まず今日の二月三日は暦の上で二十四節季の「立春」である。太陽黄道を二十四等分に分けたうちの1つである。だからその日は自動的に決まる。それが今日である。単なる黄道の通過点ではあるが、この頃になると太陽高度も(冬至などと比べると)高くなり、ゆえに日の光も強さを増す頃である。それは季節の変化の一つとしてとらえられ、立春と名付けられた。その名のように春の兆しが立ち始める日とされている。
袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ (紀貫之)
今日は立春だが、予報では今日からガイに寒ぶぅなるっちゅう話だ。まだまだ気温は真冬であり、肌実感としては「どこに春らしいあったかさがあるんぞぃ」である。しかし先に言ったように徐々に強さを増していく陽光は確実に春を感じる。上記の和歌で貫之はんは「(以前手ですくった)その水が凍っているが、立春の今日、とけているだろうか」と(・・らむ)推量で和歌を結んでいるが、おそらくとけてはいまい。しかし晴れていれば光に春を感じ、風にもこころなしかわずかの春を感じたのかもしれない。
立春の前日が「節分」である。だから昨日の二月二日が節分であった。それについて、友人が、「節分って二月三日じゃろ、と思ってた。二月二日なんやな」と言っていた。立春は毎年同じ日ではなく一日前後するときもある。だから前日にある節分も当然それによって変わる。年によってどれびゃぁ変わるかネットで調べてみた。するとおぶけたことに、今から60年も前の1966年から今年までの間はほとんどが二月四日が立春であり(五日も5回ある)、三日に立春が来るのは今年を入れてたった二度しかない。だから、たしかに節分は二月三日と一般的に思われてもしかたないとおもう。
節分の日は「鬼は外、福わ内」と豆をまき、息災を祈る日である。ところが今はそれに加えて恵方巻という巻き寿司を吉方に向いて食べて、息災を祈る行事もあわせて行われる。ワイの小ンまい時の、ウチラ辺の地方では断じてそんな風習はなかった。聞くところによれば大阪あたりにはそんな風習があったそうであるが、すし屋がそんなうまい話に乗らない手はない。全国にこの風習が広まれば、すし屋はより儲かる。そういうことで近年ではワイらの地方にまで定着してしまったようである。どこのスウパもきにょうは恵方巻が山盛りになって売られていた。すし屋はんのマーケチングの成功例じゃなかろうか。
ここでふと思った。2月14日は恋人たちが注目するチョコを送るバレインタィィンデである。十日びゃぁばかり早いが、この「節分」の語呂がよく似てるから節分の日を「せっぷん」の日にしたらどうじゃろかい。ちょっと長めの恵方巻の寿司を恋人同士(別に男女でのうてもええのは最近あたりまえじゃ)両方からパクつき食べていく、そうすると食べ終わりに近い最後は接吻状態になりまんがな。で、恵方巻も売れるし、接吻もできるし、目出度し。我ながらええアイデアと思いまんがなぁ。ところがネットで調べるとなんと、すでに「接吻の日」というのがありました。知らなんだなぁ。接吻(キス)の日は、日本では毎年5月23日だそうだ。これは、1946年5月23日に日本で初めてキスシーンが登場した映画『はたちの青春』が公開されたことに由来しているそうや。残念。
次にあしたの二月四日はなんの日?語呂合わせで「西の日」らしい。ホンマでっせ。ところが西の日があるのに、東、南、北の日はない。語呂がうまく合わないからだろうか。それにしても西の日だけしかないのはなんかの理由か。歳ぃいってあの世が近いワイがおもうに、西を大事にするのは、やはりあの世、極楽浄土が西のかなたにあるからじゃなかろうか。チィ~~~ン、ナンマアンダブ
難波(大阪)にある「天王寺」の西門と西の鳥居は、極楽の門に通じているという。ここは西の方極楽浄土に通じるスターゲイトじゃ。下は13世紀の一遍上人絵伝より、天王寺の「西門」と「西の鳥居」
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