2020年4月4日土曜日

百年前のパンデミク その2

 このブログで武漢ウィルスについて書いたのが1月25日だった。題は『百年前のパンデミック』だった(その一月ブログはここクリック)。その時はまさかパンデミックが現実になり日本、世界がこんな大ごとになるとは予想もしなかった。その展開の速さに唖然とするばかりである。いったいこれからどうなるのであろう。一月から今までの急激な(悪い方向への)変化を見ているとこれからその傾向はもっと大きく加速度的になるんじゃなかろうかと心配する。

 百年前と違い今は病理学的な知見も格段に上がり、薬、医療技術も比較にならぬほど素晴らしいものになっている。今の時点でワクチン、特効薬は皆無だが、早く見つかる予想を立てている人が多い。そうなれば武漢ウィルスに対し人々の反転攻勢が始まり、抑え込みに期待がもてるようになる。しかし、これはかなり楽観的な見方である。

 我々の反転攻勢の武器はワクチン、特効薬である。その武器を手にすることはやがてはあると仮定しても、その時期である。指数関数的に感染者が増大し、全世界に蔓延して、飽和状態(つまりウィルスの側からしたらできる限り広がり、人体を屠り尽くし、ウィルスがもうワイ満腹じゃ!これ以上食べれまへんわ、という状態)までいってから、ワクチン特効薬ができても、そりゃ、もう遅い。六日のアヤメ、十日の菊である。また相手はコロナウィルスである。蔓延途中にコロ、コロ、コロナっと、別のモノに変異して、もっと強毒性を持つものになるかも知れない。(このような種類のウィルスは変異しやすいらしい)、とまあ、これが悲観的な見方である。

 ネット、テレビなんどでいわゆる専門家というコメンテタの先生を見ていると、楽観論に振れる人、悲観論に傾く人とどちらもいる(どちらが大勢かというのは数えていないのでわからないが、視聴者を脅しまくる先生が多い)。政府はどのような立位置かを見るとどうも楽観論に傾いている気がする。というのもオリムピクを来年7月に延期して開催できるとしているのだから、これは楽観的ではないだろうか。

 こういう世界的に大影響を与える現象(今回は感染症だが)は近未来であっても確実な予測はできぬものである。それじゃあその近未来の予測に基づく施策も立てられぬじゃないかといわれそうだが、このように人類にダメジを与える現象の予測についてよく言われることは、もっとも最悪の予測をたててそれに備えるべきだといわれている。もっとも最悪の場合、打つ手がないということも考えられるが、少なくとも心のうちでの覚悟は喚起できる。

 じゃあ、今回、近未来のもっとも最悪の状況はどのようなものであろうか。小説の題名は忘れたが三島由紀夫の小説の主人公がこんなことを言っていたのを私は印象深く胸に刻んでいる。それは

 『未来の出来事は不確実である。ただただ確実なのは過去に起った出来事のみである。』

 この言葉は単純に過去の知見経験が近未来を予測できるのに使えるといっているものではない。しかし、過去のよく似た出来事をいくつもならべてみよう。過去の過去からみたら、直近の過去は未来になる。そのより古い過去から新しい過去に向かって発せられるものにその時点での予測がある場合がある。とすると古い過去から新しい過去に向かって発せられるその予測はどうなっているのだろう、次々と古い順に調べられそうである。それらの過去の事象を多く見ることにより、よく似た出来事の近未来の予測を立てる時、誤差のブレは小さくなっていく。だからよく似た過去の事象を知り分析することが近未来の予測に重要になるわけである。

 そこで参考になるのが「百年前大正時代に全世界を襲ったパンデミック」である。これが完全に終息した大正十年十二月に日本の内務省衛生局がこの感染症についての報告書を出した。報告書の出された時代を考えるとその数値の正確さ分析の的確さは素晴らしいものがある。世界に誇ってよい報告書である。

さてその内容から我々はどんなことをくみ取れるか、見てみよう。まず、未知の新しいウィルス感染症であったのは今回と共通している。他にも共通点は驚くほど多い。かなり強力な感染力、そしてペスト、コレラなどと比べたら死亡率は低いがそれでも2~6パーセント(時、場所にもよるが10%を超えることもある)、飛沫感染で広がる、老若男女を問わず感染する、そして(当時は飛行機の移動はごく少数だった)船、鉄道によってかなりの速度で世界に広がりパンデミックになった(飛行機の大量輸送がないだけ現代より伝播速度は遅いが)。そして症例は、最初は風邪様、死に至るのは重篤な肺炎に至ってからというのまで似ている。

 これは非常によく似た疫病であるといえる。違っているのは、今の武漢ウィルスは高齢者になるほど死亡率が高いのに比べ、百年前は若年層、特に働き盛りの30代、40代が高かったことである。死の悼みはどの人も平等であるとはいいながら若い人の死亡率の高さを見ると百年前の疫病のほうがより凶悪である。

 次に我々人類はそれにどのように対処してきたのかを見ると、これも今の武漢ウィルスと百年前の疫病とほとんど同じであるといえる。まず、現在のところ特効薬がない。薬は対処療法のみである。マスクをして人前に出ることや人混みを避けることが求められているのも同じ。臨時休校が大規模に行われ、当時の日本では都市封鎖こそないが、劇場、映画館などの密閉して込み合う場所を避けるか閉鎖するようにも勧告されている。これらの内務省衛生局の国民への注意喚起を見るとこれ、現在の厚生省の注意と同じじゃんと思ってしまう。

 百聞は一見に如かずで、百年前に内務省衛生局がこの疫病対策のため作成し配布したパンフレットを見てみよう(この報告書にその図もある)

