竜馬との関係であるが、今のところ直接あったということは書かれていない。竜馬は長崎で亀山社中を発展させた企業集団、海援隊を創設するが、長井はこのうわさを聞き、どうも最初は山師的な集団とみていたようである。それ以外はとくに竜馬に対する詳しい記述はない。竜馬以外の土佐人においても長井にとって、長崎において同じ勉学の仲間ではあるが、阿波藩の藩費留学生としてライバル意識もあったに違いない。それだからであろうか、よきにつけ悪しきにつけ土佐人のことは日記に頻繁に書いている。もっともこれから読み進めば竜馬との密接な関係が浮かび上がってくるかもしれない。
長井は医学の留学に派遣されていたのであるが、日記を読むと医学より舎密、すなわち化学の勉強を優先させていたのではないかと思う。日記の専門的な記述は、圧倒的に化学の方が多い。
もっともこの当時、長崎に学ぶ最先端の西洋医学と化学は密接な関係にあり、最新の医薬は化学的知見によって得られたものであった。
古今東西、医薬は生薬であった。草本木皮が薬であったため有効成分は一部であり、また、成分は不安定でもあり、量も個々の処方によって違うのはやむを得ないものであった。
ところが西洋の医学は化学の進歩とともに、有効成分を純物として抽出に成功する。すなわち薬品の結晶状態にした分離である。これにより医薬は安定した効能を発揮でき、研究も進み、誘導体から別の医薬を開発することも可能になったのである。
この慶応3年から約60年ほど前、西洋の化学者たちはアヘンからモルヒネの単体結晶を初めて分離した。そして15年後にはマラリアの特効薬、キニーネの単体結晶、その後続々と。
これにより何ミリグラムの薬を飲めば、人体にこのような影響があると数量的に確かめられるようになったのである。このような科学的な方法こそが西洋医学が抜きんでて素晴らしいところであり、カンや目分量に頼る日本古来の医術と決定的に違うところである。
西洋でもこのような医薬の化学的な抽出、分離そして研究はまだ始まったばかりである。その最新の学問が長崎で勉強する舎密学(化学)である。
もちろん長井はこんなことを書いているわけではないが、コツコツと実験や薬品づくりに立ち向かっている姿を見ると西洋の科学的な方法に彼は確信をもっているのがわかる。
具体的な医薬品を製造したようなことは日記には書いていないが、基本的な薬品づくりや化学操作のことについてはかなり詳しく書いている。
みなさん、化学実験をするにあたってもっとも基本的な薬品は何が主になるか知ってますか?この薬品があれば他の薬品、試薬も作れるんです。昔はこの薬品の生産量が一国の無機化学工業のバロメーターだったんです。当然、日記の中でも彼はこれを作ります。
それは硫酸です。硫酸づくりが日記に書かれています。これがないと塩酸、硝酸作りも当時はできません。
また、ちょっと意外だったのは、(しかし当時の長崎を取り巻く情勢からすれば不思議ではない)、衝撃で簡単に爆発する火薬(おそらく信管や誘爆、爆裂弾に使用か)の製作実験をしていることである。大砲の火蓋に使うと書かれているがどのような使い方をしたのだろう。
少し専門的になるが、これを作るためには塩素酸カリウムが必要である。日記には炭酸カリウムの精製について多く書かれている。またマンガン鉱の精製についても書かれている。いずれも火薬の原料の塩素酸カリウムをつくるためである。
この他6月21日の日記には、当時の最新技術である電気めっきしたことを書いている。電池の製作、応用まで学習したのだろう。
薬品の取り扱い、さまざまな科学実験は多岐にわたり、かなり一生懸命取り組んでいるのが日記から伝わってくる。若い時にこの長崎で学んだことはこののちおおいに役立ち、エフェドリン抽出・発見という世界的な偉業に結びつくのである。
ここでちょっとエフェドリンについて説明します。これよくきくせき止めの薬でそのほかにも使われていたんですが、実はこの薬、今はかなり使用に対しては神経質になっています。それは覚せい剤とよく似た効能があるからで、覚せい剤の代わりとして悪用する人がいるからです。
でも、適当な処方で使えば今も素晴らしい薬には違いありません。
化学実験器具 |
1 件のコメント:
才谷 梅太郎で、名前が文中に出てくればおもしろいですね。
コメントを投稿