徳島の地方紙の大正7、8年は全部かけているので、東京朝日新聞を読む。記事は東京都下、全国の大きなニュースが中心だが、大正のパンデミクはどのようなものであったか知る手掛かりとなる。内務省衛生局報告書(スペイン風邪流行の記録)なども参考にしながら読んでいく。
報告書によれば初発は大正7年10月中旬となっている。新聞に流行性感冒の記事が登場するのが10月22日だ。
10月22日
これを読むとまだ新型の感冒・スペイン風邪は広がっていない。記事は感冒(風邪)一般の注意である。寒くなるので普通の風邪も多いが流行性もあることを記している。まだまだのんびりしたものである。おまけに今年の風邪は肺炎の併発もあまり起こさないとまで書いている。
ところが10月30日になると
10月30日
上記の日から10日もたたないうちに爆発的に患者が広がり、派出看護婦の要請が続き、あまりにも申し込みが多かったため看護婦が払底してしまい、その要求に応えられない事態になっていることが書かれている。今だと、医療崩壊か、という見出しが躍るだろう。
また続く欄は軍隊における猖獗、学校内蔓延による秋季の運動会や遠足の中止を伝えている。どちらも集団感染による罹患者の爆発的増加があったためである。
それからつづく下欄にはこのような記事がある。
見出しには、素人療法、とある。素人療法は危険なので医者に見せよ、と書いてあるのかと思いきやさにあらず、家庭内ではこのように療養あるいは予防すべきだという指針が書いてある。大正期に庶民は風邪など医者に見せず治していたのである。当時は医療保険などもなく医者の敷居は高かったのである。この記事で注目するところは、感染は飛沫だけでなく、患者の被服などからも接触感染すると書いてある。咳クシャミだけに気をとられてはいけない注意であるが、これは今日でも注意したいところである。
死亡率は千分の二とあるが、これは例年の流行り風邪の場合である。まだ本当の死亡率の高さは知られていないことがわかる。だが記事ではすでに流行しているインド、アメリカでは大きな死亡率を示していることに留意している。
11月5日
看護婦不足に続いて風邪薬の暴騰、品薄が続く。読むと、当時風邪薬の最も一般的で信頼できるものがアスピリンであったのがわかる。風邪の大流行による需要大に加え、(世界大戦)によるドイツからの輸入が途絶えたこともあり、なかなか供給が上手くいかず、価格も暴騰したことが書かれている。
そして同日の下欄には、スペイン風邪によって家族全員が倒れたことが書かれている。まず身重の妻が死亡、後を追って夫も亡くなる、四人の子供も倒れ、うち二人は重体とある。夫は大財閥の三井の支店長代理というからセレブである、そのため記事にのったのであろうが、スペイン風邪は上級市民でも容赦しなかった。その他名もなき大勢の家庭内でも大変なことになっていたと推測される。
11月7日
スペイン風邪は、益々猖獗を極めると、最大級の形容で感染が広がったことを報じている。軍隊は24時間大勢がすごし、寝泊まりする兵舎などはまさに三密の環境である。爆発的蔓延もうべなるかなである。この記事の左下にこのスペイン風邪の病原菌のことについての記事があるのでそちらに焦点を当てて次に読んでみよう。
おおぉぉ!今回流行の病原菌が北里研究所(当時もっとも有名な医学研究所、今もその系譜を引くのが北里大学である。)で確かめられたとある。その病原体は1892年にドイツのパイフォル氏が発見した菌と同じものであることがわかったというのである。病原体が特定されるとそれを培養処理してワクチンができる。感染予防に大いなる力を発揮する。この菌は記事にあるように16年も前に発見され、実はワクチンも存在していたのである。
だが百年後の知見をもって見ると、これは誤りである。今ではみんな知っているようにこのスペイン風邪病原体はウィルスである。上述のパイフォル氏の菌は細菌で今日ではインフルエンザ菌(インフルエンザウィルスとは別物)と呼ばれ形状は桿菌(棒状)で光学顕微鏡で見られる(ウィルスは電子顕微鏡が発明されるまでは見られなかった)ものである。寒天培地でも増やすことができる(ウィルスは生きた細胞内でのみ培養できる)。だからこのパイフォル菌(細菌)のワクチンを接種してもスペイン風邪には効かなかった。
スペイン風邪が猛威をふるい重症者、死者が増えるに従い、中小の製薬会社の中には怪しげなワクチンを製作して問題を引き起こしていた。それが次の記事である。
11月15日
有用な菌(上記のパイフォル氏菌)ばかりでなく、雑菌が含まれていて接種した人に副作用が出たとある。今日でいう薬害である。このような注射液に雑菌を含むとは言語道断である。製薬会社の談として、他の製薬会社の反感(嫉妬)を買ったのだろう云々、と信じられないようなことが書かれている。疫病の蔓延に付け込んで商売していると非難されてしかるべきだが、そんな厳しさは記事からはうかがえない、この時代だからだろうか。
そのスペイン風邪の病原体パイフォル氏菌説に対する疑問の記事である。なかなか学術的な記事である、このような疑問、検証などがやがて濾過性病原体(ウィルス)の発見に結びついていくのである。
11月25日(二枚続き)
記事を読むと元凶はパイフォル氏菌(インフルエンザ菌)※ウィルスとは違う、と双球菌(肺炎を起こす)の二つを挙げている。パイフォル菌が主か、二つが混合して流行しているのか、という議論がある。また大流行の感冒の病原体は未だ確認に至っていない特定するのは早急であるという意見も強くあることがわかる。この記事の印象ではスペイン風邪の病原体は断定できないというのが結論のようだ。
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