ある友人から盆に来てくれた僧侶のお布施袋にその家では「水の元」と何代も前から書いていると聞いた。しかし今となってはその意味が良くわからないとの質問を受けた。ウチはその人の隣町だが私の祖父の時代からそれは「御布施」と書いていた。あまり聞き慣れないというか全国的にそんな書き方はこの地方独特のようなのでそれで調べてみた。
最近の大学生のレポートよろしくネットでキーワードをチャッチャといれ、ズラズラとそれの説明らしい文があればそれらしい文を切り取り、コピペでできあがり、と簡単に思いつつ、いくつかのキーワードとともに「水の元」とググルにいれて 検索をかけた。しかしほとんどヒットしない。唯一あったのがやはり徳島吉野川上流域に住むらしい人の、御布施を「水の元」というのはなぜか?という質問のみであった。そのに対する実質的な回答はなかった!というのも全国的に御布施に「水の元」なんどというのは限定されたこの地域のみであるらしい。
結局、図書館で徳島の民俗学の大家、金沢治さんの本や県内各町村の「村史・町史」の年中行事の頁などをめくって調べたが、「水の元」という御布施の文字自体お目にかからなかった。
そこで以下は私の考察であるが、まとまったものではなく、いくつかの、そうではないかという推察を述べる。このうち全てが当たっていないかもしれないし、また一つは妥当性があるかもしれない(また複数当たっている場合も考えられる)
まず「水の元」を構成する文字は「水」と「元」である。
◎その1 仏教で「水」は単なる水にあらず、水は「閼伽」(印欧語のアクアから来ている)と言われ功徳水とも言われる。墓石の前に水盤に「閼伽水」と書いてあるのはご存じだろう。このように「水」は仏前(霊前)の供養に用いられる重要なものである。仏教では五元の一つである「水」は諸生命諸物を作る元素である。昔はこの五元(「地」「水」「火」「風」「空」の五つ)にもとずく五輪の塔が墓の一般的な形だった。その五大元の一つという意味で「水の元」という考え方もあるが、それがなぜボンさんへの布施料となったかについての関係性はわからない。
◎その2 「水」は霊の供養に用いられる。墓にお参りしたときよく柄杓で墓石に上から水をかける。あれは「人の体は水から出来ているのではやく水に帰りなさい」という願いを込めていると言われている。しかし仏教では「水」は仏前のみの供養にのみ用いられるばかりでなく、伝統的に僧侶に対しても供養に用いられる、古代インドの仏教では僧侶の足を水で清めたり、また(飲用としての)水を僧に捧げたりした。このことは「水」は僧に対する供養の象徴(つまり御布施)とも考えられる。
◎その3 盂蘭盆会(阿波で一般的にボニという)は昔は下の図のような精霊棚を作り霊を供養した。
本来は川の中に立てたり、また庭などに上図と同じように棚を作ったりして供養したが昭和時代になると次第に簡略化してきた(ワイのチンマイ時にはすでに青竹の棚なく、上図の供物のみ(全部の供物はそろえていたように記憶している)だった。ここでも「水」は重要な要素である。流れる水(川辺)のない場合は庭を水辺にみたてる。ここでは水とともに「火」も重要である。僧の読経の後、この前で「オガラ」を焚く、そのためかやはり徳島のある地方では僧のに対する供養料(御布施)を「お火元料」などと称したりしている。このようことからもお火元料と同じ意味でお水元料があっても納得できる。
◎その4 さて「水」については以上のような意味を有するがそれでは「元」とはなんだろう?ここで皆さん!ちょっと思い出してほしいのですが。僧侶に供する御布施(金品がほとんどである)は当然、檀家から寺の住職に送る定期的(ボニごとに)な物品である、これによく似た風習をご存じないでしょうか?時期もほぼ同じ、もうおわかりですね「お中元」です、「元」の字がしっかり入ってますね。お中元とは三元(上元、中元、下元)の一つです、旧暦7月15日です、まさにお盆ですね(上元は1月15日、下元は10月15日)です。この日にお世話になった方に対する贈答品として送るのを「お中元」と称してますね。一見、僧侶に対して送る供養料を「水の元」といい「元」が入るのは何でだろう?不思議な文字じゃ、と思いましたが「お中元」という言葉に思い合わすればそれほど異質な言葉の響きもないような気がしませんか?
まぁこれはあくまで私個人の確証のない推測にしか過ぎません。確かめる方法は来てくれたボンさんに問うのがいいと思いますが、医者と坊主は「ワイ、実はよ~しらんのでわ」とは沽券にかかわるのかまず言わないので、よく知らないまま、ええかげんな説明で茶を濁すこともあるから要注意。
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