2022年8月22日月曜日

歴史に見る武器のゲームチェンジャー

  ウクライナ戦争が始まってから注目を浴びだした専門家がいる。軍事評論家である。本業は大学院の先生であったり、防衛戦略研究所(防衛省にあるらしい)の研究員であったりする。実際戦われている「戦闘」の勝敗、そして時には人的被害(戦死者・負傷者)も予測するからかなりシビァーな仕事である。

 われら日本人はおおむね(もちろん反対の人もいようが少数派である)ウクライナ贔屓が多い。発端は(いろいろな経緯があったにせよ)一方的なロシア軍のウクライナ領土の侵攻だったため、どうしても(心情的には)ウクライナに加担したくなる。そうはいっても戦争は常識的に言って弱いほうが負ける。強い弱いというのは国力や戦闘意思の強さもあろうが、やはり軍隊の数、そして装備している兵器の質量が強力か弱小かによる。

 ウクライナ戦争が始まってもう半年にもなるがまだ勝敗は決していない。マスコミ報道を見る限り、どちらも優位に戦争を展開してはいないようにみえる。西側の報道などはロシア劣勢を伝えているが、真偽はわからない。当分続きそうであるところを見ると圧倒的優劣の差はついていないようだ。

 さて、最初に登場した「軍事専門家」がよく口にするキーワードに「ゲームチェンジャー」というのがある。互角に戦っている、あるいは膠着状態に陥った両軍の戦闘に「ある新しい兵器」が加わることにより、勝負が決しないゲーム(戦闘)を劇的に有利に持っていくことができるようになる。その「ある新しい兵器」をゲームチェンジャーとよんだりしている(戦術・戦略の革新もあろうがここでは兵器のみに焦点を当てる)。ウクライナ戦争の例では西側からウクライナに供与された「ハイマース」(高機動ロケット砲)がそれにあたるのではといわれている。これの導入によりロシアの苦戦が続き、押されていけば確かにゲームチェンジャーになるだろうが、今のところそうなっているかわからない。

 最新のテクノロジの塊のような兵器については情報不足でわからないが、歴史上登場した近代兵器については歴史を勉強していれば少しは知識がある。その中でいわゆるゲームチェンジャーになった兵器をいくつかあげることが出来る。19世紀末ころ登場した機関銃、そして20世紀初めの航空機などがそうであろうか。もっと古くは小銃がある、初期のそれは火縄式発射装置であったがこれを歩兵に装備し組織的に使ったときまさにゲームチェンジャーとなった。日本史の教科書には必ず出ている織田率いる小銃歩兵軍団と武田騎馬軍団との対決、長篠合戦である。これにより武田騎馬軍団は壊滅的打撃を受けたと言われている。

 日本史で火縄小銃はゲームチェンジャーになりえたが、それでは大砲はどうだろう、火縄小銃ほどはゲームチェンジャーにはなっていない。というのも日本ではこの時代大砲はほとんど活用されていないため数が少なく、勝敗を決する武器にはなっていない。理由を考えると、平坦地が少なく地形の複雑な日本では左に見るような砲架は移動が難しい。機動力を増すためには牛に引かすより馬に牽かせなければならないが、日本ではそのような運搬方法はなく、人力かせいぜい牛に牽かせるくらいであった(それでは機動力がでない)。大砲は日本では機動力・運搬に問題があるのと、苦労して戦略拠点に運んでも、それを生かせず、小銃のほうが日本人には断然使い勝手が良かった。

 当時の大砲の砲弾の大きさは重さ(ポンド、あるいは何貫)で表される。鋳鉄製か鉛、石などでスイカのようにまん丸で内部まで同質の金属で炸薬など入っていないから爆発はしない。そのため威力は限定されるが、密集隊形の歩兵に打ち込んで兵らをなぎ倒しつつ隊形を混乱させたり、また砦、城などの城壁を壊すのには力を発揮した。しかし日本ではそのような使われ方はほとんど無かった。ただ、戦国最後の騒乱といわれる大坂冬の陣で家康軍が何門かの大砲を大坂城に発射し、御殿を壊し、淀君を震え上がらせたのが知られている。だが戦闘のゲームチェンジャーとはなっていない。

