2022年8月25日木曜日

マドロスもの


  大洋を航海する古典的な船員といえばどのようなイメージを持つだろうか?ここで古典的といったのは、現代の船員(ヒラの船員)は今どのような構成の人々が多いかというと、日本の船会社は人件費を考慮し、いわゆる開発途上国の人々を雇っている、日本の船ではありながら、士官・航海士以外の船員はヒリピン、タイ、インドネシャ、バングラなどがほとんで日本人船員はほとんどいない。いや士官、航海士どころか船長まで全て外国人という場合もある。外国航路や大洋を渡る船が日本人船員で占められていたのはもう二昔、いや四、五昔(つまり半世紀昔)も前の話である。それでここでは古典的な船員と行ったわけである。

 日本所有の外国航路船、大洋を渡る貨物船、タンカーなどのヒラ船員の給与は開発途上国の若者であっても思っているほど安くはない。日本国内のマックなどのファーストフードで働くより給料は断然いい。しかしいくら給料が良くっても日本の若者は外国へ渡る船などの船員にはまず応募しない。四六時中狭い船の中、仕事はきつく、危険、そして港を出発して外国へ向かえば数ヶ月いや数年も帰ってこられないこともある。精力ムンムンの男が何ヶ月も女性を見ることすら出来ない暮らしに耐えるのはきつかろうと思う、南極越冬隊ご推薦の空気で膨らましたダッチワイフの模擬陰部で精力発散なんど今の若い子に出来そうにない。

 だが私の子ンまい時、そして20代くらいまでは、外国航路の船員に対してある憧れがあり、そこに海の男のロマンも見ていた。それは幻想だったかもしれないが、そういうものをかき立てられたのも事実である。その頃はもちろんヒラの船員、厨房員でさえみんな日本人だった。3Kのキツイ仕事は今と変わりなく(いや装備が良くなった今よりこの頃はもっとキツかったはずだ)。そうであるのになんで外国航路の船員にロマンや憧れをもてたのだろうか。

 当時の船員さん自身はどう思っていたかは置く、我ら外部の人間がどのようにイメージしていたかを考えてみる。最もそれに影響を与えたのは、この頃すでに歌のジャンルとして確立していた歌謡曲の『マドロスもの』である。マドロスとは調べると語源はオランダ語であり水夫。船乗り。船員。という意味がある。歌謡曲の「マドロスもの」はその題の示すマドロス(船員)が主体ではない、そのマドロスに恋をした港の女性が主人公である場合が多い。

 寄港地でマドロスが過ごせる時間は短い、久しぶりの女性との逢瀬も短い、出港イコール別れが運命づけられている。そのマドロスとの切なく、はかない恋を歌っているのである。最初のマドロスものはいつ頃誰によって歌われたのだろうか。私のよく知る古い歌としては淡谷のり子の『別れのブルース』がある。この歌はなんと戦前、昭和12年の曲である。

~窓を開ければ港が見える~メリケン波止場の灯が見える~・・腕に錨の入れ墨彫ってやくざに強いマドロスの~♪~二度と逢えない心と心~踊るブルースの切なさよ~♪

 (ヨウツベの「別れのブルース」ここクリック

 この歌でマドロスの視覚的イメージが決定づけられる。力持ちでけんかに強く、男らしいマッチョ、だが女性には優しい、そしてなぜか白黒の橫縞のシャツを着ている、下のレコードの音盤写真のように


 そして私が小学校の時、大流行してマドロスものの曲としてジャンルが確定し、これ以後の流行も決定づけたのが美空ひばりの『港町十三番地』である。

~長い旅路の公開終えて、船が港に泊まる夜~・・みんな忘れるマドロス酒場、ああ港町十三番地・・♪~船が着く日に咲かせた花を船が出る日に散らす風~♪

(ヨウツベの「港町十三番地」ここクリック

 マドロスとの出会い、そして別れを暗示する歌であるが、ひばりさんはわりとサラっと歌っているので悲恋感はない、横浜の港町、そしてマドロスを詩的に美しく歌い上げている。

 淡谷のり子の切々としたマドロスものの歌、美空ひばりが軽い口調で歌い上げた横浜のマドロスさんの歌、ところが私が中学生のとき、まるで浪曲のように強く心に響くマドロスの歌が登場する。初めて聞いたとき、節回しに浪曲のような「うなり節」が入っているのではと思ったほどである。都はるみさんの一連のマドロス演歌である。もっともパンチがあると思われる曲が『馬鹿っちょ出船』

~赤いランプを灯した船が、汽笛鳴らして、さよなら告げる、二度と逢えないマドロスさんに、未練、未練ばかりを心に残す、馬鹿っちょ出船~♪

(ヨウツベの「馬鹿っちょ出船」ここクリック

 都はるみさんは今でも私は大好きで、特に初期の歌はマドロスもの(あんこ椿はなどもそう)が多く、上述のようにパンチが効いて、歌うと元気が出るから、今でも銭湯なんかで鼻歌として歌っている。そういえば最近、はるみちゃん、全然見ない、完全引退したのかな、まだこの世からリタイァしたとは聞こえていないが。

 さて私が中学から高校にかけて演歌はムード演歌というのが登場する。それに被さって「ご当地演歌」も大はやり、昭和42年発売の「小樽の人よ」なんかは両方兼ね備えていて好きだったなぁ。これなどは小樽という港町ではあるがマドロスものとは少し違う。このときまでのマドロスものは、ポパイのようにマッチョ、縞のシャツ、パイプを加え力強い海の男、そしてそのたくましい腕にぶら下がる女性・・そして出船ととも別れ、というイメージだったが、ムード演歌の流行はそのようなマスクリンな男だけが対象でなく、もっとおしゃれな(ある意味柔弱な)海の男一般を対象にする歌が出現する。マドロスものの一部である切ない別れを込めた港の歌が流行する。

 私が高校最後の年に発売されて流行したのが、待ちわびる男を追ってどうやら列島の各地を転々とする女性の心情を歌った森進一の「港町ブルース」、この時代はやったご当地演歌の一種ともいえるが、欲張りなことに列島の主な港町をことごとく網羅している。そして待つ、あるいは追いかける男にはマドロスのイメージがある。

~別れりゃ三月~待ちわびる、女心のやるせなさ、明日はいらない、今夜がほしい、港、高知、高松、小松島(と私は歌う)~♪

(ヨウツベの「港町ブルース」ここクリック

 この歌も私は大好きで、今でも馬鹿っちょ出船とともに歌っている。全国放浪好きの私だから、もう足腰たたん今になると、一曲で全国港町網羅のこの曲を、せめて歌だけでも放浪しちゃろと、歌うのである。

 そして今、船乗りは日本の若い衆には3Kで嫌われ、外洋の船の船員は異国の人で占められるようになった。マドロスにロマンを感じた時代は遙か昔に過ぎ去ったのだなぁ、との感を強くする。

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