今日は旧暦の2日、夜空には月も出ていないため星空を見上げ、あれこれと観察するのによいはずなのであるが、それは昔の話。今は月明りより人工照明の方が明るく、都会の中心部では夜空でも下界のまぶしい灯りを映してぼんやり明るい。一等星でもほとんど見えないといわれる。
しかし、私の住む田舎町は都会ほど人工照明は明るくなく、市街地から少し南にいった四国山地のふもと辺りでは人家が少なく星空の観察にはよい。
DVD屋さんに自転車で夜、返却に行くついでに町の南の方の暗い地域をまわってみた。
今日は薄い雲が覆っているみたいで夜空に星はあまり見えない。
星空を見上げるのは久しぶりである。一番よく星空を観察したのは大学生の時である。大学生の時は深夜放送を聞いたり読書をしたりしていつも2時、3時まで起きているのは当たり前、よく徹夜もした。そのころは若くて気力も充実していたのであろう、深夜であっても部屋に閉じこもっていると気鬱な気分になった。
そんな時は家の横の空き地に出て星空を観察した。どこで手に入れたのか忘れたが「星座盤」を持ち、星を観察しながら星の名前、星座を確認した。その時に星の名前や星座、そのいわれなどをおぼえた。この時代覚えたことは今もだいたい覚えている。記憶の歩留まりの良かった年齢であった。
大学生活は4年も続いたので、その間に深夜の星の観察もそれぞれに春夏秋冬続いた。観察といっても望遠鏡なんかではなく肉眼であった。当時はコンタクトレンズをしていたので視力は1,5以上あり不都合はなかった。
40年も昔の深夜だから天気がよければそれこそ「降るような星空」であった。
秋の夜空の観察もよ~く覚えている。大昔の秋の夜空の観察の一夜をなぜ鮮明に覚えていたのか?
それは自分の生まれた星座を夜空で初めて確認した秋の一夜であったからである。
ご存じのように秋の星座は明るい星も少なく、地味で四季の夜空の中では一番さびしい感じがする。目立つ星も少ないため夜空で自分の「うお座」を見つけるのは難しかった。
手掛かりはペガサスの四辺形であるがこれも2、3等星であるので夏の大三角形みたいにすぐには見つからなかった。
でも何とか四辺形が確認できたときはうれしさがこみ上げてきた。
「さてと!その外周に、うお座が鎮座するのだか・・・・」
うお座の星座の形を確認するのはペガサスの四辺形よりもっと難しかった。星座盤で確認してあったのだがこの「うお座」、二匹の魚が尻尾のところで紐で結わえられた形をしている。一匹の鯉のような形のイメージが先行していたが大きく違っていた。
それでも弱々しい星々をつなげて何とかうお座を確認した。
最初にわかりにくいうお座を確認したのがよかったのか、後はうお座ほどは確認が難しくなく、北天から中天に展開する「エチオピア王家の星座群」なんかはすぐに見つかった。
秋の夜空を観察していると遠くからゴーッという水音が微かに聞こえてくる。静かで澄んだ大気のおかげで遠くの吉野川の堰の水音が聞こえるのである。
ちょうど秋の星座の「水瓶座」を観察していた時であった。その遠くから響く水音を聞いていると、当時読んでいた詩集の句が口をついて出てきた
『さんさんとしてこぼれちる宝瓶宮(水瓶座)の水の音・・・・・』
もう今はそこまでしか思い出さないが、ネットで調べると全文が載っていた。
≪水瓶座≫
さんさんとしてこぼれ散る
宝瓶宮の水の音
秋澄む空の大いなる
胸を洗いて清きかな
林を出でてたもとふる
心も白き良き夜に
アクイラの星(わし座)も傾きて
ささやく声のほのかなる
― 竹友藻風
下は秋の星座とエチオピア王家の星座のリンクです
http://yumis.net/space/star/fall1.htm
http://www.zero-co.com/seiza/guide/ethiopia.html
2 件のコメント:
これはすごい! エチオピアの王家の人たちは考えましたね。星座が覚えられるし、妄想も出来るしいいですね。秋の夜長は、自然のスクリーンでお遊びですか、アンドロメダ姫に逢いたいな\(^^)/
雑感
●アンドロメダ伝説はいろいろな民族・人種の中に広がっています。日本では「クシナダヒメとスサノオ」が有名です。
これも人類のルーツが一つという証拠かなぁ~(?_?)
●3000年もの長さを誇るエチオピアの王家は1974年に滅びました。残念です。今、存続して入れば、ブランドとして価値あると思うのだがなぁ
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