2025年2月27日木曜日

梅の香  

  ばぁやん二人の会話が(だいたいこの歳になると耳が遠くなる、ワイもそうだ、だからその影響でか会話は大音量になる場合が多い)聞くともなしに聞こえてきた。

おバァ甲「もう、こうえんのうめがさいとんじょぉ」

おバァ乙「ほ~でか、エエ匂いがしたでか?」

おバァ甲「うめってどんなによいがしよんえぇ~?」

おバァ乙「なんちゅうたらええんかいなぁ~、うぅぅ・・、まぁかすかなによいじゃわなぁ」

 ばぁやんの会話の中で「梅はどんな香りか?」と聞いた。返しはあいまいに、かすかな香りじゃ、といったが、香りの説明はけっこう難しい。香りはストレートに嗅覚に作用して快、不快をもたらす。花の匂いはおおむね「快」をもたらすことが多い。しかし具体的な花をあげてそれがどんな匂いか説明せよ、となると頭を抱えてしまう。誰もが知っている匂いに近いなら、それにたとえてそれとよく似た匂いだといえることがある。例えば「クチナシ」の花、強烈な香りで、よく似た香りが、「バナナの熟したかおり」に近い。バナナの熟した香りは誰でも思い浮かぶので、それとよく似た匂いである、と説明に用いることができる。

 しかし梅の香にそれは使えるだろうか。私が初めて梅の香を嗅いだ時もよく似た匂いの香りを思い出した。それは手の荒れを防ぐクリームの香りで「梅の香ワセリン」、自身ではよく似た香りだと認識できるが、そんな例は特殊な人のみにわかって大勢に人には一般化できない。したがって香りの説明にはならない。第一、梅の香を説明するのに、梅の香ワセリンとはトートロジイ(同意語)で説明にはなっていない。

 お利巧さんなAIに答えてもらうと次のよ~うな説明を受けた。

『梅の花の香りをひと言で表すとジャスミンに似た甘い香りです。 フローラル系の華やかで甘い香りがほんのりと感じられます。 梅の花の香りを表現する言葉の1つに「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」があります。 馥郁(ふくいく)とはより良い香りが漂っている様子を表します』

 う~ん、ジャスミンなぁ、たしかに大勢の人が嗅いだことがあり、一般化できるかもしれないが、一般化しすぎて、香水からクリームなどの化粧品ばかりでなく、洗剤、はては脱臭消臭剤、便所の芳香剤までありすぎて、わからない、オリジナルの「ジャスミンの花」の匂いが一番近いのだろうけど、これを体験し、すぐに思い浮かべる人など少数であろう。

 お利巧さんなAIの説明だが、このように分析した結果、これこれの花に似た匂いだ、といわれてもどうも納得しがたい。無理に似たものにたとえるのではなく、他の説明のしかたが適当なように思われる。上のおバァの説明にも「かすかな(よい)香り」といいうのがあったが。ふつうはこれで納得して話は進む。もっと加えるなら「上品でかすかな香り」といえばもっといいかもしれない。上品でかすかな香りという系統の説明でいけば、高級な香木(お香)の移り香のような・・というのもいいかもしれない。しかしこれだと、先ほどのよく知らない香りのたとえで、ダメなのではないかといわれそうだが、上品でかすかな香り、というのも、香木の移り香のような、というのも具体的なモノのたとえでなく、万人が持つ感性的な印象によっているものである。

 かすかに漂う梅の香は、古人にも愛され、歌や俳句にも読まれた。

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ 昔 の 香 に にほ ひける 紀貫之

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 蕪村

 梅の花と言えば天神さん

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真

 下の写真は今日の眉山ふもとの天神さんの梅、白梅は満開で馥郁とした香りが漂っていた。しかし紅梅はまだ固い蕾だった。梅の香りの形容は「馥郁(ふくいく)」がいいとAIさんはおっしゃいますのでそう書きました。

2025年2月24日月曜日

北山が白山になってる

  今朝も冷えたぁ~、昨夜降った雪がガリガリに凍って地面にへばりついている。露天においてあるワイの自転車のサドルも雪が固く覆っている。拭いたくらいでは取れない。厚めの反故紙を丸めごしごしとこそげおとした。

 朝自転車をこいでいて、鮎喰の橋から北方をみると、あまり見たことのない遠景が広がっている。連なっている山全体がしろくなってぼんやりと輝いているのだ。河川敷には雪はないが遠方の山は雪国の山のようだ。


 昼過ぎてみぞれやあられが降りだした。今夜も寒くなりそうだ。しかし寒波も今日までで、明日からは徐々に暖かくなり週末には15度をこえるそうだ。土曜からはもう弥生だもんなぁ。春がくるぅ~。

2025年2月23日日曜日

トランプはんの作り方、どないすりゃ出来るんぞぃ 

 


 一昨日(21日)、久しぶりに映画館へ足を運んだ。東新町にある小じんまりした映画館である。映画の題は『アプレンティス・(副題ドナルドトランプの創り方』(原題・Apprentice)、感想を書く前に見終わった評価を述べると私の採点は「上」である(上上が最高、そして上、中と続き、下、下下の五段階で二番目)。去年見た、やはり伝記的映画のジャンルに入る、原爆の父と言われている主人公の映画『オペンハイマ』と同程度と評価した。緻密さ(主人公についての資料の扱い、あるいは客観的事実)については「オペンハイマ」の方が上のような気がするが、今まさに進んでいる同時性、世界を飲みこもうとせんばかりの彼の危うさ、その強大な権力を持つアメリカ現職大統領の内心を形作ったものが、どこから来たのかを描いた作品としてのインパクトは「オペンハイマ」を凌ぐ。

 副題を見れば、ポスターを見ずとも誰を描いたものかはすぐわかる。しかしまぁ、ドナルドトランプの創り方、とは・・現職アメリカ大統領に対し、よくもこんな題をつけたものだと恐れ入る(もっとも副題は日本の配給会社が付け足したものだあろうが)、漏れ聞くところによると、トランプはん本人はアメリカでの封切りに反対であったとされるが、さすがに言論封殺はできない。そう聞くとこれはトランプはんをディスる(おちょくったり、批判したり、ネガティブなイメージで描く)ものかとも思うが、そうではない。見た人によってさまざまに解釈はわかれるだろうし、当然、見終わっての彼に対する好悪の結果も一様ではない。


 それにしても、副題に「トランプの創り方」ってあるが、ふつう社会的に成功する「人」に対し、その上昇の伝記的過程をこのように表現はしない。このような〇〇の創り方、と聞いて思い浮かべるイメージは、中世の錬金術師が、いろいろ怪しげな薬品を混ぜ、不思議な処方を加え、安物の金属から黄金を作りだす、その「作り方」、とか、あるいは同じ錬金術師が、今度はいろいろな薬草を混ぜ処方し、最強の毒薬、それも飲んでから数か月もたってある日急に頓死する毒薬、だから絶対犯行はわからないその毒薬の「作り方」とかを思い浮かべる。

 そのイメージで行くと錬金術師が作るのは、誰もが求め喜ぶ「黄金」、あるいは正反対のまったく悪魔的な「毒薬」となる。その作り方の結果出てくるのはどちらか?題にも映画にもそれがどちらとも明示されない。それはこの映画みるひと個人が決めるものであろう。

 錬金術師のイメージでとらえると、副題に対する主題である「アプレンティス」という言葉が鮮明に生きてくる。左上の写真は中世の錬金術師の工房である。いろいろな人が働いている。中世(日本の江戸期の職人でもそうだが)の工房では親方がいて弟子、見習い子ども)が親方のそばで雑用をこなし、その技術を学び一人前の職人となるのである。写真の長老格で椅子に座っているのが親方で、他は弟子、徒弟、見習い、と年期によって分かれる人々がいて、指示によって働いている。錬金術師の親方はマスター(master)といい、弟子、徒弟、見習いはアプレンティス(apprentice)というのである。

