ドラマを見ると案の定、後期高齢者のドラマである。その中で小松政男はヒロイン三田佳子(といっても79歳のばぁさまだが)の若い時からの友達として出演している(上記写真)。もちろん自分も79歳のジイさん役である。若い時は喜劇系の役者だったが、そんなことはみじんも感じさせない、飄々として歳枯れたぴったりの役を演じていた。
題が題だけにあまり暗くならないようにドラマの筋は夫が亡くなった後、隠し子がわかって大ショックを受けたり、あるいは主人公の子や孫を描いて家庭内の小ドラマを作り出し話を面白くさせている。それでも中心は80歳に近い後期高齢者とそのお友達(小松政男も含め)である。日々の生活の中、友達の病気見舞いが増え、また思わぬ訃報に接し、通夜などで顔を合わせる友達も一人消え、二人消えして人生の終末のわびしさが漂う場面も多い。
その中でワイが印象に残った場面がある。病気見舞いか、お葬式、あるいは墓参りの帰りだろう、主人公と小松政男、それと同じ年の友達、数人で帰り道、しみじみと語りあっている。
「今から思うと、60代の時は元気も気力もあったねぇ、もう一度あの頃に帰れたらねぇ」
その言葉にみんな同意して、一同大きく頷く。
「ほんと、60代は元気で若かったね、いい時だったねぇ」
とまぁ、同じセリフではないが、このような意味のことを語り合い、全員、同意するのである。
若い人から見れば60代も80歳のジジババも同じに見える。この人たちだって若い時はそのように見ていたはずだ。だが中年から初老になり、60歳を迎えるころになると、否が応でも肉体的衰え(老化)を強く感じるようになる。そして60歳を区切りに今まで一生懸命打ち込んできた仕事も一段落する。そんな身の衰え、生活の変化をうけつつ60歳を迎えたとき、「いい時代」は終わったと感じる人もいるだろう。還暦を迎えたとき一括りに「老人」といわれる人生の晩期に入ったと憂鬱になる人もいるだろう。
しかし、このドラマのセリフにあるように、80歳近くになると、60代は素晴らしかったといっているのである。80歳から見ると60代は全然違っているのである(もちろんいいほうに)。還暦を迎えたとき憂鬱になったのに、今からふりかえると、なんといい時代60代であったことか!全員感嘆しきりである。
身に染みて60代と今(79歳)の違いを実感できるとするなら、つぎのような未来予見もできる、
「今、60代を懐かしむように、また十年後、90歳近くなったら、もっとヨボヨボ、もしかすると車いすかもしれない、その未来の時点で、ああ、十年前はよかった。まだあちらこちらに歩いて行けたのになぁ、と同じような感慨にふけるだろう」
百人一首第84番にこのような歌がある。(詠み人、藤原清輔朝臣)
(永)ながらへばまたこの頃(ごろ)やしのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ今は恋(こひ)しき
これはまさに上記に述べたように、さらに老化した未来を先取りした感慨であり、ドラマの老人たちの感嘆の言葉である。百人一首は、ワイは高校の古典の入門編で、ソラで言えるように暗記した。昔はこの一首、わかりにくい文語である以上に言っている内容意味がよく把握できなかった。だが古希を迎えるこの頃、実感を伴ってこの句の意味がよく理解できる。
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