昔は、サツマイモを茹でて干した「ゆでぼし」、干し大根、干し柿、そして餅つきが終わると、おかきやあられにするため薄くスライスしたり、短冊状に切ったお餅を干した。保存がきくし、また食料の乏しい季節には主食の代わりともなる。間食やおやつにも食べられた。そのため、どこの農家でも大量に作られ、これら乾燥させる食物を軒下に吊るしたり、はしご状に作られた桟に並べられ、家のぐるりを取り囲む光景は珍しいものではなかった。
しかし、最近は農家でもこのように多量に乾物を作ることはなくなってきた。食生活も変わり、嗜好も変化したのであろう。ただ、干し柿だけは量は昔ほど多くないが、軒先に吊るされ干されている。
散歩をしていると赤みががかった飴色と呼んでいいのだろうか、ほんのちょっと半透明になり、適度の硬さとしわ、そして白い粉が吹いた吊るし柿を見る。軒に干されているのは私の子供時代と同じだが、昔と違い藁しべでなく白いビニールの紐で吊るされているのが時代を感じる。
干し柿は甘味の少なかった時代、おやつ、間食として食べられ、料理の食材としてはあまり用いられなかった。
今日、江戸時代にこれを食材として用いた簡単なレシピが書いてある本を見たので(江戸時代の暦の余白にメモ書きのようにかいてあるので、詳しい調理方法はない)、以下、紹介します。おいしそうに思われた方は作ってみてはいかがでしょう。
豆腐と干し柿の白和え
よくしぼって、水気を取り、裏ごしした豆腐と、短冊切りにした干し柿をまぜ、塩少々で味付けする。
なます
① 大根と人参をそれぞれ千切りにして塩少々をふりかけておく。
② ①がしんなりしたら、さっと水で洗い、よくしぼる。
③ ユズの皮少々と干し柿を千切りにして②にまぜ、砂糖、酢、みりんをかけ、よくまぜあわせておく。
数日おいたほうがおいしい。
わが町、吉野川市には霊峰、高越山があります。昔、この山で農家の人の副業で高野豆腐、(高野山でないから、高越豆腐というべきか)を作っていました。
これも冬の山の氷点下の気温を利用して凍り豆腐を作り、乾燥した風、天日で乾物に仕上げました。
高野豆腐も干し柿のように軒下に吊るし作られていたのです。若い人は思いもかけないでしょうね。
信州では同じような原理で寒天も作られました。他、シイタケなんかも。
昔は町に一軒は乾物屋さんがあってこれらの商品を専門に扱い小売してましたが、今は絶滅状態、若い人が知らないのも無理ありませんね。
2 件のコメント:
>>Whoちゃんへ
従弟の結婚式、偶然今日、テレビでみましたよ。どうしてどうして、MOTOさんに似て、ハンサムではありませんか。
お顔、しゃべり方なんかも似てますね。映像で見ると確かにすばらしいお式でしたね。
干し柿は、都会では見られない光景ですね。
おこうつぁん なつかしいです。
山川少年自然の家
小学校5年・中学校1年の時に行きました。
おこうつぁんに向かって、叫ぶと山びこが・・・
高越豆腐 美味そうです!
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