 つまり、黄金かそれとも毒薬かわからないが、それを作る職人となるため秘術をもった親方・マスターのそばについて最初は見様見真似、のちに一番弟子に昇格すれば、秘伝伝授もされ、その弟子・アプレンティスは一人前の錬金術師・親方(中世ではほとんど魔術師と同一視された)になるのである。その錬金術師の卵がアプレンティスというわけである。なるほど主題も副題もよく考えられたネーミングにしたものだと思う。

 映画ではその親方・マスター役が若きトランプの指南役となる弁護士ロイ・コンである。きわめて有能ではあるが恐ろしいほどの悪徳弁護士としてキャラ設定されている。当然、弟子・アプレンティスとなるのがトランプである。私の解釈風に錬金術師にたとえるなら、トランプは親方の指導の下で見習いから徒弟、そして一番弟子を経て最後は一人前の親方・錬金術師になるのである。そして我々が一番知りたいのは、トランプが一人前の錬金術師になったとき、生み出されるのが「黄金」か、はたまた恐ろしいがきわめて有能な「毒薬」か(有能というのは使う人には尻尾をつかませない、つまり使用者には絶対危害を及ぼさない、例えば飲んでもすぐには効かない、かなり時がたったある日、急に効いて死に至らしめるような)。

 お師匠さん以上に弟子が有能な師匠・親方になるたとえに『青は藍より出でて藍より青し』ということわざがある。これは生み出されるものが善であっても悪であっても通じる、師匠の弁護士ロイ・コンは悪徳弁護士であるから、最後には師匠をしのぐ弟子となったトランプも悪徳の実業家そして政治家となるのであろうか。

 師匠をしのぎすぎて最後には師匠も蹴散らしてしまうトランプ、はたしてこの偉大な錬金術師もしかして魔術師は、これからどんなものを生み出すのか。と、実はその時点で映画は終わるのである。もちろん政治家になる前である。つくるのは黄金か毒薬か。映画の中ではまだわからないうちに終わる。しかし上に示したポスターのトランプが金でできているのもなにか象徴的で面白い、ただしそれは金むく(純金)か金メッキかはわからない。

 今のトランプ自身の言によれば、彼は「偉大なアメリカをつくる」というのと同じくらい「アメリカの黄金時代とつくる」と言っている、ほぼ同じ意味として用いられている。ということは彼は黄金を作り出す錬金術師なのか。私はちょっと肯定する気にはなれない。じゃぁ、彼は毒薬を生み出す錬金術師(魔術師の方があっているが)か、というとそれも違うと思う。

 「黄金時代」はゴールデン・エイジ(Golden Age)ともいわれ世界史の上で国家が最隆盛に達した時代をさして言われる言葉である(例として16世紀エリザベス1世の御代、ゴールデンエイジと言われる)。トランプさんはそのことを言いたいのだろうが、アメリカにはもう一つの黄金の名をつけた悪名高い時代があった。それが「金ぴか時代」(Gilded Age)である、Gildedは金メッキするという意味となる。南北戦争の終了後から1920年代大恐慌の前までのあいだ、時々の、表面上は華やかな時代に用いられた言葉である。「金ぴか」とはすなわち金メッキのことである。内実がお粗末なのに表面だけ金メッキしてごまかしたいわば「まがい物」の一種である。金メッキを施しているので外見は金むくである、つまり虚勢をはり威勢良く見せ、あたかも黄金時代が招来したようにみせかけ、また人々もそれに錯覚し浮かれる、そんな時代が「金ぴか時代」である。

 そんな金ぴか時代になる可能性はある。その時代は見せかけで世が回っているため様々な矛盾が蓄積し、黄金どころか蓄積した山は腐敗し「毒素」をも生み出しかねず、それが社会を痛め、悪くすると瀕死の重傷になるかもしれない。歴史に鑑みるとそれが今後の危惧となる。

 映画は先にも言ったように、トランプが政治家になる可能性を秘め、なおも前進するところで「中断する」(1980年代半ば)、英語で言うとペンディング(pending)である。未決定という意味があり、pendは吊るすが原義で、吊るして宙ぶらりんな状態で終わる。そして約40年後が現在である。さてこれからの展開はいかになるだろう。映画を見終わり、あとは現実に帰り、この世の行く末をみろってか。


 映画の内容についてはこれから見る人のために言わないでおく。映画ですごいなとおもったところは、トランプ役の俳優である。若い時から中年まで演じているが、見目形、しぐさまで何から何までトランプはんとそっくりといっていいほど似ていて感心した。お楽しみのセックスシーンもあり下ネタで笑わせてくれる。一つは、トランプが立ったままでズボンを下ろし下半身剥き出しで、女性をその前にひざまずかせ、尺八をさせるシーンである。これを見た時「ありゃりゃんりゃ、こりゃ、クリントン大統領が女秘書モニカはんと不倫でフェラセクスしたときと同じじゃ」と思わず笑ってしまった。そのパロディなのだろう。もう一つは、トランプはんが師匠である弁護士ロイコーンに会うためドアをパッと開けると、なんと師匠は男を引き込んで組み伏せ、その男の尻に肛交(アナルセクス)をしかけているまっ際中、動揺し、ノーマルセクス派のトランプはんはドギマギして慌てて去っていくシーンにも笑わせられる。

 まぁ、今何かと話題のトランプはんの映画ですから、興味があれば見て楽しんでください。

2025年2月22日土曜日

布服について考えた その2 銭湯で考える

  お猿さんから枝分かれして人類らしきものが(どこからが人類か定義によって変わってくるが一応、常時二足歩行した種からということにする)誕生したときは身にまとうものなぞつけていなかった。さぞや冬は寒かったろうと思うが、おそらく、今のホモサピエンスのように体毛がほとんどなくヌメッとしたような皮膚ではなく、お猿さんの名残で、毛ぇがボウボウ生えていたのだろう。雪の中で暮らすニホンザルはモフモフで後ろから見ると毛糸玉のように見える。初期人類も毛ぇで体温を保ったのだろう。

 雪の中で暮らすニホンザルのようにモフモフのお毛々ならあえて衣服はいらないだろう。しかし初期人類から現世人類に進化する過程で、毛ぇはどんどん薄くなりほとんど皮膚はむき出しになった。さぁ、そこでだ!その体毛を失ったのをカヴァするのが「身にまとうモノ」最初は毛皮やなめし皮のようなものだったろう)である。しかし体毛が薄くなったので身にまとうものが必要なのはわかるが、その体毛が薄くなるという進化はいったいどのようにして方向づけられ進化した?身にまとうものをつけだしたので、あえて全身の毛が必要なくなり退化したとも考えられる。これは鶏か卵どちらが先かの議論に似ている。

 まぁともかく体毛がなくなるように進化したのは確かだ。間ぁの悪いことに人類を育んだこの時期は北半球の気温がかなり低下した氷河期を含んでいる。これで人類が身にまとう毛皮やなめし皮あるいは樹皮などを生み出し利用しなかったら寒さのためトンどの昔に滅びていただろう。ケモノの中には体毛をほとんどなくしても寒さの中生きていくことができる種もいる。南氷洋のクジラなんどがそうである。これは体毛の代わりにブ厚い皮膚や皮下脂肪が保温している。しかし人類がそのような保温対策的進化をするとするなら、二足歩行は無理だろうし、手指の繊細さ器用さは望むべくもなく知的人類は誕生しえないだろう。

