我が町のショッピングセンターへ行った。入り口の横には花屋さんがあって(そういえば最大規模の夢タウンも入り口横に花屋がある)入り口付近にはみ出して鉢、移植用のポットに入った春の草花を販売している。
目も彩な色彩の多彩乱舞、いいですね。
買もしないのにあれこれとじっくり鑑賞させてもらいました。
色とりどりできれいな花が多い。私は実は早春に出回る花に強い好みがある。もちろん早春の花々それなりにきれいなのだが私の「zest」な花は2つ
『サクラソウ』
『すずらん』
である。鴨島ではここは大きな花屋さんだから、当然あるだろうと、ゆっくり花々を見ながら探した。
最近の花屋さんで見て思ったのだが、上のように一種類の花を鉢、あるいは移植用のポットに入れて売っているのもあるが、下に見るように小洒落た鉢・それを包むバスケットにまるで盆栽のように色とりどりな何種類もの花を植えて、一つのまあいわば花々の宇宙を作っている。
小さくコンパクトにまとまっていて盆栽好みの日本人の趣味に合いそうである。
「いいなぁ、私も買おうかな」
でも数千円!見るだけにしておきます。
語源学で考えるとプリムラは英語のprimeと同じと思われます。意味は最初の、とか第一の、極上、でありますが、ヨーロッパの寒い冬が明け早春に第一番に咲く花からプリムラと名づけたんでしょうね。
ネットの辞典から写真を引用しました。こんな花なんですね。
まあ私好みのこんな可憐で小さく目立たない花は花屋では商品にならないんですね。
派手な花に隠れて濃紫のヒヤシンスを見つけました。そしてまたアポロンの連想が・・・・・・・・・
ギリシャ神話ですが、百聞は一見に如かず、ごちゃごちゃ説明するより、アポロンとヒヤキントス(これが亡くなってヒヤシンスの花になるのだが)の主題のある絵画を見てもらいましょう。
嘆き悲しんでいるのがアポロン、死んでいるのはヒアキントス少年です。もう主題はお察しのように最近は少女漫画でも解禁されもてはやされている美青年同士の愛であります。ギリシャではどうもこれを至高の愛と見ていたふしがあるのです。後のキリスト教倫理ではソドミィといってもっとも忌むべき罪なのですが。
夜8時過ぎ、徳島駅前でストリートミュージシャンがギターを抱え歌っていました。前にはチップの小銭入れの缶と説明パネルが置いてあって、読むと、なんと61歳のオジンミュージシャン、私と変わらぬ年齢で、徳島でストリートミュージシャン!ちょっと感動しました。何によらず年齢を言い訳にして
「歳がいったからそんなことできんわ。」
などといってはいけませんね。生きている限り、チャレンジはできますものね。
写真は携帯で暗かったのと両方でぼやけてます。
4 件のコメント:
やまさん、感性と同じで繊細な花が好きなんですね。私は、一面の芝桜が見てみたいです。アポロンさんは粋な事しますね。愛の対象に規定は無いと言う事でしょうか、少なくともエロスを越えた愛であれば至上の愛に近いかもしれません。だんだん好きになってきました。(*^^*)
やまさん 彼女に花のプレゼントを買いにショッピングセンターに行かれたのでは?
失礼しました。
>>しんさま
やはりしんさまの芝桜も私の好みの桜草と同じ範疇に入ると思います。外国の誰かが言ってましたが日本人は何でも桜を好むと。冬~早春は「桜草」、秋には「秋桜」(コスモス)、この芝桜もコスモス同様明治以降入ったもの。ピンクの5片は一緒ですね。芝桜は「地を這う桜」と言われていますね。
確かに美しいですね。この一面の芝桜、全国放浪中北海道のオホーツクのどこかで見ました。
ギリシャにはあらゆる愛というかエロスが満ち溢れてますね。全く自由なエロスの発露を感じますね。
オイディプスコンプレックス、エレクトラコンプレックスの元となった息子と母、娘と父、などさまざま。
実はルネサンスの原動力となったのはこのような古典期の愛の自由さの憧れだったんじゃないかという気がします。
エロスと対峙させられるのはアガペですが、本来はイデアの世界に対する恋慕ではないかと思うのです。ところがキリスト教が無償の愛だの人類愛だの妙に高尚にしてしまったところがありますね。
しんさまはアガペの愛に生きるとして、どうもしんさまはエロスを自分から向けるのではなく、他の人のエロスを享受する方じゃないですか。って勝手な分析がすぎました。ごめんなさい。
>>てるさん
まさか!私は自然の花を観賞することにかけては人後に落ちないと思いますが、金を払って花を買うなどと、そういうことはまずありません。これに関しては「花より団子」ですね。
でもてるさん、私の真似をしてはいけません。女性には花と音楽、どんどんプレゼントしましょう。
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