先のブログでは名東地蔵院の「十三仏堂」の閻魔さんを紹介したが、説明したようにお堂の中は十三の仏さんがズラズラ並んでいる。そのなかに閻魔王もいるが他の仏さんと大きさも顔の形も皆同じ。閻魔さんが特別な存在の仏様ではない。
閻魔さんに特化して閻魔王だけが祀られている閻魔堂は、いろいろ調べたが県内にはないこともわかった(私が調べきれなかっただけかもしれないのでもしご存じの方は教えてください)、その過程でわかったのは閻魔さんに関するお堂はまず「閻魔堂」(これは徳島にはない)、そして先のブログの「十三仏堂」、それと「十王堂」というお堂もあり、そこにも閻魔さんが祀られていることがわかった。
十三仏堂と十王堂は本地垂迹説によれば共通の仏さんでそれぞれ(13体と10体だが)対応一致している。ただし十三仏堂は三体だけ十王堂にはない仏さんがいる。その二つの堂の違いは何か?小難しい仏教の理屈より百聞は一見にしかずで二つの堂内の違いを見比べてみるとよくわかる。十三仏堂はそれぞれ仏像の大きさに違いはないが、十王堂では閻魔さまが中心で像が大きく、他の九体は脇持仏の扱いで像も小さい。
平賀源内作の「根南志具佐」でも閻魔以外の十王(閻魔を除くと九王)が出てくるが、ここでは地獄の主君(支配者)は閻魔王で、他の十王は閻魔庁の審判に当たっては陪審の役、地獄の制度を幕府に例えると(実際に根南志具佐では地獄の階層制を幕府や藩に例えている)。閻魔は将軍、十王は御三家か老中という事になる。
十三仏堂ではみんな等しい仏だったが、十王堂では閻魔が中心でそのため像も大きく立派で他は脇持仏の扱いとなっている。だから十王堂に対する礼拝はほとんど閻魔王にたいする信仰と変わりがないのではないかと思っている。
十三仏堂の雰囲気にあまり地獄を思わせるものはないが(そもそもが十三仏はそれぞれの年忌供養に当たる仏なので)、十王堂は閻魔王が中心であり、また他の十王は地獄で亡者の審判の補佐に当たるのが役目である。礼拝で十王堂を訪れ、閻魔王中心の十王たちに向かい合っていると、ここは地獄のお裁きの場か?、という雰囲気が漂っている。いかにもここは地獄の審判庁であるとのイメージが膨らむお堂である。
その十王堂を検索すると県内で三ヶ所がヒットした。海陽町、貞光町、そしてなんと鴨島町のウチの近くである。ググルのストリートビューを利用して調べるが、お堂が確認できたのは貞光町の端四国八十八ヶ所・九番十王堂だけであった。あと二つの海陽町とわが鴨島の「十王堂」が検索でヒットしたのはそれぞれの町内にある小字(こあざ)名、すなわち「地名」としてであった。
しかし地名で十王堂という名が残っているということは、今は無くなったかもしれないが過去にはここに宗教施設としての「十王堂」があったことが強く推定される。その名残として小字名に残ったものだろう。(他県ではこのような神仏のいずれとも判然としないお堂は明治の廃仏毀釈の時にぶち壊され消え去ったものが多いから徳島でもそういうことが考えられる)
海陽町十王堂は遠くてちょっといけないが、鴨島町内原(小字)十王堂は幸い我がウチから近い、その地名の場所にいって古老(ワイも十分古老だがこんな地名があったのは知らなんだわ)に聞けば昔、どのあたりのそのお堂が建っていたかわかるかもしれないし、もしかしたら昔あったその信仰の実態も聞けるかもしれないと、暑い中、出向いた。
下の地図に示してあるのがが鴨島町内原十王堂の地名
十三仏堂よりず~っと閻魔信仰が強い十王堂が我が町にあったんや。暇だけはたっぷりあるこのジジイである、やがてお世話にならなあかん閻魔はんやから、このお堂もジジイの町内巡礼場所に加えとこや。
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