2022年8月13日土曜日

地蔵院の十三仏堂

 

  閻魔様は地獄の入り口の閻魔庁にいて嘘も隠しも出来ない峻厳な検察官兼裁判官で、罪が確定すればさまざまな地獄に放り込まれることを聞けば大変怖い神仏である。しかし前回のブログで紹介した源内さんの戯作の「根南志具佐」の閻魔様をみるとずいぶんと人間的な弱み(恋のため道を踏み外すという)をもった愛すべきキャラである。一方、江戸庶民は基本的にどんな神仏にも手を合わせるほど神仏に対しては敬虔な心を持っている。特に憤怒系の神仏には特別畏怖の念も強い。そうすると庶民はこれだけ源内によってコケにされたら閻魔様は、源内はもとよりそれを読んで笑い飛ばす我々にもなにか祟り返すんじゃないのかとは思わなかったのだろうか。しかし江戸期この戯作はベストセラーとなってしまう。そう考えると閻魔様は愛すべきとは言い過かもしれないが少なくとも親しみはもてそうな神仏として庶民たちにはとらえられていたのではないかと思っている。

 江戸には三大閻魔堂があって閻魔様単体の神仏として尊崇を受けている。江戸期には蔵前の閻魔堂が有名で「根南志具佐」にも出てきている。ここ徳島でも「閻魔堂」があるかどうか、先日からいろいろ(ネットや郷土の寺社関係の本)で探っているが、ヒットしない。どうも我が県には一堂もないようだ。香川には三つの閻魔堂がある。昔の阿波人は江戸っ子ほど閻魔様に親しみを感じていなかったのかもしれない。

 徳島には単体で閻魔様をご神体とする閻魔堂はないが、幾人かの神仏と合同してお祭りしたお堂の中の一体としてなら閻魔様はお祀りされている。それが「十三仏堂」である。このような形での閻魔様のご神像なら県内にいくつかある。参詣者の多いのは薬王寺の十三仏堂であるが、近くでは名東町の地蔵院の十三仏堂がよく知られている。先日・8月1日にその十三仏堂で閻魔様にお参りしてきた。

 地蔵院は水辺(名東池)のそばにある。幽明相分かつ境には三途の川が流れていてその向こうに閻魔庁がある、ここの閻魔様もやはり水辺の向こうにいらっしゃる。(見えるのが地蔵院山門)


 十三仏堂の中には十三体の神仏がいらっしゃる。


 その中の御一体が閻魔王である。


 閻魔様らしく怖いお顔をしていらっしゃる。しかし右に閻魔王とあるが、よく見ると左には地蔵菩薩とある。これはどういうことか。これは閻魔王でもあるが同時に地蔵菩薩でもある事を表している。実は閻魔様ってお地蔵さんでもあるわけだ。しかしお地蔵さんは慈悲に富むお優しいお顔をしていらっしゃるのに、もっとも怖いお顔の神仏である閻魔様と同じとは驚きである。これは仏教にはよくあることで本地垂迹説で説明されるが、ここでは詳しいことはいわない。例として憤怒系の不動明王は慈悲顔の大日如来でもあることをあげておく。

 亡者の悪を裁き、業苦を負わせる地獄のいわば支配者でもある閻魔王と、地獄にでも出向き亡者を救おうとなさる地蔵様が同じであるといわれてもちょっと納得しがたいが中世以来そのように思われ信仰されている。あまりにも恐ろしい閻魔さまなら、まさに「触らぬ神に祟りなし」で閻魔像などを造って尊崇することもはばかれようが、これが実は地蔵様と同じである、といわれれば、そうなのか、閻魔はんは地蔵さんやったんか、それならそう怖くはないな、と閻魔信仰も広がるだろう。

 十三仏信仰は亡き人の追善供養に関係している。初七日からはじまり三十三回忌のそれぞれ十三ある忌日・年忌に対応する仏様である。閻魔王こと地蔵菩薩はその中の御一体である。


 十三仏堂は13体の神仏がまつられていて閻魔さまも他の12の仏さんも皆平等に崇拝されているが、閻魔様が主体になって祀られてお寺あるいはお堂はないのか?もっと探ってみた。そのことについては次のブログで取り上げます。意外な発見があったよ!

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