内務省衛生局の(スペイン風邪)報告書を読むと100年も昔のことでありながら、とった施策などは今現在大変なことになっている武漢ウィルスによる蔓延の対策と基本部分ではほとんど変わっていない。以前ポスターで紹介したマスクなどを見ると一世紀前とは思えぬそのデザインの斬新さに驚き、また予防注射をしませうポスターなどを見ると、今だ武漢ウィルスのワクチンさえない今より、むしろモダン(すすんでるぅ)じゃないかとも思ってしまう。(そのポスターを再び左にあげておく)
また人の密集を避ける、換気をよくする、咳くしゃみを手放しでしない、などの啓発、また国、県、民間とも協力し合っての社会的弱者救済の施策も基本は同じである。感染症対策の定石は昔も今も同じだということだろうが、報告書を読んで、百年も昔によくこれだけできたものだと感心してしまう。
感心したことの一つに愛媛県のとった社会的弱者に対する予防接種の費用対策がある。愛媛県は県内の県税免除者(所得が低いため)6万人に対して無料接種を行うことを決め、5班の医療チームを各地域に派遣し、また山村僻地の為には3班のチームを編成し実施したのである。また低所得者以外の人には一回15銭で実施したとある(この時代かけうどん一杯8~10銭)、今の金額だとせいぜい500円だろう。今、わが市で行われている高齢者向けの肺炎ワクチン(武漢肺炎ではなく普通の肺炎)接種料は4000円であるからそれなどをとっても大正期の施策の意外な素晴らしさに驚かされる。
大幅な外出自粛要請こそないが飛沫感染症のとるべき基本はしっかり取って、なおかつワクチン接種も行って、その結果、この大正のパンデミクはどうなったか?二年間にわたって三回の流行を繰り返し結局終息するが、一度目は全感染者の9割近く、二度目はその十分の一、三度目はさらにその十分の一、で終わってみれば症状のあった患者だけで全人口の6割近くが感染したことになる、その上たぶんほとんど症状の現れなかった人を加えると、この大正のパンデミックは確実に集団免疫ができておさまったといえる。
この大正パンデミックの特徴は初期における患者の爆発的増大である。徳島県において全県民の六割近くがわずか三ヶ月で感染したのを見てもよくわかる。免疫の全くない集団に感染力の強い病原菌が入ればこのようになる。それを防ぐのがワクチンがある。この大正時のワクチンはかなり初期、というよりこの流行以前から流行性感冒のワクチンとして存在していた。大量生産はすぐには間に合わないにしてもすでにあるのだから非感染者がすぐ接種すれば幾人かの感染は免れたはずである。当局もワクチン生産を急がせるとともに接種を上記の愛媛県の例のように推奨したのである。
当初からワクチンがあったのなら今流行りの武漢ウィルス感染より、有利なはずであるが、ワクチンの生産・接種は爆発的感染に追い付かなかったのである。しかし何度か前のブログでも言ったように、このワクチンは結果としてほとんど効かなかった。だからたとえあらかじめ多くの人が接種していたとしても、そして急速な流行にワクチン接種が追い付いたとしても犠牲者の数は変わらなかったであろう。この報告書でもワクチンの効力については疑問を持っているが、ワクチンが有効でなかったというのは、それからかなり後からわかったことである。
ワクチンは罹るまでの予防手段である。罹ってから頼りになるのは有効な治療薬である。この大正の報告書にも詳細に述べられている。しかし特効薬というものはこの時代に存在しなかった。タミフルやリレンザという病原体に直接作用して抑える薬は21世紀を待たねばならなかった。では庶民はどのような薬に頼っていたのであろうか。報告書の「療法」(薬)の部の緒言で次のように述べている。
「急性推移し重篤になるのもあるが、もっとも多いのは自然治癒である。このためいろいろな治療法の効果を断定するのはむつかしい。これが諸家が幾多の治療法を提唱している理由となっている。」
一回目流行時の死亡率は全国平均1.22%、大部分が重症化せずに治っている。庶民が、たまご酒で治ったわ、だの、いんやワイとこは、イモリの黒焼きぃ粉ぉにして飲んだら一発っちゃわ。だの、各種ためした怪しげな民間療法に対する、これが(上記)衛生当局の合理的な説明である。なるほどなと(自然治癒がダントツ多いのだ!)納得できる。
この報告書ではまず一番目にあげられている療法は「対症療法」である。この医学用語は今でも用いられている。つい最近までは風邪の薬はこれに類するものばかりであった。具体的な薬の筆頭にあげられるのはアスピリンである。あとにその他の解熱鎮痛系の薬がつづくが、筆頭にあげられるだけあり、アスピリンは100年たった今でも解熱鎮痛には普通に使われている優秀な薬である。あと強心剤、栄養剤、痰を抑えたり血管、運動神経に作用するものとしてアドレナリン、やエフェドリンがあげられている。こんな時代からアドレナリンはもちいられていたのだ、とちょっと驚いた。
この報告書で将来のもっとも希望のある療法として「化学療法」があげられている。なぜ将来希望のある・・といえるのかは報告書「化学療法」の項の冒頭文にこうある
「薬物療法中原因療法的意義に用いられるものを化学的特殊療法と看做し・・云々、」
今はこのような古めかしい言葉はまず用いられないが、「原因療法」とは要するに病原菌に直接作用、すなわちこれを死滅させるか増殖を抑制する薬物を使うということである。感染症の多かった当時、このような薬は、夢のような特効薬となるはずである。(そのような薬にサルファ剤、抗生物質があるがこれが発見されるのは1935年以降である)現代、細菌性病原菌はこのように直接抑えられるようになったが今もって各ウィルスについては一部を除いてそのように直接作用する薬はなく、今後の開拓が期待されている。
サルファ剤や抗生物質は大正時まだ発見されていないが肺炎球菌を殺すかまたは抑制する薬として具体的な薬のいくつかがいくつか挙げられている。報告書では当時の臨床医や研究者に、効いた薬で推奨できるもの何か聞き取っている。レミジン(肺炎球菌を殺すとある)を挙げる人が最も多い。他にはけっこう多くの臨床医がマラリアの特効薬である「キニーネ」を推奨しているが、今流行の武漢ウィルスに効いた薬として世界の多くの医者がやはりマラリアの特効薬「クロロキン」を推奨しているのは偶然の一致かもしれないが面白い。
また当時としては最もよく効いた化学療法薬に梅毒の病原体に作用する薬「サルバルサン」があったが、これを推奨する臨床医・研究者もいた。これなども今武漢ウィルスに効く薬のない中、他の病原体に作用する薬でそちらに効くものを探し出そうとしているのによく似ている。今よく耳にする「アビガン」なども転用薬である。探し求める手立ての方向は百年たってもよく似ているということか。
結局、当時としては夢のような(病原体に直接作用する)特効薬が生み出されるにはまだ早かった。そもそもこの病原体は細菌でもないから、たとえサルファ剤・抗生物質を用いても効かない、大正のパンデミクの病原体の正体はウィルスであった(H1N1型インフルエンザウィルスということが今はわかっている)。それに直接作用するウィルス薬ができるのはごく最近である。
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