 通勤通学の汽車の中の様子である。「マスクをかけぬ命知らず」とあるインパクトの強いキャッチフレーズとなっている。見ると密閉型のいわゆる立体マスクが当時も今も同じ型であることがわかる、マスクの型は変わっていない。ただ黒マスクが多いのには意外だ。光の中微小な糸くずのようなものが飛んでいるがこれが疫病の菌であろう。

 これは家庭内の様子である。家庭であってもマスクをしないで唾を飛ばしたり咳をしたりすれば菌が飛んでいるのがわかる、ここでも菌はホコリのように舞っている。

 そして家庭で看病する場合でも、患者を別の部屋にして伝染しないよう求めている。現代の武漢ウィルスの感染者が増えて家庭内で看護する場合でもまったく同じことが求められる。

 繰り返しマスクと嗽(うがい)を求めるポスター、百年前は手洗の奨励ポスターはないが、病気一般の感染予防に手洗い重視は当然だったからあえて言わなかったのか、ちょっとそこが今と違う。

 そして次の啓蒙・奨励ポスターである。なんと、驚くことに「予防注射をしませう」である。え~~~~~ぇぇぇ?百年前の大正時代に疫病(当時の新型インフルエンザ)ワクチンがあったのかと意外感に打たれた。皮下注射を背中に打っているのが今と違う。
 百年前のパンデミックは数年にわたって流行したので、その間にワクチンができたのかな?ちょっとこれは疑問であるが、しかし疫病蔓延終息後その予防注射効果の検証も入った内務省の報告を読んでみて納得?これ効いたと思います?そもそもこれはどんな経緯のワクチンか?それはまた追々述べます。

 さて、いま流行りの武漢ウィルス、消息の気配はない、蔓延の上昇一途であるといってよい、中国は終息に収れんしつつあると言ってますが、みなはん、信用できまっか?ちょっとねぇ。

 それでは百年前のこのパンデミック、いつ終了したか。内務省衛生局はその流行を三期にわたってとらえている。初回はグッと蔓延しかなり大規模に広がり、大勢の患者死者を出しピークを上り詰め下り、そして患者が減少し事実上0になる。しかしそれは一回目の終了で、やがて二回目が始まり、やはり同じ山の曲線を描き同じ経過をたどる、そのようにして三回も同じ疫病の流行が起こったのである。

 報告書には 第一回流行(大正7年8月~大正8年7月)
       患者 2116万8398人
       死者     25万7363人(死亡率1.22%)

       第二回流行(大正8年10月~大正9年7月)
       患者 241万2097人
       死者   12万7666人(死亡率5.29%)

       第三回流行(大正9年8月~大正10年7月)
       患者 22万4178人
       死者        3698人(死亡率1.65%)

 そして三回流行の総計の患者数は 2380万4673人
            死者数      38万8727人(死亡率1.63%)である。

 これいかにものすごい数字であるか、当時の日本総人口(植民地を除く本国)は5719万355人であるが、その日本国民の総人口のなんと41.6%が感染したことになる。ほぼ半数近くであるが、ごく軽症であったものあるいは感染しても症状の出なかったものもいることを考えると、最近よく言われている、いわゆる全人口の6割近くが集団免疫を獲得すれば伝染病は終息する、という言説であるが、なるほど症状に現れない感染者も入れるとおそらく6割に達したんじゃなかろうか。それで三回にわたった大流行は収まったのであろう。「集団免疫」とはそういうことかと上記の数字を見ているとボンクラなオイラにも納得できる。これからわかることは次のことである。

 ●最初の第一回流行で大多数の人が感染しまくっている、最終合計感染者全体の8~9割がこの一回目で感染している。

 ●二回目流行はおおむね一回感染時の十分の一程度の感染者を出している。

 ●最後の三回目流行は前回(二回目)のさらに十分の一の感染者を出している。

 危機管理は最も最悪のケースを想定して考えられるべきだという。今武漢ウィルスは、症状、感染率、死亡率、伝播速度など百年前のパンデミックとよく似ているとみられているが、少なくともこの大正時代の感染症の広がり、被害を最悪想定して今の政府には施策を先んじて取ってほしいと願う。

 現在の政府はどちらかというと楽観的見地に立っているように思われる。オリムピクを一年延ばしたが、百年前の感染症は山や谷を繰り返し、足かけ三年流行したのである。内務省衛生局の報告書を詳細に見れば、3年にわたる期間のうち確かに谷となる部分では感染者がほとんど発生していない月もあった。でも現在の一年後の7月にその谷が来るという保証はないのである。まして当時と違いオリムピクを開くと世界各国からおそらく百万単位の選手、見物人、観光客が来るといわれている。その母国の国々で果たして感染症は収まっているのか、海外から人々が押し寄せるということは、百年前の蔓延にはなかった負の要素が加わることである。

 現代は大正時代と違い医学の発達が著しいから、それまでにワクチン、特効薬ができ、大正時代よりずっと早く鎮静化する可能性はある。まあそれが楽観論につながっているのだろう。でもそれは可能性である。8.9割の可能性なら一年後の安穏に掛けることもできるが、オイラなんかは五分五分という気がしてならない。国が丁半博打をするようなものである。

 上記の数字を見て気になるのは第二回流行時には、死亡率がなぜかド~~~ンと上がっているのである。「一回目より二回目の流行がずっと恐ろしい?」

 この内務省衛生局の報告は極めて詳細に各都道府県の月ごとの患者死者を記録している。それでオイラの住まう大正時代の徳島県の二回目の月間死亡率を見ると
 「ひぇ~~~~~~~っ!!!」
こ、こ、こりは、あぁぁぁぁ~~~ああ阿鼻叫喚の巷じゃ、と言わざるを得ない?いやちょっと大げさ?
 次回は絞ってワイの郷土、百年前大正の徳島をこの報告書から見てみよう。  

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