2012年5月18日金曜日
小史学習ノート 特別追悼編 ドナ・サマーさん死去
デェスコの女王といわれたドナ・サマーさんの死去のニュースが届いた。享年63、まだまだ花を咲かせられるだろうに、惜しい死である。ご冥福をお祈りいたします。
デェスコ音楽とはいったいなんだったのだろう?今朝、デェスコ女王の死去のニュースに接してちょっと考えた。
私の人生の音楽経験の中ではデェスコ音楽はかなり大きなインパクトを持ったものとして存在している。音楽というよりそれと一体化した映像に打たれた。27歳頃に見た映画『サタディーナイト・フィーバー』である。これによってデェスコ音楽を知った。LPを買ったり、友人に借りてテープに録画したりして、鑑賞のみでなく、今から考えたら恥ずかしい話だが、一人部屋でトラボルタした。もちろん我流の踊りである。
そのうち鑑賞や独り踊りだけでは満足できなくなり、デェスコにどうしても行きたくなった。といってもデェスコ文化から遠く果つる徳島の片田舎である。しかし時代の熱狂とはすごいもので、この徳島市にもデェスコらしきものが数件出来たという噂を聞いた。それで高校時代の友達を誘いいった。
中では確かに映画『サタディーナイト・フィーバー』のように光煌めき、音楽が流れていた。壁際の席を確保し、景気づけに友人と水割りを飲んでから、踊りに参加した・・・・・・・
これ以上は恥ずかしくて言えない。田舎のちょっととうのたった若者2人が田吾作よろしく麦踏ダンスをしたと想像ください。
それ以来2度と行かないし、デェスコ音楽に対する熱も冷めた。
でも挫折的な体験だったが、これも遅かった青春の一ページである。
※ なんで『デェスコ』なの?『ディスコ』じゃないの?とのご指摘、ごもっとも、でも、ど田舎の若者には洗練された音楽・踊りのディスコより、垢抜けせぬ肥し臭い、田舎盆踊り風のデェスコという方が似合ってますから、あえてデェスコにしました。
ウィキからデェスコ音楽の定義らしきものを引用した。(以下ウィキから)
『ファンクやソウルミュージックからの影響を含んでいる。音量の大きい反響するボーカル、一定のリズムを刻む4つ打ち、8分音符ないし16分音符刻みかつオフビート(アフタービート、弱拍)でオープンするハイハットパターン、そして突出したシンコペーションを持ち、時にはオクターブで成るエレキベースのベースラインの上で演奏される。ストリングスやホーンセクション[1]、エレクトリックピアノ、エレキギターが華やかなバッキングを創出する。フルートのようなオーケストラ楽器がしばしばソロに用いられ[2]、またロックと異なりリードギターが用いられることはめったにない』
ドナ・サマーさんの音楽動画も貼っておきます。
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2 件のコメント:
ドナ・サマーさまにおきましては、謹んで御冥福をお祈りいたします。
さて、ディスコですが、私の場合は逆方向のじっと静止する方に感心を持ったためあまり縁がありません。一応横浜とか徳島でも行きましたが、一回きりですね。それに身体の代謝が上がると老化が早くなるので要注意です。微動たりしない状態を極めるのもいいもんですよ。私は逆方向で極めることにします。(*^^)v
天才的なミュージシャンで短命な人が多い木がしますが、早く走りすぎたか、喜怒哀楽をその時までに一生分使い果たしたか、しんさまの言うように行動的すぎて老化が早くなったんか、どうなんでしょうかね。
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