 大砲は日本より大陸諸国の明や清では一般的でよく使われた。もちろんまん丸の金属の玉だから爆発はしないが当時の大陸の戦闘や攻城戦では使われた。そのため日本対明国の戦い(文禄慶長の役)では優れた小銃を多数持つ日本の歩兵、しかし日本兵は大砲は持たない、相手の明国は質量とも劣る小銃装備しかない、しかし大砲は多数ある、ということでかなりいびつな戦いを両軍がやった。結果として膠着状態になるが、異国の地だけに当時の兵站輸送を考えると日本が不利となった。

 大砲がゲームチェンジャーになるのは19世紀に入って大砲の弾が爆発する榴弾となり、その大砲が蒸気船と結びついたときである、当時としては最高の戦争のゲームチェンジャーになった。

 百聞は意見にしかず、で次の絵を見てみよう。世界史の教科書には必ずといっていいほど入っている挿し絵である。


 これは1840年アヘン戦争のときのイギリス軍と中国・清朝との水上の戦いである。勝敗は明らか、密集してモタつく清軍のジャンク、そりゃそうだろう風力や人力にたよる船では思うに動けず、戦で混乱するほどモタつき敵の餌食となる。対するイギリスは右のスマートな蒸気船(まだ外輪船ではあるが)、蒸気エンジンの力によって自在に動くことが出来、水上の戦略的優位な場所に瞬時に移動できる。

 そしてこの時代になるとイギリス軍は大砲の弾(球弾ではあっても)の中に炸薬を詰め、信管を装着し、爆発するようになっている。これで威力のある(着弾すれば爆発する)大砲の弾を発射するのである。上図のように見事、イギリスの砲弾は命中し、なんと、一撃でジャンク船が大爆発し撃沈されようとしているところである(実は弾の爆裂で船内の火薬の誘爆が起こったのであるが)。

 蒸気船そして爆裂する大砲の組み合わせ、この威力を示すのが上の挿絵である。これはまさにゲームチェンジャーになった。この象徴するところの意味は、これ以後アジアに海からやって来るヨーロッパ諸国に、アジア諸国は軍事では太刀打ちできなくなり、結果、アジアは植民地あるいは半植民地になるか、それともヨーロッパのこのような軍事技術を取り入れ、なんとか対抗できる国にするか、しか選択がなくなったということである。しかし対抗するのは難しく(なぜなら単に軍事技術のみの改良でそれは出来るものではない、その国の社会制度、文化、経済の変革も伴うものだからである)19世紀が終わるまでになんとか対抗できたのはほぼ日本だけであった。

 18世紀末まで頃の大砲は以下の動画に見るようにタダの鉄の塊、爆発しないので威力は限られる。

 

 そして18世紀末ごろ下に見るように信管が発明され砲弾(球弾でも)爆裂するようになり、威力が増した。


 上図挿絵の 蒸気船+最新の大砲 で清国とのアヘン戦争に勝ったこのゲームチェンジャーは、そっくり真似をしたアメリカのペリーにより日本に威圧をかけるため用いられ、幕末の動乱の幕が切って落とされたのはご存じの通り。

2 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

人は喧嘩したり、揉めたりしますね。動物もそうですが
叱責したり、罵倒したり
ロシアがウクライナの何がほしいのかわかりませんが
戦争はいけないこととわかっていてもなくならないですね。
日本は外国にやられ放題ですが
人は死んだら一緒だと思いますが

yamasan さんのコメント...

>>テルさんへ

まったくその通り、人はおろかですね、歴史も人生もよく似てますね。どこが?愚かしいことを繰り返すところがね。