2010年12月4日土曜日

桜散る木下、銀杏の枯葉舞う下、そして涅槃

 もうバカバカしいことだが再び自転車を徳島に向かって運んだ。初めから置いておけばいいものをつくづく見通しのない日々を送っているなと思う。
 一日で運ぶのは疲れるから今日は国府まで乗って運んだ。
 私の場合自動車を持ってないので足は自転車か列車になる。吉野川での就活は限られたものであるし、また働く中心はやはり徳島、そんなわけで佐古までの定期とマイ自転車を組み合わせ就活の足にしようと考えた。
 とりあえず昼に出発して2時半には国府の神社で休んでいた。
今日は昨日と違って午後は風もなく自転車に乗るには最適の天気。青空のもと昼過ぎでも赤っぽい柔らかな日を浴びてここ国府の神社まで来た。遠くの山がはっきり見えるくらい澄んだ透明な初冬の空気の中、境内には大きな銀杏の木から枯葉が舞い落ちている。
 真黄色になった銀杏の木は半分ほど葉をすでに落としており、地面は黄色い枯葉が覆っている。
 自転車を玉垣のそばに止め、銀杏の根方に坐る。はらはらと落ちる葉をしばらくぼんやり眺める。なんて静かで、平安に満ちた午後だろう。子供の声が遠くでしているから決して静寂ではない。が、ともかく静かで平安を感じるのである。
 私の心の中は静か、平安とは程遠いのにである。こころの苦悩、不安はどうしようもなくあるのに、一方、この根方に坐って享受している静けさ、平安はどうだ。透明な大気を通して日の光は直接私の顔にあたっているがそあれはあくまでも柔らかく肌を愛撫するように心地よい。風は全くないのに葉はひとひら、またひとひらと落ちていく。
 私の頭に涅槃という言葉が浮かんだ。難しい意味などは知らない。しかし、この静けさ、平安を感じながら今ここで生を終えたなら・・・・・・・・・・これこそ涅槃の境地で往生することではないのだろうか。
 ものみな凋落をしめし、枯葉舞う境内、すでに傾いた日を浴びながら、冬まで生きられぬ秋の虫のようにゆっくり動かなくなって生を終える。こんなことを夢見た詩人はいないのだろうか。
 ちょっと思いつかない、詩人にも秋好きと春好きがいるようで、私の好きな西行は、春、花散る桜の木の下で私がいうところの涅槃の境地になったようである。それは次の有名な和歌によって察せられる。
「願わくば 桜の下にて 春死なむ その望月の 如月の頃」
 西行さんはこちらが涅槃だったようで、じっさいその季節のおまけに望月の頃亡くなったそうですからすごいですね。ほんとの詩人はこうでなくっちゃ
 まあ、現実の幽体離脱はせいぜい15分くらいで、やがて国府駅の自転車置き場に自転車を置きに向かいましたわ。
 なかなか涅槃の境地で往生するのは難しそうです。
 

4 件のコメント:

yamasan さんのコメント...

犬も歩けば、なんとやら、ポン、キャインキャインと蹴っ飛ばされるかもしれませんが、定期を買って毎日、徳島へ行っていい話に当たるのを期待します。
 「盲亀の浮木、優曇華の花、艱難辛苦の甲斐あって・・・・」などと言いたいほど、いい仕事に当たるのは、めったにあり得ぬことでは、と思えます。
 みなさん、ええ話おまへんか。

てるゆき さんのコメント...

徳島で、就職活動されるんですね。僕は、今日、筒井製糸から、不採用の書類が着ました。yamasanは、毎日、何時ごろ徳島にこられる予定ですか?あと、合否は、わかりませんが、徳島郵便局で、うまくいったら、20日から、1月4日まで、夜中にバイトします。

WHOchan さんのコメント...

徳島での就活お疲れ様です。

その勇気ある行動がいい結果に結びつくといいですね。
応援してます。

ワンピースファン ルフィと仲間たち さんのコメント...

就活の為に自転車を、もう一度移動されたのですね。

あと、幽体離脱できるのですか?