 さぁ、前置きはこれくらいにして、スッポンポンの裸になって、銭湯に入り、布服について考えをめぐらしてみよう。

 最近は大都会でも銭湯が少なくなってきている。それ以上に徳島県は銭湯が少ない。徳島県内のほとんどの市町村内で、いまや銭湯経営しているところは軒並みゼロである。その中で最も人口の多い徳島市に7軒が残っている。私が行くのはその中の一つ。創業は戦後すぐなので約80年を数えるが、10年ほど前に新しく建て替えた。脱衣場も洗い場も狭く20人も入れば満員になる。脱衣場のロッカーは24、洗い場のカランは12しかない。湯客は私のようなジジイが大半でかつ常連さんでもあるので、みなさん、ワイワイくち(口)ゃろう言ぅてなじんでいる。そんなアットホムな銭湯である。


 そうだ、十年びゃぁまえにこの銭湯が新築になって再開業する前にこの銭湯の様子をブログにアップしていた。それに張り付けた動画を見てくれればよくわかる。下がそのブログの動画(2015年11月28日)

 


 布切れ一枚身に着けず脱衣場から中に入るのだが、前書きでも述べたように人にはお猿さんの名残の体毛がある。濃い人もいれば薄い人もいる。濃い人でいえばもう十数年前にこの銭湯で、背中から胸からどこもかしこも黒々した毛がびっしり生えた人を見たことがある。大げさに言えば熊かと見間違うとでもいおうか。こんな多毛なら、多少薄着でも寒さに強いのじゃないかと思いたくなるが、それはあまり関係ないようだ。というのも確かにアイヌさんは多毛質の人が多いが、世界で最も寒い地方に暮らしている(モンゴロイド系)エベンキ族さんなんかは肌はつるりとしていて、体毛が極めて少ない。これなどをみると体毛については人類は寒さとは連関していないといっていいだろう。

 ともかく真っ裸じゃ、いくら多毛質の人でも真夏はともかく日本じゃ暮らせない。今晩なぞ(外気の中では)真っ裸で一分たりとも我慢できない。しかし、銭湯の湯船兼洗い場の何と快適なことよ。私はサウナはすかんので入らない。微温湯の湯船ばかりである。そして多くの時間を過ごすのは、蒸気が舞う洗い場である。洗い場の邪魔にならない空間で、壁に体をもたせかけて足をのばすとそのまま十分くらいボォ~としていることがある。そうしていても寒いどころかすこぶる快適で過ごしよいのである。

 これは衣服を考えるうえでなかなか示唆に富む状況である。このような(銭湯内の空気)状態ならいくらでも真っ裸で過ごせそうである。計ったことはないが気温はおそらく体温と同じくらい、そして湿度は、冬場になって洗い場は薄く霧が漂うような状態であるから湿度は100%だろう。ただし、長時間いて体がほてってくると、脱衣場にでて、軽く扇風機の風に当たるとこれまた気持ちいい。脱衣場の気温は冬場で20℃台だろう。湿度もグッと下がった方が気持ちがいい。

 真っ裸であっても人を取り巻く空気が上記の範囲内を行ったり来たりできるなら快適であるということは、『人が発明した衣服というのは究極、衣服と肌との間にそのような空気状況を作り出すものであるということができる。』人は常に体温汗(水分を発散しているので、衣服を工夫して通気性保温性を変えれば、素肌のまわりを、真っ裸で過ごせる銭湯の洗い場や脱衣場状態に似た空気にすることができる。

 アルキメデスはんは風呂に入ってた時、アルキメデスの原理(浮力原理)を発見したっていわれとるが、私は風呂に入って衣服の原理を発見した!ってか?アホぉげとる。ほんなたいしたもんかいなぁ、猫でもきづくわ! 

 さてぇ、まだまだ私の銭湯内での考察は続きますよぉ。銭湯内、ジイやんが大半といったが若い人も何割かはいる。その若い人をみて最近気づいたことがある。先ほど体毛の話がでたが、若い(特におしゃれそうな若い衆)男性は頭髪を除いて全身、毛がなくスベスベ、ツルツルなのである。これは体質からそうなったのではない。剃っているからなのである。というのも腋毛も股間のチ〇ポの周りの毛ぇがないのである。一人二人しか見ないときはたまたまそういった体質なのだろうくらいに気にしなかったが、若いおしゃれそうな男性の多くがそんな状態なら剃っているとしか考えられない。

 「こりゃ、なんぞいな、どしてほなんなるん?」、頭髪の形や口ひげならば、オシャレないしファッションかな、と思うが、腋毛や股間のお毛々はそうそう人前にさらすところとちゃぁうし。と考えると、こりゃ、いわゆる「セクスアッピィル」に違いないと思うのである。この「セクスアッピィル」は衣服を考えるうえでも重要なキィワァドとなる。もしセクスの相手が股間も含めスベスベ肌がええちゅうなら、股間毛ぞりはセクスアッピィルになる。多数派の男はセクスの相手として女性を求めるから、これは最近の若い女性は男性にもスルスルスベスベの肌を求める傾向があるということだろうと推測する。ワイら世代のジイやんは、毛ぇがボウボウの方がマッチョなオスの性をアッピィルできると思っている人が多いがとんだ思い違いだ。最近の女性に毛むくじゃらは嫌われるようだ。

 しかし実のところ若い男性がなんでチ〇ポの周りの毛ぇを全部剃っているのか、直接聞いてみたわけではないのでわからない(ちょっと聞きにくいというか、そんなこと裸の風呂場できいたらセクハラになる) あくまでも推測である。

 男性の風呂場でのセクスアッピィルに関してはもう一つ重要なことがある。それは必ずしもそのアッピィルは異性(女性)向けに発せられているとは限らないのだ、といっても別にその人がホモというわけではない。若い人はいざ知らずワイらジジイ世代は、チ〇ポが大きいことがセクスが強い、したがってセクスアッピィルも強力だという根拠のない話を信じている人が多い。それゆえデカチ〇ポをみると、男性同士で「ありゃりゃ、まぁデカいこと!こりゃワイの負けじゃわ」、と心理的な敗北を感じ、これも心理的だが性に関しスゴスゴ撤退感となる、これは理性、理屈云々でなく脳の原始的な基幹部分でそのようなメカニズムが働くと考えられる。交尾ができる一匹のメスには多くのオスが群がるが、「力」の強いオスが交尾に性交する。それは他のオスを物理的な力でねじ伏せるのではなく、その特定のオスのある「威圧」が他のオスを(直接的な力を行使せず)圧伏させるのである。万物の霊長である我ら人間がそんなしょむないことで威圧やされるものか、というのは先にも言ったように脳の表面上の理性的論理的な部分の考えで、脳の原始的な基幹部分の痛覚は著しく刺激するのである。

 その「ある威圧」は何もチ〇ポのデカさや形ばかりではない。風呂場の真っ裸の中で「ビビる」肉体的アッピイルは他にもある。まぁ顔の「怖さ」も多少あるが、一番大きいのはクリカラ紋々のお兄さんがたではないだろうか。入れ墨である。入浴規則には禁避事項として存在するが私のいく銭湯は緩い、もっとも刺青の人のほとんどは面積も小さく、腕それも片腕だけ、刺青というよりタトゥーといった方が正確かもしれない。その色も黒や濃い藍色のような単純なものが多い。たまぁに、色鮮やかで背中一面ばかりが四肢まで広がるみごとな絵巻のような刺青があり、威圧より先にその美的芸術性に感動するのもあるが。

 生まれついてのチ〇ポの大きさ形、筋力などはいかんともしがたい。しかしこれで威圧されるなら弱小なものは困る。そっちの方でなく頭の良さで勝負したいと思う人がいるかもしれない。東京大学なんどを卒業していたら、もしかすると人を内心ビビらすかもしれないが、銭湯に大学の卒業証書を持ってきて見せびらかす人もいまいから、真っ裸になれば威圧にはならない。しかし「刺青」のような後天的に肉体に施せるものなら「ある威圧」になる、だからそれに習おうとする人が出てくるのは自然である。

