それにしてもピエール・ロチという名、いったいどうして記憶に残っているのか?かなり古い記憶のようだ。思い出してみる。まずその名、ロチ、外国人の名前にしても変わった名前だから一度きいたら頭にずっと残っていそうである。しかし、そんな印象的な名の著者が書いた作品なら、その作品も頭に残っているはずだがそんな記憶はない。どうも別の、たぶん日本人作家の作品の中に出てきたんじゃないかとまではわかったが、それから先、その日本人作家は誰だったか、作品は何だったかは思い出せない、しかしどうも中学か高校の時の国語の教科書の中の作品のようである。はてその作品は?
ネットで「ピエール・ロチ、中高教科書、日本人作家」などのキーワードを打つとすぐわかった。芥川龍之介の作品『舞踏会』である。なるほど芥川龍之介なら好んで中高の教科書にとりあげられる作家だし、またこの『舞踏会』は短編でもあるので題材としては適当であろう。芥川龍之介の作品は短編が多いが味わい深いものがある(だから教科書にも取り上げられるのだろうが)。『蜘蛛の糸』、『羅生門』などは中高の6年間のいずれかの国語に載っている。それらと比べるとこの『舞踏会』は出現頻度はグッと落ちる。ロチという名も知らずに大学に入る学生もいるから、ごく一部の教科書に載っているだけである。ロチという名は一度この作品を読んだものは忘れはすまい。この短編小説『舞踏会』の締めくくりは読者に強い印象を与える。それを与えるのがこの「ロチ」という名になっている。そのため読書後にロチという名が頭に刻み込まれるのであろう。
ロチの日本についての評論はちょっと評判の悪いところがある。いま借りて読んでいる『日本秋景』もそうだが、日本人の容姿について、彼はあまりにも率直に感想を述べているため、それを読む日本人としてはかなり衝撃を受ける。日本人の容姿をみて、いわく「・・・これほど醜い人々はめったにない」「・・黄色いサルのようだ」、よくて「小さくてかわいらしいサル」云々。日本人としては読んでいてムッとする。しかし、一方、西洋人からみたらそう感じるわな、と思う。彼の美醜についての感想はいつも率直である、容姿についてはかなり聞きづらいが、日本の美術、工芸、自然の美しさに関しては感嘆し、賞賛を惜しまない。つまり彼はお世辞などいわない、見たまま感じたままの心をそのまま文にしているのである。当時の西洋人が見た日本人および日本を率直に述べたものである。
だからか、この旅行記ともいうような『日本秋景』を借りて読みつつ、彼の日本に関する小説も読もうと作品『お菊さん』を図書館で探した。ところが蔵書がないのである。全県図書館検索システムで探すと県立の蔵書戸棚にたった一冊あった。それで借り出したのが左の本である。もう長期間読まれた形跡はない。もう本はボロボロ(よく貸出禁止にしないものだ)見ると、なんと私が生まれた年発行の岩波新書である。ネットで調べてももう半世紀以上新版の発売はない。ということは読む人が少なく人気がないことを表している。やはり日本人の容姿をかなり手ひどく描いているのがみんな気に入らないのかもしれない。とりあえず、いまピエール・ロチの作品『日本秋景』と『お菊さん』二冊を読んでいるところである。この小説のお菊さんのモデルになった女性が長崎にいた。このお菊さんはロチの短期長崎滞在中の「現地妻」であったとされている。
わが郷土にいたモラエスさんと(その現地妻?)おヨネとコハルを思い出しつつ、お菊さんのモデルの女性の写真を下にあげておく。二枚の写真とも同じ女性で、これがお菊さんのモデルだといわれている。いや、別人だという主張もあるが、当時の写真館でとる写真はかなり写真屋さんの修正も入るのを考慮してほしい。皆さんは見て、どう思いますか?どの写真も立っている男二人の右がロチである。
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