2025年2月17日月曜日

年こへて またきさらぎと

 

 去年の二月、ブログにも書いているが一年間有効の『ながいき定期』(徳バスフリ定期)をかった。買う時、「一年なぁ、買ぅても、はたして、その期限まで生きとるやろか、ようよう生きとっても、健康害して病気になっとったら、バスに乗るどころやないし」、と迷よぉたが、「まぁ、ええわい、一年無病息災のお守りとみりゃぁ、ええ」と考えた。そう考えると、お守りにしては現実に十分な威力を発揮する。徳バスの路線のあるところどこまでも行ける。フラリンこフラリンこするワイの強力な足ぃにもなるしなぁ。

 そしてなんとか生きて今年になり、その期限が来た時、前回ほどは迷わず、また一年、やはりお守りのつもりで購入した。少なくとも一年生きられたということで、お守りも効果があったと見なせるわな。しかし来年はどないなっとるやろ。生きとって足ぃ腰ぃたっとったらまた買うやろな。

 最後にながいき定期を読んだワイの下手糞な和歌を一首ご披露いたします。

 時はあたかも、「きさらぎ」(如月)、これは一説では「寒い月で更に着(物)を着るから、「着さら着」になったといわれている。二月ワイは定期をまたサラ(更新)にした、つまり期(一年の期)をさらにしたので「期さら期」、これも今月の如月(きさらぎ)に通じている。ということで。

 西行法師はんの次の歌、「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」を本歌取りいたしまして

年こへて またきさらぎと 思ひきや いのちなりけり ながいき定期

お粗末さんでした

付録

 上記のワイの拙い和歌に「如月」(きさらぎ)っちゅう言葉が入っているが、そういや、西行はんの和歌で如月といえば有名な下の句が思い浮かぶ

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

 そして西行はんのすごいところはその死ぬ時期の希望がかなえられたこと。なんと、彼が死んだのは2月16日(旧暦)、望月の頃に、という希望はかなっている。次に花の下にて・・というのがかなえられたかどうかであるが、それはちょっと定かではない。しかしなんぼうなんでも当時から有名な西行はんである。まさか行き倒れのように桜の木の根元でポテチンと死んだわけではあるまい。イメージとしたら、開け放たれた寝殿のなか、臨終の西行はんが横たわっている。光を求めて西行はんが横を向くと、寝殿の前庭の桜が満開で、その中の散りかけた桜の花びらが数片ひらひらと臨終の床まで風に吹かれてくる、それを感じながら西行はんは息をひきとった・・・ような情景であってほしい。

 今年の旧暦の如月の望月はいつか調べると3月14日となっている。だいたい例年太陽暦では三月中旬頃になる。しかしそのころ、桜は満開だろうか?温暖化が進んだ現代でも吉野の桜は四月に入ってからである。かなり早咲きの桜でもちょっと満開は無理か。しかし桜の花の下と和歌で指定しているから、やはり満開であってほしい。しかし、そもそも西行はんの読んだ和歌の花は桜だろうか。

 確かに和歌で単に「花」と詠めば、これは一般に桜をさすと思われる。どの高校の古典の教科書でも、この和歌に関する解説を読めば、桜を前提に話しをしている。ただちょっと時期が桜には早いのである。この如月の望月の頃というのはもう一つの重要な命日でもある。それはお釈迦様の入滅の日(涅槃)である。お釈迦様は(仏典によれば)、ある木の下に横たわり涅槃に入ったといわれている。沙羅双樹の木である。そして涅槃に時ならぬ花を咲かせたといわれているのである。

 それでは西行はんが詠んだ木の花は釈迦の涅槃になぞらえて沙羅双樹の花なのだろうか。確かにそういいたくなるが、やはり私は桜だろうと思う。お釈迦様の木に、それも世界がブッダを失う悲しみに、その時期でもないのに花を咲かせた沙羅双樹になぞらえるのは、出家した西行はんにとって恐れ多いのではないだろうか。ここは西行はんががずっと慣れ親しんだ桜の花と見るのが妥当である。先に西行はんの臨終のイメージとして中庭の桜の満開、落花、臨終の元へ数片の花びら、を思い浮かべたが、この西行はんの句の花の下と望月もそのようなイメージとしてとらえたい。

2 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

おいくらするんでしょうか?

yamasan さんのコメント...

ひさしぶりですね。今週はまた真冬の寒さとのこと、体調くずさないようにね、ところでこの定期、テルさんは若いのでまだ対象外です。値段は写真をよく見ると表示してあります。一日100円で計算しているようです。