 「ある威圧」、アッピイルと言い換えてもいいが、それをやろうとするに、この後天的に肉体に施せる、ということは重要になる。真っ裸でいかにも弱小げぇな体ならアッピイルは無理でも、体に絵、文様を描く(刺青もその一つ)、あるいは身にまとう、被る、などすることによって、自分をよりきらびやかに、大きく、強げぇに見せることができる。たとえば頭にクジャクなどの羽毛飾りをつける。キラキラした羽をもつ鳥の羽毛で全身を飾る。死んだライオンや虎の毛皮を身にまとう、など。このようにあるものを飾る、身にまとう、というヒトの行為は「衣服の誕生」への一つのアプローチとなるのではないだろうか。

 とまぁ、湯船のなかでひった屁ぇみたいなはなしでした。 

2025年2月19日水曜日

ぬの、ふくについて考えた その1・特別展を見たよぉ~

  今回のブログのお題は「ぬの、ふくについて考えたこと」である。その動機というのが、昨日某県立博物館でみた企画特別展示であった。展示主題は『アットゥシと太布副題)糸がつなぐ文化』である。ちょっと説明をくわえるとアットゥシはアイヌの伝統的な衣服で、樹皮から作られる樹皮衣である。太布は伝統的な(ということは古代以降近世まで作られた)布で、木綿以外の植物から作られたもので、とくにわが阿波で作られたものを阿波太布と呼んでいる。

 ぬの、ふくが展示してあるが、いずれも(製作はたとえ現代に近くとも)古代以来の方法で作られている。すべてを見てからのまず第一の感想であるが、

「生地はえらい荒い目やなぁ、目ぇが薄ぅなって細かい細工がよ~みえんワイの目にも、ずいぶん織り糸が太くて荒いから、縦糸横糸の絡みが十字格子状、いわゆる平織りの生地であることがよぉわかる。」

 「これ肌触りはゴワゴワしとるやろな、あまり快適な服とはいえんなぁ、それにアイヌの居住地は寒冷地じゃけんど、こんなんで防寒になるやろか、布をあわせて間に羽毛なんどいれていわゆるあわせ)の防寒服にするんやろか」

 「ほうじゃ、ワイの小ンまい時、近くに農協の倉庫があって、穀物なんどを1斗袋に入れてたくさんつんであったが、その袋は荒い布地でたしかぁ~、ほうじゃ、ドンゴロスって言いよったわ。ドンゴロスって、昔みたテレビ人形劇ひょこりひょうたん島にドンガバチョって出てきたが、なんか南米系の名前みたいやなぁ、このドンゴロスっちゅうのはワイらの地方の方言やろか、ネットで調べると子ンまい時聞いたドンゴロスはちゃんとした名前であった。別名南京袋ともいうそうや、そのドンゴロスと見た目ぇそっくりや」

 「ほにゃけんど、順番からゆうたら、まず糸があってそれを布に織り、それから裁縫してようやと服じゃ、人類は生まれたときは当然、猿のようにすっぽんぽんの裸でくらしてたんや、それが、かなりややこしい細工をして糸から布、服って、どんな革命的な変革、それを促したきっかけがあったんやろ、ちょっと考えてこまそ」 というわけで少し考えてみることにした。

その前に、下に主な展示内容をあげる。

1⃣ アットゥシの展示


2⃣ 太布で作られた襦袢(肌着)


3⃣ それらの布を織った道具(あえて機(ハタ)とは言わない

下のように糸をそろえて織っていく

4⃣ 3⃣の織る道具と江戸期に使われた機(ハタ)を並べて比較してみる


考察(考えたこと)については次回のブログでアップします。

2025年2月17日月曜日

年こへて またきさらぎと

 

 去年の二月、ブログにも書いているが一年間有効の『ながいき定期』(徳バスフリ定期)をかった。買う時、「一年なぁ、買ぅても、はたして、その期限まで生きとるやろか、ようよう生きとっても、健康害して病気になっとったら、バスに乗るどころやないし」、と迷よぉたが、「まぁ、ええわい、一年無病息災のお守りとみりゃぁ、ええ」と考えた。そう考えると、お守りにしては現実に十分な威力を発揮する。徳バスの路線のあるところどこまでも行ける。フラリンこフラリンこするワイの強力な足ぃにもなるしなぁ。

 そしてなんとか生きて今年になり、その期限が来た時、前回ほどは迷わず、また一年、やはりお守りのつもりで購入した。少なくとも一年生きられたということで、お守りも効果があったと見なせるわな。しかし来年はどないなっとるやろ。生きとって足ぃ腰ぃたっとったらまた買うやろな。

 最後にながいき定期を読んだワイの下手糞な和歌を一首ご披露いたします。

 時はあたかも、「きさらぎ」(如月)、これは一説では「寒い月で更に着(物)を着るから、「着さら着」になったといわれている。二月ワイは定期をまたサラ(更新)にした、つまり期(一年の期)をさらにしたので「期さら期」、これも今月の如月(きさらぎ)に通じている。ということで。

 西行法師はんの次の歌、「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」を本歌取りいたしまして

年こへて またきさらぎと 思ひきや いのちなりけり ながいき定期

お粗末さんでした

付録

 上記のワイの拙い和歌に「如月」(きさらぎ)っちゅう言葉が入っているが、そういや、西行はんの和歌で如月といえば有名な下の句が思い浮かぶ

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

 そして西行はんのすごいところはその死ぬ時期の希望がかなえられたこと。なんと、彼が死んだのは2月16日(旧暦)、望月の頃に、という希望はかなっている。次に花の下にて・・というのがかなえられたかどうかであるが、それはちょっと定かではない。しかしなんぼうなんでも当時から有名な西行はんである。まさか行き倒れのように桜の木の根元でポテチンと死んだわけではあるまい。イメージとしたら、開け放たれた寝殿のなか、臨終の西行はんが横たわっている。光を求めて西行はんが横を向くと、寝殿の前庭の桜が満開で、その中の散りかけた桜の花びらが数片ひらひらと臨終の床まで風に吹かれてくる、それを感じながら西行はんは息をひきとった・・・ような情景であってほしい。

 今年の旧暦の如月の望月はいつか調べると3月14日となっている。だいたい例年太陽暦では三月中旬頃になる。しかしそのころ、桜は満開だろうか?温暖化が進んだ現代でも吉野の桜は四月に入ってからである。かなり早咲きの桜でもちょっと満開は無理か。しかし桜の花の下と和歌で指定しているから、やはり満開であってほしい。しかし、そもそも西行はんの読んだ和歌の花は桜だろうか。

 確かに和歌で単に「花」と詠めば、これは一般に桜をさすと思われる。どの高校の古典の教科書でも、この和歌に関する解説を読めば、桜を前提に話しをしている。ただちょっと時期が桜には早いのである。この如月の望月の頃というのはもう一つの重要な命日でもある。それはお釈迦様の入滅の日(涅槃)である。お釈迦様は(仏典によれば)、ある木の下に横たわり涅槃に入ったといわれている。沙羅双樹の木である。そして涅槃に時ならぬ花を咲かせたといわれているのである。

 それでは西行はんが詠んだ木の花は釈迦の涅槃になぞらえて沙羅双樹の花なのだろうか。確かにそういいたくなるが、やはり私は桜だろうと思う。お釈迦様の木に、それも世界がブッダを失う悲しみに、その時期でもないのに花を咲かせた沙羅双樹になぞらえるのは、出家した西行はんにとって恐れ多いのではないだろうか。ここは西行はんががずっと慣れ親しんだ桜の花と見るのが妥当である。先に西行はんの臨終のイメージとして中庭の桜の満開、落花、臨終の元へ数片の花びら、を思い浮かべたが、この西行はんの句の花の下と望月もそのようなイメージとしてとらえたい。

