昨日のローカル紙に徳島市の上八万地区で出没していた猿が捕まったというニュスが載っていた。その経緯を簡単に説明すると
出没が問題視されだしたのは今年に入ってからだった。徳島市上八万町(八万も含む)を中心に34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害が6件確認されていた。いずれも同一の猿とおもわれる。
そして捕まったのは、7日午前6時、徳島市八万町の文化の森の近くに市と猟友会が設置した箱型の罠にかかっていた。体長60センチ、若いオスのニホンザルであり、被害をもたらした猿同一個体であると思われる。
その記事の最後は、なんとも悲しく私には衝撃的な一文で締めくくられていた。
『猟友会によって、その日のうちに殺処分されたということです。』
「ええぇぇ~、なにも殺さなくても、他に何か手立てなかったのか、殺処分って、文字から伝わる処分の言葉にはまるでゴミか何かを処分するような嫌な響きが感じられる」
新聞には、このまま(多少の脅しを猿に加えて)山、つまり自然に返しても人に馴れている猿だから、また再び被害があることを考えての決断だったという意味のことが書かれていた。なるほどそれはそうだろう。しかし殺すという手段以外、他の方法は考えられなかったのか。その日のうちにという言葉に、もう少し時間をかけてよい方法を見つけ出せないものかといいたくなる。
地域住民の言葉もいくつか載っていた。
「サルは危害加えるからね。子どもにね、危ないしね」
「もし私、出会ったら怖いな~と思ってたんですよ。安心しました。」
しかしこのコメント、その日のうちに殺処分したということを聞いてのコメントだろうか。もしそのことを聞いての感想なら、何も殺さなくてもと思った人も多くいるんじゃないだろうか。
去年、秋田県でツキノワグマが里へ下りて人に遭遇し、多くの被害が出たとき、やはり捕獲した熊の殺処分についていろいろな意見が出た。殺すな。という脅しのような電話が来て問題になった。その時に行き過ぎた感情的で過激な殺処分反対があったため、むしろ世論は殺処分止むを得まい、という意見が多く、支持も多かった。そのことがわが県民にもニュスとして伝わっている、おそらくこのまま県民の意見は殺処分是認に傾くのだろう。
秋田の熊の場合、殺処分反対派の言説も過激だったが、殺処分を是認した行政当局(具体的には知事・市長)の言説も結構過激だった。
「あ~もしもし、そんなに殺処分に反対するなら、ご住所をおっしゃって下さい、熊をお送りしますから、そちらで、被害がでないように措置を講じてかわいがって育ててください」
反対派は黙るしかない。
しかし、熊と猿を同じにしてはいけない。熊は人命にかかわるほどの被害を人にもたらす。
死亡事故、重症者が出る。人に馴れ、人里へ餌をあさりに来る熊は、たとえ電気ショックなどの脅しを加えて自然に放逐しても、再びやってくる。より賢くなっているかもしれない。そして人に遭遇し被害をもたらす。猿も同じじゃないかと、思われようが、上記の記事の被害の実態を見てほしい。「34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害が6件確認」である。確かに怪我を負わせてはいるが、すり傷などの軽傷で、それも5~6件に1例である。足にしがみつかれ驚いて転倒が多く、引っかかれたのもあるが、人と猿が共存する高崎山などの猿のいたずらくらいと言えばいいすぎだろうか。中には、歩いていて、なんやら、足が重とぉなったなぁ、と思ってふと重くなった足をみるとお猿さんがしがみついていた、っちゅうのもある。驚いて振り払うと逃げて行ったのである。この程度ばかりだと、「おさるさん、おいたはダメよ、メッ」であるが、軽傷ではあるが人に障害をあたえればそれは許されるべきではない。
その被害を軽視するわけではないが、熊との違いは明瞭である。確かに猿は捕まえられ同じ個体によるその後の被害はなくされるべきである。しかしそれが殺処分に相当するかというと私はそうじゃない方法を考えるべきだと思うのである。熊は人の命を奪ったり、重傷を与え重い後遺症を負わせる。対し猿はいずれも軽症である。殺人を犯した犯人が死刑になるが、人に軽傷を与えて逮捕された人が死刑になるだろうか、量刑相当というものがある。私が何も殺さなくてもいいのじゃないかと思うゆえんである。
熊を殺すのがいけないといって、じゃぁお前が飼うかといえば、嫌である。しかし、猿の場合はどうだろう、殺すくらいなら、飼えばいいと考えれば、飼う方途も見つかると思う。
殺処分を猟友会にまかせたが、猟友会も内心猿を殺したくないんじゃないだろうか。本来お山の猟師さんたちは、猿を「山の人」、あるいは「山のオヤジ」と呼んで、弓矢鉄砲を向けず殺さなかった。ヒトあるいはオヤジというように人のような愛称で呼び、人間に最も近い動物として扱ってきたのである。さらには猿は神の使い、あるいは神そのものとしても崇められた。
今から五年以上前にアップしたブログ、2019年9月14日の記事・「ここいらへん(徳島)に猿の神様っているのかな」を読んでほしい。⇒ここクリック
ブログを読んでもらうとわかるが、猿が御神体の一つであるこの寺の一画に、猿の寺にふさわしく小屋が設けられなかで猿が飼われていた。ニホンザルである。このようなところででもなんとか生かすことはできなかっただろうか、と残念で悲しくおもう次第である。