2012年5月2日水曜日
よい子の科学 金環食
もうすぐ世紀のショー『金環食』が起こる5月21日が来ますね。最大の見せ場となる時刻は徳島では朝の7時30分少し前、お昼の太陽高度が高くなってるときがいいような気もするが、5月になれば日の出も早くなり、この時刻だと太陽高度は30度近いから見る高度としては(真上だと首が痛くなる)ちょうどいいかもしれませんね。
ただ、心配なのはお天気です。曇ったり雨が降ったら、たとえ何百年に一回の稀有な現象であっても見られません。こういうことに関しては天文・自然は非情ですね。
この日は月曜日、でもちょうど仕事の始まる前だから、多くの人はどこかで見られるはずですね。見逃すのはちょっと惜しい気がします。この徳島地域で金環食が見られたのは前回は1730年、江戸時代の享保15年、暴れん坊将軍吉宗の時代ですからかれこれ300年ぶりです。5回くらい人生を送らねば見られない現象ですから、是非、見ましょう。
さて日蝕の原理ですがこれはもう説明するまでもなく皆さん知っていますから、省きます。科学的な説明より、伝説・民話の方が面白いものが多くあります。
今日はその中よりインドの伝説をちょっとお話しします。
だからインドでは日蝕の光を浴びず、家に閉じこもったり、聖なる河ガンジスで沐浴をしたりするといいます。
日本では蝕に関してはこんな伝説があります。私のブログからですがご覧ください。
ここクリック
われらは日本人ですから日本の伝統を重んじ、『古事記』の言うようにおなご衆が
「胸乳(むなち)をかき出(い)で裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき」
して天岩戸前で古代ストリップショーをしてくれないかと、ひそかに妄想するのですが・・不謹慎でした。
徳島での金環食はこのようになります。
まず、金環食といっても次のような場合があります。
じゃあ、徳島の場合は?
徳島はBの方で、中心より少し偏りますが、真ん中にはすっぽり入る金環食です。
それではもう少し正確な時間を見てみましょう。
その日が近づくと日蝕グッズが売り切れたりしますから早めに、用意するといいですね。便乗で暴利をむさぼる輩が出るかもしれません。簡単手作り日食観測フィルタをご紹介します。(注意!直接太陽を見ないようにしてくださいよ!)
まずは、透明ガラスの小さな板、ロウソクを用意してください。下のようにして煤をつけます。濃さ、万遍なさ、は自分で調節してください。ろうそくの煤はキメが細かく、太陽観察のフィルターにはよいものです。
そんな用意ができない場合でも高価なグッズを買う必要はありません。黒のビニルのゴミ袋を手に入れましょう。シートを何枚か重ねればフィルターができます。
もう一つの天文ショーのお知らせ
来月の6月6日、今度はなんと!太陽を金星が横切るという大変珍しい現象があります。これは日食以上に少なく、およそ243年にたった4回しかチャンスはありません。
時刻は朝の7時過ぎから昼の1時半までかなり長いので、観察にはいいでしょう。
今回の日食フィルターで肉眼でも見られますが、金星は太陽に比べると小さいですから見える見えないは個人差があると思います。
太陽投射板が付いた望遠鏡ならゴマ粒のような金星が太陽面を通過するのが見られます。(肉眼では絶対見てはいけません)
※ちなみに太陽通過時の金星の見かけ上の大きさは太陽の30分の1です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
4 件のコメント:
5月21日が楽しみですね。
yamasanは始発で行動を起こせばお目当てのスポットに間に合うのでしょうか?
それとも前泊して同じ目的の人と意気投合するのでしょうか?
自分は夜勤明けになるので職場の屋上から見ることになりそうです。この世のキレイなもののすべてを見ようと思っている自分はゼヒ見たいものです。早起きの障害者を引き連れ。
皆既日食は実に素晴らしい天体ショー(というかあらゆる天体ショーの中で最高のショー)なので、ぜひぜひ見ていただきたいものです。
でも、古代から、インドやネイティブアメリカン、中国導師は決して日蝕は見てはいけないと、言われているそうですね。ディネ(ナバホ)のあるメディスンマンは「妊娠中の女性は、とりわけ妊娠三ヶ月を過ぎた女性は日蝕を見るべきではない」と発言しているみたいです。今回金環食できれいなリングを見た時に、婚約指輪を渡す予定のカップルがいて、もし妊娠していたらどうなるのだろう?
医学的にもブレーンダメージが大きく、いつその影響が出るかわからないとも聞いたのですが、網膜はもとより、脳への影響は明らかのようですね。
影響があるのか、ないのか、いいのか、悪いのか、どってことないのか、ちょっとくらいあるのかよく解らないですが、その人の中で何かが変化するみたいなので、いい方向に変化すればいいのではないでしょうかね。ヽ(^。^)ノ
>>MOTOさんへ
最近、朝は体調が悪く活発に動けませんから、現実にあのショーポスターにあるようにその場所へ出ていけれるかどうかわかりません。
それにしても最近のこの衰え、驚きます。あと5年は生きて人生の総まとめをしたいんですが、弱って何もできないうちに1~2年でお陀仏のような気がします。
ブログが途切れたら成仏したと思ってください。
>>しんさま
旧約聖書の創世記の最初は印象的です。
『光あれ!』
宇宙の創世も光が満ちるところから始まったと思われます。
しかし生物が生まれても何億年も「目」は持てませんでした。「目」という器官は何時頃からでしょうか。
目を持つことにより、もし、居合わせたらの仮定の話ですが、宇宙の創世も終末も認識・知覚できます。
その知覚の瞬間が宇宙すなわち認識主体の個の終焉でも。
「最後まで見とってやろう」・・・その瞬間死ぬのにね。
しょせんは愚かな宇宙の葦に過ぎないのにね。
見ることって、いったいなんでしょう。深く考えると・・わかりません。
(@_@)
コメントを投稿