2025年2月13日木曜日

ラヂヲの日

 

 先のブログ「バレイタインデの願い」を投稿したあと、PCのウィンドウ画面の左下のタスクバァをふと見ると、毎日日替わりで変わるアイコンが入っている。その日はなんの日かを象徴するアイコンである。今日は左のようなアイコンである。「なんぞいな」と思ってクリックすると、今日は「世界ラヂヲの日」であるという。その趣旨の一つに「ラヂヲは何世代にもわたり、最も広範囲にわたり、簡単にアクセスできるコミュニケーション手段として存在してきました云々」というのがある。

 そうだなぁ、日本のラヂオの嚆矢は大正時代であるから100年以上も昔だ。一世代25年としてみると四世代にわたって聴取されてきたわ。100年前には信じられないような音響・テレビ機器、そしてスマホなんどが今幅を利かせているが、ラヂオは今でも聴き継がれているもんなぁ。


 ワイが生まれた時からじいちゃんの家にあったラヂオは終戦の玉音放送を聞いたラヂヲだった。三球ラヂオである。といっても今の若い衆には分かるまい。三球とは達磨はんみたいな大きな真空管三つを用いるスピーカ式のラヂヲだ。スピーカ式と断ったが、昭和初めころの安いラヂヲは鉱石式ラヂオでレシーバァ(ヘッドフォン)を耳に突っ込んで聴くのみのラヂヲだった。だから一人しか聞けなかったのである。

 その後、発達して、スピィカで大勢が聞こえるようにしたのが三球ラヂヲだった。このラヂヲがワイが小ンまいときウチにあったのである。戦後はもっと性能のいい高級な四球スゥパラヂヲもでてきたが、いまだに三球ラヂヲを使っていた。ダイヤルは二つのみ、一つは選局ダイヤル、とするともう一つは音量ダイヤルと思うだろうが、さにあらず。低級な三球ラヂヲである。これは「再生ダイヤル」(電波をもう一度増幅するためフィードバックさせる)と言って右に回すと一応音量はある程度まで大きくなるのだが、回しすぎるとハゥリングを起こし、キーーーン、ワァーーーンとなり、ラヂヲそのものが聞こえなくなる。そのため抑えられた音量内でしか聞けなかった代物である。

 そんなラヂヲを子供の時からずっと使っていた。こどものワイの耳に入る音楽は、学校音楽と、たまに見に行った映画音楽以外は、このラヂヲから流れてくる音楽が大半だった。ジジババ育ちだったからクラッシックなんどの高級音楽をラヂヲで聞くことはなく、浪曲、歌謡曲が主だった。その中で、斬新なのが美空ひばり、三橋美智也、春日八郎だから時代がわかろうというもの。

 中古のテレビが家に入ったのが中学三年だった。そのテレビから流れてくる歌を振り付けと一緒にきいたが、ラヂヲ時代と音楽の好みの傾向はそう変わらなかった。まったく新しい音楽の聴取ということで、起こった家というか私個人の大変化は、高校二年生の時に親せきからもらったトランジスタラヂヲだった。静かな深夜、一人でポータブル・トランジスタラヂヲを聴くようになり、新しい音楽の趣味はどんどん広がった。フォークソング、ヴィトルズ、ロックなんどの洋物の音楽、先のブログで紹介した洋盤が原曲の「哀しき願い」もその一つだった。それから大学時代にかけては、ラヂヲ深夜放送新しいジャンルの音楽に耳を傾けた。

 もうずっとラヂヲを聴いていないがこのブログを書きながら、またラヂヲ、それも深夜放送の歌番組を聴きたくなった。ところで今そんな番組あるのかなぁ。

バレイタインデェの願い

  駅前のアミコビル二階のエントランスホールに畳くらいの広さのハート形のピンクのボードがある。「なんぞいなぁ?」などといいつつ、近寄ってつくづく見て、ようやと、「あ、そうかバレイタインデェにちなむ何かだ!」なんぞとわかるのはワイのような半ボケジジイだ。

 わっかい子ぉなんぞはみんな知っていて、もらえるやらわからん男しも、誰にあぎょうかと考えるおなごしも、その日が近づくのをわくわくしながら待っているようだ。

 ここのショッピングブゥスでもバレイタインデェのプレジェントのチョクレェトを売り出している。先日の節分の寿司以上の売り上げが期待され、お店もそれに力を入れている。その宣伝活動している一環として、このようなハート形のピンクボゥドに、バレイタインデェの願いを書き入れるようにしているのだ。

 左のように何も書いていないハート形の短冊が前方の机の上にたくさん置いてあり、それに願いを書いてボードに張り付けるのだ。昔しゃぁこんな風習なんぞなかった。そもそもバレイタインデェもワイが20代の頃はやりだしたものだ。ハートの短冊に願いを書いて張り付けるのは、七夕の短冊あるいは神社の絵馬にヒントを得たのだろうか。

 しばらくそこから引いて少しの間みていると、書き入れて貼っている子ぉらが何人もいるが、見た限りでは高校生ばかりだ。女の子ばかりでな男子高校生もグループでやって来てワイワイなんやら冗談いいながら書いている。

 前に集う若い衆がいなくなった。みんなの願いどんなこと書いてあるんかぃなぁ、と興味がわいてきて読ませてもらった。

 多いのはやはり率直に恋を願う言葉である。「〇〇さん、好きです」「〇〇さん私の方に向いてください」、これらは相手がわかっている子であるが、若い子ぉのなかには特定の「思う人」ができていない子もいるようで、恋愛そのもの、あるいはまだ見ぬ相手を願うものも多い。「好きな人ができますよ~~に」「恋をしたぃなぁ~」「愛につつまれた人生を送りたい」など

 中には、なんじゃろ、どういう意味じゃろ、と首を傾げ、想像力をたくましくするのもある。ハート型の短冊を何枚も使い、大き目のひらがな文字で「や」「じゅ」「う」「せ」「ん」「ぱ」「い」と書いてある。ふつうに解釈すれば「野獣先輩」となる。こりゃぁどういう意味じゃろ、映画で「美女と野獣」つぅのがあったが、書いた子はこの美女のヒロインのつもりで自己同一視しているのか、そして先輩が野獣?とすると、この子ぉはどんな恋愛シュチュィエーションを願っているのだろう。きっと願う相手は筋骨隆々、そして若いのにヒゲぼうぼう、胸毛もあるに違いない。そしてたくましい腕で「愛(ぅ)いやつよのぉ~」とか言いながら、ぐっと引き寄せ、キツゥく抱擁、間髪を入れずブチュとあつい口づけ、「いやぁぁ~~~ん、先輩の股間がコリコリして、痛ぁぁい!」ってか。色ボケジジイの想像をかきたてる。

 せっかくのバレイタインデェの願いなのに他の願いを書いているのもある。別に悪ぃことではないが、それが「金、金が欲しい」「大金が転がりこみますよ~に」などと、鳴門ボートレェス場の入り口ボードじゃあるまいし、高校生のうちから金銭欲剥き出しなのはちょっとなぁ。「しぁわせになりたぁ~い」なんぞは、恋も愛も金も健康もすべて含んでいいと思う。他者の幸せを願うおもいは好感が持てる。「〇〇さんの病気がはやくよくなるよ~に」など、本来の聖バレイタインデェはそんな主旨じゃなかったのかな。

