上記のタイトル、わが地方では訛って「おぶげんしゃ」という。今は死語と化しているが、昔の大金持ちのことである。この言葉が使われていたのは江戸、明治、そして最近私のブログでもよく取り上げる大正時代から昭和前期くらいまでだろう。昔の大分限者はわかりやすかった、立派な門構えの広い家屋敷をもち、そして必要条件として蔵(白壁の土蔵)がなければならなかった。住み込みの女中、下男がいて、ほかにも使用人がたくさんいた。
先日、上板の方へ渡る潜水橋を探していて、迷って重文指定の旧家の横を通った。時間があるので立ち寄って見学しようと思ったが、当分の間、コロナ防疫のため見学禁止とのことで、外から撮影させてもらった。
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