2012年1月26日木曜日

アポロ似~ゥスの曲線


 この間からアポロ(これはローマ神話名でギリシャ名はアポロ~ン)という名をたびたび用いているような気がする。そして今日、「放物線」という言葉を目にした。
 人と頭の回路の配線が違う私は「放物線」からアポロを連想した。ただしアポロでも「アポロニウス」実在の古代ギリシャの数学者である。

 高校で習った数学をちょっと思い出してほしい。「円錐曲線」ってどこか記憶に残っていませんか?え、そんなん知らん!失礼しました。ちょっと図示して説明します。

    楕円            放物線              双曲線

 円錐の底面に斜めに切り落とせば断面は「楕円」。そして円錐の底面を切る形で縦に切れば「双曲線」、山の斜面の(母線)に平行に切れば「放物線」になるというものである。
 アポロニウスはこの曲線を見つけ、幾何学上の定義をしたわけである。

 「なんだ、それだけのことか、たいしたことないじゃん」

 とおっしゃるかもしれませんが紀元前3世紀に見つけたこの曲線、のちのち、すごい威力を発揮することになるのです。ケプラーが現れ、円と思っていた遊星の運動は実は楕円だったり、初速を有する物体の落下は実は放物線だったのをガリレオが確かめたり、と、この曲線なかなかの(くせ)もののなのです。(ってこの洒落わかりましたか?)

 このアポロニウスの曲線、大宇宙の運動とどうも同調してますね。

 さてここからはやまさんのいつもの妄想宇宙論の始まり始まりです。

 しんさまのブログに宇宙(個の命も進化の行く末もおなじこと)は「放物線」をたどる、とありましたが、全くあり得ることでやまさん、深くうなずいております。この軌跡はある意味最も自然な形と思われます。
 先ほども述べたように「放物線」は放り投げた石の運動であります。静止した手に持たれた石を宇宙の始めとしますと上方に投げることにより放物線を描き飛んでいきます。石の高度を宇宙の広がりと仮に考えますと、膨張を続けた宇宙は極大値を迎えやがて縮小に向かい、地に落ちた時、0になりすべて永遠に終息します。誕生→成長→極値→衰退→死、という生命と同じ宇宙論でこれによればもちろん一回きりで終わります。

 これがまず第一の宇宙論です。あと2つ考えておりますが、御推察の通りあとの2つはアポロニウス曲線の「楕円」、「双曲線」になぞらえるものです。

 まず楕円です。楕円の一種とも考えられる円は始点終点が明確ではありませんが、楕円の場合長半径の2点を始点、終点とすることができます。楕円は閉じた曲線でありますから始点から始まり宇宙が展開を続けて終点が来てもそこがまた始点となり、永遠に展開→衰退を繰り返すことになります。これは地球の「四季」と同じで枯れる冬を迎えても再び芽吹く春を迎えるのと似てますね。宇宙もそのようなものであってもおかしくはないでしょう。繰り返しのある宇宙になりますね。

 そして双曲線宇宙です。イメージとしては永遠に終わりのない展開が待っています。膨張を始めた宇宙は終わりなく広がり続けます。

 「終わりがないから一番いい。永遠に存在できていい。」

 と思われるかもしれませんが、無限の時間の果てとは実は恐ろしいものなんですよ。我々物質を構成する原子核の中の陽子、中性子の寿命は非常に長くはあるけど有限です。途方もない時間の果てにそれは崩壊します。そしておそらくすべての素粒子が崩壊し、最後は光子(フォトン)のみが恐ろしく広がった宇宙空間に薄く分布します。
 しかしそれでも永遠の時間からすれば序の口、いくらでも広がる宇宙、やがて無限という中にその光子も溶け込み、結局、極限まで(双曲線が極限までくれば漸近線に限りなく近づく様に)くれば限りなく「無」に近くなります。
 永遠に広がる宇宙とはそのようなものです。

 今、わかっていることは宇宙が膨張していることです。ということは将来これらの3つのうちどれかをたどることです。もっとも膨張途中で、バ~~~ンと突然破裂して全く違った位相に入るかもしれません。それはわかりませんが、普通に考えられることはこの3つのどれかではないでしょうか。