 高校生らしいのもある。「イケメンじょうなん彼氏がほしい」、じょうなん、すなわち城南高校、ワイの時代から偏差値の高い有名進学校だ、昔は全県の(優秀さ)憧れの高校だったが、今の高校教育界でもそれは残っているのだろう、そしてその優秀な城南高校生の中でもイケメンとわ、まぁアイドルとの恋愛を願うようなものだろうか。

 生物学的にみると動物のメスは本能的に、交尾行動には、あいてのオスが優秀なのを選ぶという傾向があるから、ヒトのメスが頭も見目形もいいオスを願うのは理にかなっている。じゃが万物の霊長である人間はそのような生殖行動だけでは恋愛は説明できない、もしそうならばブ男やオヘチャは後家(♀~♂の独り者)ばかりになるが世の中はそうなっていない。第一「イケメンじょうなん彼氏がほしい」の願いの高校生が女子という前提で話しているが、これもしかすると男子高校生ということも考えられるからなぁ。

 こんなのもあった。熟語二つ「明白な天命」、これをみて、あぁこれも高校生じゃな、とワイは気づいた。一瞬、主に恋愛の願いを書く短冊にこの言葉は、よっぽどシニカルな考えの持ち主、さらに言えば、いろいろやってもしょせんは宿命があり、結局その方向に定まるというような達観した人生観の持ち主じゃないだろうか、とも思うが、高校生からスッとこの言葉が出てくることは不思議でも何でもない。英語の単語帳よろしく世界史の用語辞典を、大学入試のために暗記しているならば、この「明白な天命」(マニフェスト・デスティニー)は必須用語となっている。アメリカ西部開拓時代のキィワァドであり大意は「合衆国が北米大陸の西へ西へと領土を拡大していくことを、神の定めとする思想です」、オベンキョで新しく覚えた新鮮な言葉を、どっかで使ぉてみとぉなるのも青い時代の高校生の特徴なんですよ。

 その明白であるが、願い主の多くが高校生と推定される中にあって、あ、これはワイとおなじジジイやわという明白なのがあった。「孫が元気に育ちますように」、ええ爺ちゃんになっとるわ。

 それに励まされて、ふとワイもなんぞ願いをかいてこまそ、とおもったが、神社の絵馬、寺の願掛けならいざ知らず、「どぉ~~~ぞ、寝たきりになりませんように、オムツせんでいけますよ~に、長く苦しまず、ポックリあの世へいけますよ~に」と書くのは、この場にふさわしくないのでやめた。さっきの孫の幸せを願うジイちゃんに比べてなんと「哀しき願い」であることよ。

 ということで最後にヨウツベの歌で「哀しき願い」を貼り付けました。もう今から60年も昔にリリスされた歌です。高校生のころラヂヲから聞こえてくるこの歌をきき、気に入って聞くだけでなく、自分も歌いました。今聞きながら、17.8歳のころ、恋か愛かわからないが、好感を持てる人がいたのを思い出す。しかし当時の高校生と比べてもワイは悲しいほど消極的で、手をつなぐことさえ成就する可能性は0パーセントだった。歌の文句のように、あきらめ、そして内向して沈潜する、サビの だぁれのせいでもありゃしない、みんなオイラがわるいのさ~が今でも哀しく響く。
 

2025年2月11日火曜日

記念日のスポットに行ってきた

  今日の建国記念日にちなむ県内のどこかの場所に行こうと、佐古七番町あたりを歩いているときに思いついた。さてその場所は?全国区でいうと今日の記念日のもととなった神武天皇即位の地と言われている奈良の橿原神宮があるが、そんなところまでは行けない。では徳島でその分社、つまり神武天皇をお祀りしているところがあれば、それが県内の、建国記念日にちなんだスポットということになる。

 アミコビル内でWi-Fiの電波を拾って探すと、土成町の樫原神社(同じ読み方だが字が違う)が神武天皇をお祀りした神社であることがわかった。しかしこれもちょっと距離があって今からだと行くのは無理だ。

 他にどこぞないか、と思いついたのが眉山ふもとにある神武天皇の銅像。ここなら佐古からすぐ近まである。ちょっと歩くと寺町に入り、そこの滝薬師はんから石段を上る。しばらくヒルクライム(坂登り)をしていなかったので体はキツイ、休み休み、セコセコ、ようやと神武天皇はんの銅像前広場についた。ここは坂登り・てくてく歩きの御達者なご老人たちが屯しているところであり、また早朝ラヂヲ体操なんどもやっている場所である。


 神社ではないが拝礼をおこなう。神武さんの弓の先にとまっているのが大和征服の道案内をしたといわれている八咫烏(やたがらす)である。


  ここからの眺めはよく、徳島市中心部が見下ろせる、そして遠くには紀伊水道もみえる。

2025年2月10日月曜日

のど自慢

 


 昨日、ワイの生まれた町で、某公共放送の「のど自慢大会」が生中継された。会場にはいけなかったので、あとで録画をみた。

「だれぞ、知っとる人おるやろか」

 いたいた、ワイより年上でもう八十歳にはなろうかという「I」さんだ。映像で見たところ矍鑠として、肌もつやがあり、髪黒々ふさふさ、ステージにすっくと立った姿は、まだ60代と言っても通るほどだ。徳島の民謡が上手いと聞いていたので祖谷の民謡「粉引き歌」でも歌うんかいな、と思っていたが違った千昌夫さんのなんちゃらいう歌だった。ひいき目に見ても貶(けな)し目にみても出場者20人の中では一番うまかったように思う。朗々とでも形容するような声のボリュゥムや屈託のない歌いぶりに感心した。

「こりゃ、かなり、歌いこんどるな、それもちょっとしたステージみたいなところで」

 歌の終わりにキンコンキンコン~キンコロクァ~~~ンと鐘がフルに鳴り響き彼は入賞した。この日の入賞者は20人の出場者のうち5人で、最後の審査発表でなんと、「I」さんはチャンピヨンに選ばれた。

 ええなぁ~、こんなドサ回りののど自慢大会、みたことのある兄ちゃんや姉ちゃん、おばはんおっさんが、趣味で歌っている歌を上手下手にかかわらず披露するって。振り付けも洗練されていないけどその分新鮮やわ。歌い終わった後のコメントもおもっしょい。「〇〇ちゃん、見てますか~、好きですぅぅ」、「ウチの猫が五匹も子ぉ産んだんじょぉ」・・など

 ほにゃけんど、ワイの好きな歌とか銭湯で歌いよる歌なんぞは古臭くて、こののど自慢大会のエントリィ曲には全くなかった。いっちょ古い歌がその「I」さんが歌った千昌夫はんの歌やから。後は歌どころか歌手の名前も全く知らん歌ばっか、大文字のロゥマ字が三つ並んだんが歌手の名前って、そりゃアンタ、知るはずおまへんがな。ワイからすれば昭和40年代以降は新しい歌だ、ワイの知る古き良き時代の昭和20年や30年代の歌を歌う人なんど死に絶えたんかなぁ。

♪~くぁぁっぱ~くぁらぁげぇて~、三度ぐぁぁさぁぁぁ~~、どくぉねぐらぅぅらぁぁのぉぉ、渡りぃぃどぉぉりぃぃ~、愚痴じゃなけれどぉ、この俺ぇぇぇにゃぁぁ~

 三波春夫はんの「雪の三度笠」、どこぞの爺ちゃんが歌うの聞きたかったな。まぁええわ、今晩、銭湯でワイが歌ってこまそ。

2025年2月9日日曜日

なにもブチ殺さなくても

  昨日のローカル紙に徳島市の上八万地区で出没していた猿が捕まったというニュスが載っていた。その経緯を簡単に説明すると

 出没が問題視されだしたのは今年に入ってからだった。徳島市上八万町(八万も含む)を中心に34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害6件確認されていた。いずれも同一の猿とおもわれる。

