さあ読もう
ワンピさんのコメントで長らく忘れていた長井長義の「長崎日記」をまた読み始めた。2~3ページしか読み進んでいなかった。ずいぶん前でもあるのでもう一度、最初の長崎へ向けての出発第一日目、すなわち1ページから読み始めた。
本文は明治以前の原文だから、古文になる。ところで、みなさん中高校の時、古文、好きでしたか?大概の人は好きなはずないですよね。あらゆる科目のなかで最も好感度の低いのが古典・古文じゃないでしょうか。私の高校生時代古文が好きな人はほとんどいなかったと記憶しております。そういうわたしも大っ嫌い。今から考えると、教師の教授法がまずかったのではと思います。
やたらと古典文法を押し付けがましく暗唱させ、古典嫌いを生産してました。「かろ、かつ、い、い、けれ。」だの、係り結びの「こそ、已然形」だの、なんたらかたら、これで古典が好きになる道理がない。大嫌いになって、高校卒業して終わり。のはずが・・・・・・・
歴史好きが嵩じて通信制大学へ、たっぷり史料の講読をしました。古典が読めなければ話にならない。で、まあ何とか史学科のビリッケツぐらいの読む力はつきました。
幸いなことに幕末のこの「長崎日記」は古文と言っても明治に近いだけに文体もかなり現代にちかいもので、比較的読みやすいものでした。
長崎へ出発
陰暦11月25日に徳島城下を出発。この日を今年の太陽暦に当てはめると12月30日、
初日、進んでいく道の景色はちょうど今頃の冬枯れ。
「ああ、いまの時期に出発したのだ」
と本からしばし目を離し、葉を落とした木々や刈田の跡を眺める。
同時期に追体験できるのもうれしいこと。ワンピさんがいまの時期に気づかせてくれたおかげです。
初日は朝、遅く出たこともあり、また、佐古あたりで知人を訪ねたこともあり、夕刻、現在の吉野川市・川島で泊となる。屋号、油屋何某、また紙屋何某に分宿したとある。機会があれば川島の郷土史家にどの家であるか、聞いてみたい。
この紀行文で長崎まで23日かかっている。彼は文学者ではないので、韻文、俳句、和歌、詩など紀行の中にないが、科学者だけに観察眼はするどく風物、特産品、地理、など今日読んでもよくわかるよう記載されている。また旅の間、求めたものの費用も書かれてある。これを見ると銀使いの単位であるようだ。匁、分、で勘定している。銀札の記述があるから銀札を使用したのか、あるいは藩をこえて一般的な豆板銀を使ったものか。ちょっとわからない。
私は若い時全国津々浦々渡り歩いたので、紀行を読めば大体どんなところか想像がつく。特にこの紀行は四国・九州の街道旅だから私は何度も行った経験があり、目に浮かぶ場所も多々ある。道後で彼は温泉に入るが、当時の湯船はどうだっただろうと、大いに想像力をかきたてる。阿蘇・内牧では寒気に苦しめられているが暖かな出で湯の記載はない。私が泊まったときはいい温泉がわき出て有名だったがこの時代は開発されていなかったのだろうか。
読んでいていろいろ興味は尽きず、想像もめぐらす。今日は20ページほど読み、いよいよ長崎の街に入ったところで、しおりを挟み本日分を終えた。
1 件のコメント:
いえいえ、たまたま長井長義さんが気になっていましたので
yamasanさんが、歴史など勉強家で
しかも、古文の本を手にされているのですから・・・!
また、教えて下さい。
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