 どれであっても最後は物質など存在できそうにないですから、まあ一緒ですね。というより自分の寿命の短さを考えれば宇宙の最期を心配するなどはまさに「杞憂」ですね。

 この中ではほうり上げた石が放物線を描くような宇宙が私は一番魅力的です。なんといっても人の一生に似てますものね。始まりがあり、最高点があり、落ちて、最後は大地に返り、永遠に静止。放物線宇宙の場合、面白い宇宙も存在するかもしれませんよ。
 放物線は上方へ水平方向のベクトルも持って放り投げられます。だから最高点に達して落ち始めるとき(すなわち宇宙の収縮)前と同じ軌跡は当然たどりませんよね。
 ところが水平方向ベクトルを小さくし、垂直(真上)方向を大きくすると非常に縦長で細い放物線になります。そして水平方向のベクトルを0にすると、すなわち真上にほうり上げると直線となって最高点に達した後、同じ軌跡をたどり落ちてきます。
 もし我らの宇宙がこのようなものであれば、(そうあって欲しいが)、宇宙が収縮に転じたとたん、まるで映画のフィルムのコマを逆にまわすように今までたどった宇宙の動きを逆に正確にたどって宇宙は収縮するのです。
 永遠に会えないと思っていた愛しい人とフィルム逆まわしですが、再び会え、死んだ親は生きかえり、そして年寄りの自分は若くなって赤ちゃんになり、最後はお母さんのおなかに入る・・・・・・
 考えるだに楽しいではありませんか。

 実際に宇宙が収縮に転じたとたんこのような逆まわしの宇宙もあり得ると昔、なんかの本で読みましたよ。

謎に満ちて宇宙は広がる。アポロニウスの曲線が謎を解く鍵と・・・・・・やっぱならないか!

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

アポロニウスさんですか、紀元前200年も前にこの様な難しいことを考えていたんですね。ギリシャ人ってすごいんですね。今は・・・ですが、失礼しました。
 さて、宇宙と円錐曲線の関係、面白そうですね。楕円と放物線と双曲線の違いは離心率みたいですね。自然落下の時と、彗星が太陽の重力に引っ張られてから遠ざかるときの曲線とか、いろいろ考えられると思いますが、難しすぎてわかりません。惑星は楕円運動でしょうかね。宇宙は円運動か楕円運動だと思いますが、螺旋運動という説もありますし、双曲線みたいに無限に発散するのかもしれません。個人的には発散してほしくないような気がしていますが、それが新たな次元への入り口になるのなら、それでもいいかなと思いました。ヽ(^。^)ノ

yamasan さんのコメント...

ギリシャ人が好んだ学問は幾何学、音楽(理論が有名)と言われています。学問にも「美」を求めたんじゃないですかね。真善美は一致するというのがギリシャ人だったんじゃないかと思います。

 教養の基礎は東洋も西洋も「古典」にありますが東洋の古典は論語のような倫理哲学に偏っていてはっきり言って面白みに欠けます。

 明晰で徹底して本質を追及するギリシャ自然哲学はいいですね。私の能力のせいで理解が半端になっても面白いです。

 じゃあ、中洋とでもいう位置にあるインドの古典はどうか?これは深淵すぎて敬して遠ざけています。
 ギリシアの哲学者もインドの深遠な古典には一目置いています。一度だけアレキサンダー大王がインドに侵入を企て激突しましたが、インドの哲学者と問答の末、引き返したという話がありますが。
 インドの古典も面白そうです。しんさまはこちらの勉強を続けているんじゃないですか?

 遊星の運動は「螺旋」(そのため軌跡はちょうど薔薇の花を描く感じになる)というのはあり得ます。万有引力は距離の二乗に反比例するんだけど、この二乗、例えば、2,001のような小数が付いたものであった場合、楕円とはならずごくゆるく螺旋運動を展開するそうです。
 と本で読みました。

 なんかわかりもしないのに小難しいこと言ってすみません。

てるゆき さんのコメント...

やまさん 頭いいですね。円錐の曲線見ているだけでストレスが¨

自分の頭の悪さ実感します。

yamasan さんのコメント...

>>てるさん

 お勉強してますか。来週くらい気晴らしにまたお会いしましょう。