 そして捕まったのは、7日午前6時、徳島市八万町の文化の森の近くに市と猟友会が設置した箱型の罠にかかっていた。体長60センチ、若いオスのニホンザルであり、被害をもたらした猿同一個体であると思われる。

 その記事の最後は、なんとも悲しく私には衝撃的な一文で締めくくられていた。

 『猟友会によって、その日のうちに殺処分されたということです。』

 「ええぇぇ~、なにも殺さなくても、他に何か手立てなかったのか、殺処分って、文字から伝わる処分の言葉にはまるでゴミか何かを処分するような嫌な響きが感じられる」

 新聞には、このまま(多少の脅しを猿に加えて)山、つまり自然に返しても人に馴れている猿だから、また再び被害があることを考えての決断だったという意味のことが書かれていた。なるほどそれはそうだろう。しかし殺すという手段以外、他の方法は考えられなかったのか。その日のうちにという言葉に、もう少し時間をかけてよい方法を見つけ出せないものかといいたくなる。

 地域住民の言葉もいくつか載っていた。

 「サルは危害加えるからね。子どもにね、危ないしね」

 「もし私、出会ったら怖いな~と思ってたんですよ。安心しました。」

 しかしこのコメント、その日のうちに殺処分したということを聞いてのコメントだろうか。もしそのことを聞いての感想なら、何も殺さなくてもと思った人も多くいるんじゃないだろうか。

 去年、秋田県でツキノワグマが里へ下りて人に遭遇し、多くの被害が出たとき、やはり捕獲した熊の殺処分についていろいろな意見が出た。殺すな。という脅しのような電話が来て問題になった。その時に行き過ぎた感情的で過激な殺処分反対があったため、むしろ世論は殺処分止むを得まい、という意見が多く、支持も多かった。そのことがわが県民にもニュスとして伝わっている、おそらくこのまま県民の意見は殺処分是認に傾くのだろう。

 秋田の熊の場合、殺処分反対派の言説も過激だったが、殺処分を是認した行政当局(具体的には知事・市長)の言説も結構過激だった。

 「あ~もしもし、そんなに殺処分に反対するなら、ご住所をおっしゃって下さい、熊をお送りしますから、そちらで、被害がでないように措置を講じてかわいがって育ててください」

 反対派は黙るしかない。

 しかし、熊と猿を同じにしてはいけない。熊は人命にかかわるほどの被害を人にもたらす。死亡事故、重症者が出る。人に馴れ、人里へ餌をあさりに来る熊は、たとえ電気ショックなどの脅しを加えて自然に放逐しても、再びやってくる。より賢くなっているかもしれない。そして人に遭遇し被害をもたらす。猿も同じじゃないかと、思われようが、上記の記事の被害の実態を見てほしい。「34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害が6件確認」である。確かに怪我を負わせてはいるが、すり傷などの軽傷で、それも5~6件に1例である。足にしがみつかれ驚いて転倒が多く、引っかかれたのもあるが、人と猿が共存する高崎山などの猿のいたずらくらいと言えばいいすぎだろうか。中には、歩いていて、なんやら、足が重とぉなったなぁ、と思ってふと重くなった足をみるとお猿さんがしがみついていた、っちゅうのもある。驚いて振り払うと逃げて行ったのである。この程度ばかりだと、「おさるさん、おいたはダメよ、メッ」であるが、軽傷ではあるが人に障害をあたえればそれは許されるべきではない。

 その被害を軽視するわけではないが、熊との違いは明瞭である。確かに猿は捕まえられ同じ個体によるその後の被害はなくされるべきである。しかしそれが殺処分に相当するかというと私はそうじゃない方法を考えるべきだと思うのである。熊は人の命を奪ったり、重傷を与え重い後遺症を負わせる。対し猿はいずれも軽症である。殺人を犯した犯人が死刑になるが、人に軽傷を与えて逮捕された人が死刑になるだろうか、量刑相当というものがある。私が何も殺さなくてもいいのじゃないかと思うゆえんである。

 熊を殺すのがいけないといって、じゃぁお前が飼うかといえば、嫌である。しかし、猿の場合はどうだろう、殺すくらいなら、飼えばいいと考えれば、飼う方途も見つかると思う。


 殺処分を猟友会にまかせたが、猟友会も内心猿を殺したくないんじゃないだろうか。本来お山の猟師さんたちは、猿を「山の人」、あるいは「山のオヤジ」と呼んで、弓矢鉄砲を向けず殺さなかった。ヒトあるいはオヤジというように人のような愛称で呼び、人間に最も近い動物として扱ってきたのである。さらには猿は神の使い、あるいは神そのものとしても崇められた。

 今から五年以上前にアップしたブログ、2019年9月14日の記事・「ここいらへん(徳島)に猿の神様っているのかな」を読んでほしい。⇒ここクリック

 ブログを読んでもらうとわかるが、猿が御神体の一つであるこの寺の一画に、猿の寺にふさわしく小屋が設けられなかで猿が飼われていた。ニホンザルである。このようなところででもなんとか生かすことはできなかっただろうか、と残念で悲しくおもう次第である。

2025年2月8日土曜日

今朝は凍りついたわ

  昨日は、病院の予約日だった。診察をおわり病院の敷地内にある薬局で薬をもらって、外へ出ると、気温は低いが、風はほとんどなく快晴、午前十時ころだったが、この調子で行くと陽だまりはあったかいだろうなと感じさせる日であった。西の方を見ると、霊峰・高越山がまるで日本アルプスの峰のように白く輝いている。


 11時過ぎ、少し早いが某バス会社の社員食堂で500円のランチを食べた後、会社横の公園の南向きのベンチに座ると予感通り、風もなく、お日ぃさんがたっぷりと体にあたり、あったかくて気持ちいい。公園内の遊具のある方では近所の保育所・幼稚園の園児が保育士に引率されてきていて、元気に遊んでいた。正午ごろまではそんな春をおもわせる天気だったが、午後になると雲が広がりだした。

 それでも暗くなって午後七時頃、銭湯へ行く道の上には半月が出ていた。しか九時前銭湯を出ると細かい雪がたくさん降っている。見る間にまわりが白くなっていく。気温も急激に下がり、風もある。家に帰ると電気毛布を「強」にして早々と寝た。朝暗いころに目が覚めたがガイにさぶいので、布団のなかでぐずぐずしながら七時半にようやと起きて服を着かえる。外に出ると道はガチガチに凍っていた。車の通行もほとんどなく、たまに通る車はのろのろ徐行しながら進んでいる。下の道の写真で水たまりのように見えるのは水ではなく氷でそれも表面だけではなく底まで凍っていた。こりゃ車でのうても人でもすべるわ。そういう自分は長靴をはき、杖をもって町へ出てきた。喫茶店へ入り、そこのワイファイにつないでこうやってブログを書いている。


2025年2月6日木曜日

縁起物を紛失したが

  身に常時つけているものは値打ち物でなくても、紛失したときは大変残念に思うものである。昨日、チェア型の按摩器で、四肢も含めて全身をマッサージしようと、左手から時計を外し、右手首にはめている数珠も外そうとしたが、いつの間にやらなくなっている。手首からすっぽ抜けたようだが、全然気づかなかった。前日、風呂に入る時、外してまたつけたから前夜ははめていたことは確かである。昼頃までは手首にあったはずだと思う。いったいどこですっぽ抜けたのだろう。図書館のブースでジャンバーを脱ぐとき一緒に脱落したのだろうか。

 数珠の素材は紫檀だが手首に巻くほどの小さなものなので値打ちのあるものではない。しかし愛着もあるし、第一、念珠という言葉もあるほど念が込められたものと考えると、紛失は縁起という点では良くない。だがおそらくもう出てきはすまいとあきらめた。

