夕方、DVDを返しに行ったついでにちょっと自転車でわが町の南の山麓を走った。
軽四のバンが追い抜いて行ったが10メートルくらい行って急に道の左側に停まった。周りは畑や果樹園であったから、ちょっと不思議だったが、まあ、何か用事があって停まったんだろうぐらいにしか思わず、横を迂回しながら、行こうとした。
運転席の横をすり抜ける前に、ドアが開いて70歳ぐらいの男性が降りてきて、
「〇〇先生、お元気ですか?」
呼ばれたことのない呼称をつけられて名を呼ばれたからびっくりしたが、見ると顔見知りである。
私は11年前、だから50歳ちょっと前、某定時制・通信制高校で一年間の臨時講師をやったことがある。その時の生徒さんであった。
臨時講師だったがなぜかクラス担任もやらされていた。その受け持ちクラスの最高齢の生徒であった。その時でも60歳は過ぎていたと思う。
非常にまじめな生徒さんで高校の性質上頻繁にレポートを出さねばならないのだが、いつもきっちりした内容のレポートを提出され、着実に単位をとっていた。
一年しか生徒と先生というお付き合いしかなかったが、その後、何年かに一度お会いする機会があると、必ず丁寧なごあいさつをしてくれる。というのもこの方、我が町のこの南山の向こうのK町にお住まいだから、私が南山の麓を散策していて会ったのである。
それから道の端だったが15分くらいお話した。
今も通信制大学の聴講生、徳大の開放講座の受講生として勉強を続けているそうである。
そのバイタリティー、勉強への意欲には頭が下がる。
先生と呼んでくださったが、
「とんでもない、先生と尊称でお呼びしなければならないのはこちらの方である。」
なぜか、恥ずかしさがこみあげてくる。
お会いして、懐かしさ、そしてよくも忘れませずに車をわざわざ停めて声をかけてくださったありがたさ、とともに今の自分に自分自身で鞭打つような、最近にはない気持ちの高ぶりがありました。
最近の私の近況や何年も無職で過ごしていることなど話しても、それでもこの老生徒さんは、わからない勉強があったら私に聞きたいと、言ってくれます。
いくら私が歴史物が好きで、あらゆる人生の状況に江戸時代のシュチュェーションを当てはめ、妄想好きでも、こんな古き良き時代のかっての師弟の再開の場面を現実には想定していませんでした。
この一週間は私にとって上下の起伏が大きくなるような出来事が続きました。今日の事はかなり気持ちを揺さぶられる事ではありましたが、何か心にジーンとくるものがあり、暖かい気持ちで満たされました。
お別れにあたって、いま化学の勉強でちょっと苦労なされているとのことでした。ちょうど私のリュックに知人が国家試験を受けるので差し上げようと、ブックオフで買った100円の化学の解説本があったので、僭越ではありましたが、よかったらこれを参考にしてくださいと差し上げました。
本当にこの方の前向きな熱意には頭が下がります。
いつまでつづくかわかりませんが私も
「がんばらにゃ、いかん!」
0 件のコメント:
コメントを投稿