほど手っ取り早い方法はない。
 日本においては平安初期、空海によってこのような呪文祈祷の作法の方法がもたらされた。

 真言密教である。

 経と違いたぶんインドあたりの土着の言語、今となってはよく意味の分からない言葉の羅列、それだけに一層ありがたみのありそうな「呪文」、これを「真言」というんだけれど、唱えることにより、願いが成就するのである。

 今日、ある本を読んでいるとその「真言」(呪文)の中で最強の「真言」を見つけました。
 「光明真言」です。次のようなものです。
『オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン』

 最近、私も含めてだけど我々の仲間によくないことが起こっています。
 今日の楔さんのブログにも悩み多いことが書かれてました。
 そこで今日はこの最強の真言を三遍となえ、皆さんの無病息災、苦痛除去を御祈祷することにしました。

 皆さんもよかったら三遍となえてみてください。

 

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