先のブログ「バレイタインデの願い」を投稿したあと、PCのウィンドウ画面の左下のタスクバァをふと見ると、毎日日替わりで変わるアイコンが入っている。その日はなんの日かを象徴するアイコンである。今日は左のようなアイコンである。「なんぞいな」と思ってクリックすると、今日は「世界ラヂヲの日」であるという。その趣旨の一つに「ラヂヲは何世代にもわたり、最も広範囲にわたり、簡単にアクセスできるコミュニケーション手段として存在してきました云々」というのがある。
そうだなぁ、日本のラヂオの嚆矢は大正時代であるから100年以上も昔だ。一世代25年としてみると四世代にわたって聴取されてきたわ。100年前には信じられないような音響・テレビ機器、そしてスマホなんどが今幅を利かせているが、ラヂオは今でも聴き継がれているもんなぁ。
ワイが生まれた時からじいちゃんの家にあったラヂオは終戦の玉音放送を聞いたラヂヲだった。三球ラヂオである。といっても今の若い衆には分かるまい。三球とは達磨はんみたいな大きな真空管三つを用いるスピーカ式のラヂヲだ。スピーカ式と断ったが、昭和初めころの安いラヂヲは鉱石式ラヂオでレシーバァ(ヘッドフォン)を耳に突っ込んで聴くのみのラヂヲだった。だから一人しか聞けなかったのである。
その後、発達して、スピィカで大勢が聞こえるようにしたのが三球ラヂヲだった。このラヂヲがワイが小ンまいときウチにあったのである。戦後はもっと性能のいい高級な四球スゥパラヂヲもでてきたが、いまだに三球ラヂヲを使っていた。ダイヤルは二つのみ、一つは選局ダイヤル、とするともう一つは音量ダイヤルと思うだろうが、さにあらず。低級な三球ラヂヲである。これは「再生ダイヤル」(電波をもう一度増幅するためフィードバックさせる)と言って右に回すと一応音量はある程度まで大きくなるのだが、回しすぎるとハゥリングを起こし、キーーーン、ワァーーーンとなり、ラヂヲそのものが聞こえなくなる。そのため抑えられた音量内でしか聞けなかった代物である。
そんなラヂヲを子供の時からずっと使っていた。こどものワイの耳に入る音楽は、学校音楽と、たまに見に行った映画音楽以外は、このラヂヲから流れてくる音楽が大半だった。ジジババ育ちだったからクラッシックなんどの高級音楽をラヂヲで聞くことはなく、浪曲、歌謡曲が主だった。その中で、斬新なのが美空ひばり、三橋美智也、春日八郎だから時代がわかろうというもの。
中古のテレビが家に入ったのが中学三年だった。そのテレビから流れてくる歌を振り付けと一緒にきいたが、ラヂヲ時代と音楽の好みの傾向はそう変わらなかった。まったく新しい音楽の聴取ということで、起こった家というか私個人の大変化は、高校二年生の時に親せきからもらったトランジスタラヂヲだった。静かな深夜、一人でポータブル・トランジスタラヂヲを聴くようになり、新しい音楽の趣味はどんどん広がった。フォークソング、ヴィトルズ、ロックなんどの洋物の音楽、先のブログで紹介した洋盤が原曲の「哀しき願い」もその一つだった。それから大学時代にかけては、ラヂヲ深夜放送で新しいジャンルの音楽に耳を傾けた。
もうずっとラヂヲを聴いていないがこのブログを書きながら、またラヂヲ、それも深夜放送の歌番組を聴きたくなった。ところで今そんな番組あるのかなぁ。
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