例えば「古城」「中世の砦」「古代の城柵」、また武器類の「刀剣」「槍・鉾」「兜・鎧」「弓矢」「火縄銃」「大筒」など。
古戦場もよく整備され史跡に指定されている。「関ヶ原」などがそうである。
ところが近代以降の戦争の遺跡・遺物となるとこのような積極性が見られないような気がする。私の偏見を持った見方だろうか。近代とはいえ歴史的な価値あるものはちゃんと扱われていると信じたい。いや、それにしても近代の戦争ものの遺跡遺物の保存保護はお粗末である。
明治以降の大日本帝国に結びつくような戦争遺跡遺物は忌まわしいものとして葬り去ろうとしているのではあるまいか。
明治以降続いた大日本帝国は昭和20年に崩壊する。外国からは戦争責任云々といわれるが、この大日本帝国を作り運営したのは悪魔でもなんでもない。我々の父祖である。そこには富国強兵により国づくりをした歴史がある。西洋列強の圧迫の中で強固な軍や兵器をを作った歴史がある。そのような近代国家の軍事的歴史の扱われ方が軽いというか、意図的に無視しているようにしか見えない。
ある人のブログの示唆を受けて今日は徳島市内の「津田砲台場史跡公園」を見学することにした。
自転車なので狭い路地でも入っていけるが、津田のどこか正確に知りたかったのでパソコンのGマップで探すが
「そんなとこない!」
最大拡大しても酒屋だの肉屋だのは地図に表示されるのに「砲台場史跡公園」が表示されない。
まあこれでよほどマイナーなところで、市の観光係りも全然重要視してないのが見て取れた。
津田二丁目というのはわかっていたので自転車でそのあたりへ行って探すがわからない。地元の人に聞こうと思い水撒きしていたステテコ姿のじいちゃんに聞いた。
「津田砲台場史跡公園?そんなとこはここらにない!」
断言されてしまった。これはよほど知られていない史跡の予感がする。
半時間ほどウロウロして、もしかしてそこではないですか、という人がいて行くと、ようやくその場所に当たった。
市営住宅に囲まれた袋小路の小さな小さな公園、まさに「ポケットパーク」。そこが「砲台場史跡公園」
砲台のてっぺんから敷地(公園の平地、まるで猫の額のよう)を望む。周りは市営住宅にかこまれいかにも窮屈、ただ立派な松の緑に癒される。
下は後ろから見た砲台跡
あまりにも軽視された扱いのような気がするが、まあ、更地にされて宅地にされないだけましと思わなしゃあないなぁ~
このように思うのはあるところと比較するからかもしれない。
砲台は英語でBatteryという。電池と同じ文字である。それで「砲台場史跡公園」は英語でバッテリー・パーク(Battery Park)、ニューヨークにある非常に有名な公園である。行ったことないが映画その他でよく見る。
こちらも昔の砲台跡を公園にしているがもう比較するのも情けなくなるほど立派である。アメリカ人は自国にある戦争の遺跡・遺物はどの時代のものであっても非常に大事にする。
http://nyliberty.exblog.jp/6516859/
芭蕉の平泉における古城訪問でないが
「夏草やつわものどもが夢のあと」
と笠うち敷きて時のうつるまで泪を落としはべりぬ。
もうちょっとどないにかならんもんかいな。
この津田の町、昭和中期の町並みが残っていてなんか懐かしい
なんと風呂屋が数百メートルも離れていないのに2軒もある。一軒はとても風情のある銭湯である。
「昭和湯」、昭和30年代にタイムスリップしたような錯覚を受ける。
これもほとんど史跡になりつつありますぞ。
2 件のコメント:
「昭和湯」すごいな〜。入らなかったんですか?
打たせ湯、サウナ、ちょお音波、泡風呂もあるみたいじゃないですか。さすがのわたしもって大したことないですが、知りませんでした。若干勇気が入りそうでうすが、入ってみたくなりました。たぶん想定内のことが起こると思いますが(^.^)
昼の一時ころで銭湯に入る気分じゃなかったです。それにここは3のつく日が定休日でした。
喉が渇いたので、定番のフルツ牛乳かコーヒ牛乳は飲みたかったですが。
小さな町に2軒とは恐れ入りました。銭湯以外にも昭和の懐かしい町並みがあることにホッとします。
庶民の味方安売りスウパ(R学園の訓練の時弁当でお世話になりました)、フタバスウパもあり賑わったましたよ。
やっぱ、スパムですね。
この間の「九星」思い出しました。確か、しんさま、私と相克の関係って言ってましたね。しんさまが私に打ち克つという。
この相性の悪さがスパムの一員かも。てなことないか!
(*^。^*)
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