 そしてずいぶん冷え込んだ今朝、家から外へ出るのに手袋をはこうと手に取ると、なんと右手の手袋にその数珠がからまっている。手袋を脱いだ時に一緒に抜けたようだ。結局、再び私の手首に数珠ははめられた。みつかってよかったわ。


2025年2月5日水曜日

寒波

  立春を過ぎての、昨日からの「氷が張るほどの寒さ」や「降雪」は今冬一番の寒波になるようだ。下は今朝国道192号線である。道路にも(薄いが)雪が積もっている。車はあまりスピードを落とさず走っていたが、これより西の地方や山間部は積雪も多く、車の通行には難渋しているのじゃないだろうか。(軽四トラックが写っていて特定を避けるためナンバを消そうと思ったが、ナンバに雪が吹き付けられ白くなっていてその必要ななかった


 急な気温の低下、強い北西風、降雪などは寒波の特徴であるが、75年間生きてきた経験から言うと、ワイの小ンまい時、昭和30年代は冬の間中、今日のような寒さは普通で、寒波と言えばもっと強力なものだった。氷が張るなんどということは毎朝のことで、北極生まれの寒気団が南下してワイらの地方を襲ったときは(それが寒波だ)、数センチの分厚い氷が張ったもので、それが解けないうちに次の氷が張るものだから、厚みを増したり、また何重にも氷がはったものだ。小学校の行き帰りで通る道のそばに天水桶があり、それに厚そうな氷が張っていたので、上に乗ってみたことがある。小学生で体重が軽いとは言え、割れもせず床のように体を支えた。小学校3、4年の時である。この頃は雪もよく降るし、積もることはもちろん、気温が低いせいか数日、時によっては十日余りも残雪があった。今は積もってもすぐ溶けて残雪が何日も残るということはなくなった。

 今日の全国の気象ニュスを見ると各地のドカ雪の報道が多くなっている。冬の温暖化が言われているのにそれに反する気象のようにも思うが、誰やら、たぶん気象予報士さんだと思うが、「冬の温暖化は、即、雪の消滅をもたらすものではなく、まず、それはドカ雪となって表れる場合が多い、冬の気温の上昇は、大気中の水分の上昇をもたらし、雪積雲を発生させやすいからそうなる」といっていた。

 北海道の帯広では2mをこえる雪で、何と一日の降雪量が観測史上最大の124cmに達したそうだ。北陸日本海側でも2mを記録しているところが多くなっている。

 昔しゃぁ、アンタ、雪ぃふって、よろこぶのはスキィ場のおっさんくらいやったが、今は雪景色や、雪そのものを楽しむ海外客雪のない国々・中国、台湾、東南アジアなど)が増えて、降雪、積雪を見て喜んでいる。たとえ雪がある国(欧州・北米)でも日本ほどの降雪積雪は珍しく、日本の雪を見るとその圧倒的な量に仰天する人が多い。


 中でも合掌造りの岐阜県の「白川郷」、お猿さんが雪の中露天風呂に浸かるのが見られる長野の「地獄谷温泉郷」などは、ただことないほど観光客が押し寄せて、雪で儲けさせてくれている。しかし今回の寒波によるドカ雪は、あまりにもものすごく、交通途絶の恐れも出て、バスや車も雪で止まれば観光どころでなくなるので、もうちょっと緩めてつかぃ、と天を仰いで祈っているようだ。今日のニュースで白川郷では一日の降雪が1mをこえ合計2m28cmになったといっていた。しかし大雪で降りこめられ、あるいは吹雪で動けなくなるのも、命に別状なきゃぁ、雪なんど見たこともない南国の観光客にはこの上ない体験になるんじゃなかろうか。

 今日一日寒波は続くようである。

2025年2月3日月曜日

二月二日、三日、四日は特異日?しょぉもない雑学

  まず今日の二月三日は暦の上で二十四節季の「立春」である。太陽黄道を二十四等分に分けたうちの1つである。だからその日は自動的に決まる。それが今日である。単なる黄道の通過点ではあるが、この頃になると太陽高度も(冬至などと比べると)高くなり、ゆえに日の光も強さを増す頃である。それは季節の変化の一つとしてとらえられ、立春と名付けられた。その名のように春の兆しが立ち始める日とされている。

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ 紀貫之

 今日は立春だが、予報では今日からガイに寒ぶぅなるっちゅう話だ。まだまだ気温は真冬であり、肌実感としては「どこに春らしいあったかさがあるんぞぃ」である。しかし先に言ったように徐々に強さを増していく陽光は確実に春を感じる。上記の和歌で貫之はんは「(以前手ですくった)その水が凍っているが、立春の今日、とけているだろうか」と(・・らむ)推量で和歌を結んでいるが、おそらくとけてはいまい。しかし晴れていれば光に春を感じ、風にもこころなしかわずかの春を感じたのかもしれない。

 立春の前日が「節分」である。だから昨日の二月二日が節分であった。それについて、友人が、「節分って二月三日じゃろ、と思ってた。二月二日なんやな」と言っていた。立春は毎年同じ日ではなく一日前後するときもある。だから前日にある節分も当然それによって変わる。年によってどれびゃぁ変わるかネットで調べてみた。するとおぶけたことに、今から60年も前の1966年から今年までの間はほとんどが二月四日が立春であり(五日も5回ある)、三日に立春が来るのは今年を入れてたった二度しかない。だから、たしかに節分は二月三日と一般的に思われてもしかたないとおもう。

 節分の日は「鬼は外、福わ内」と豆をまき息災を祈る日である。ところが今はそれに加えて恵方巻という巻き寿司を吉方に向いて食べて、息災を祈る行事もあわせて行われる。ワイの小ンまい時の、ウチラ辺の地方では断じてそんな風習はなかった。聞くところによれば大阪あたりにはそんな風習があったそうであるが、すし屋がそんなうまい話に乗らない手はない。全国にこの風習が広まれば、すし屋はより儲かる。そういうことで近年ではワイらの地方にまで定着してしまったようである。どこのスウパもきにょうは恵方巻が山盛りになって売られていた。すし屋はんのマーケチングの成功例じゃなかろうか。

 ここでふと思った。2月14日は恋人たちが注目するチョコを送るバレインタィィンデである。十日びゃぁばかり早いが、この「節分」の語呂がよく似てるから節分の日を「せっぷん」の日にしたらどうじゃろかい。ちょっと長めの恵方巻の寿司を恋人同士(別に男女でのうてもええのは最近あたりまえじゃ)両方からパクつき食べていく、そうすると食べ終わりに近い最後は接吻状態になりまんがな。で、恵方巻も売れるし、接吻もできるし、目出度し。我ながらええアイデアと思いまんがなぁ。

 ところがネットで調べるとなんと、すでに「接吻の日」というのがありました。知らなんだなぁ。接吻(キス)の日は、日本では毎年5月23日だそうだ。これは、1946年5月23日に日本で初めてキスシーンが登場した映画『はたちの青春』が公開されたことに由来しているそうや。残念。

 次にあしたの二月四日はなんの日?語呂合わせで「西の日」らしい。ホンマでっせ。ところが西の日があるのに、東、南、北の日はない。語呂がうまく合わないからだろうか。それにしても西の日だけしかないのはなんかの理由か。歳ぃいってあの世が近いワイがおもうに、西を大事にするのは、やはりあの世、極楽浄土が西のかなたにあるからじゃなかろうか。チィ~~~ン、ナンマアンダブ

 難波(大阪)にある「天王寺」の西門と西の鳥居は、極楽の門に通じているという。ここは西の方極楽浄土に通じるスターゲイトじゃ。下は13世紀の一遍上人絵伝より、天王寺の「西門」と「西の鳥居」