2024年12月31日火曜日

大晦日の霊山寺

  身内が今年亡くなったこともあり、元旦の初詣は忌むため、きょうの大晦日、亡き人の供養も兼ねて一番札所霊山寺にお参りしてきた。本尊・釈迦如来さんと十三仏さんに灯明と香をささげ、心経を誦し十三仏真言を唱えてきた。

 もうすっかり正月の準備ができているようだ、山門には門松がたっていた。深夜、日が変わるころの参拝者のためだろうか、篝火の鉄製の台も用意されている(大麻比古神社へ初詣の人はこの前を通って、そう遠くない距離を露店などを見ながら歩く)。

2024年12月29日日曜日

売り暦

 


 百円均一ショップの「ダ〇ソー」には季節商品コーナがある。今の時期は「年末グッズ」が並んでいる。お正月などの飾り、正月関連の小間物が中心だが、各種の「カレンダー」もある。しかし、今日のブログのお題となっている「暦」(こよみ)と呼べる年末グッズ商品は、このダ〇ソーではただ一つ、左のようなものである。

 この暦本(運勢暦)は毎日、その日ごとの暦注その日の公的な行事や暦上特に記すること)などが書かれているばかりか、曜日はもちろんのこと旧暦では何月何日に当たるか、十干十二支、九星、さらには六輝(六曜とも)、十二直、二十八宿など、数千年の伝統はあるが、多くの人は良く知らない暦日の循環呼称が細かく記されている。今では暦日の循環呼称は七曜(いわゆる日月火水木金土)しか知らない人が多数だが、昔は上記のように様々な循環呼称があったのである。そのなかでも六曜(六輝)の循環呼称はいわゆる大安、仏滅、友引・・などで割と知られているが。

 160ページの暦本であるが、これが税込みで110円というから、その内容、ボリュームからすると信じられない安い値段である。十干十二支、九星、六輝、十二直、二十八宿などのいわれや意味なども分かりやすく説明されている。これらを知る読み本としてみても面白い。

 先に説明したいろいろな暦日の循環呼称は、吉凶を知る手段として使われる。そのためこの高島暦は運勢暦とも呼ばれ、昔から運勢をしる占いの一種として、信じる人には買われ読まれてきたのである。

 今日、私はそのダ〇ソーに足を運び、来年の暦本である運勢暦を買ってきた。毎年、買っているが、今日店に入って、この本が目に入るまでは、この内容ボリュームで110円で売るのはもしや去年(令和六年版)が最後かもしれないと思っていたのである。というのも、書店に並んでいる同じような厚さの「高島運勢暦」は800~900円はするのである。しかし去年と同じ110円ということで無事今年も購入できた。

 私はこの暦本を運勢占いのために購入しているわけではない。占いなどとは関係のない純粋に暦上のことを知るためである。まず、新暦のある日が旧暦の何月何日に当たるのか、それがわかれば月の満ち欠け形、潮の満ち干も自ずからわかる。また春分などの二十四節季がいつに当たるか、これはかなり詳しく書いてあって、日どころか、何時何分に二十四節季の黄道上の位置を通過するかも書いてある。

 天文現象の記載も見逃せない、特に月食や日食があれば、月食は旧暦の15日、日食は1日に必ず起こるので本年の暦本を買うと必ずチェックする。ところで旧暦の各月にも大の月小の月がある(大30日と小29日)が、固定した新暦と違って、旧暦では何月が大小の月になるか、この暦本を見るまではわからない。だからこの暦本から旧暦の月の大小を知るのである。

 また旧暦独特の「閏月」にも注意を払う、二十四節季の「中気」を含まぬ月が閏月となることがわかっているが、実際に今年のを見るまでは私はわからない。ちなみに来年・令和七年の旧暦では「閏六月」がある。つまり閏を含む六月が二回あるわけである。ちなみに来年の新暦7月25日が旧暦閏六月一日となる。これもこの暦本からわかる。

 以上のような理由から私は毎年高島運勢暦(暦本)を買っているのである。今は書店などで購入する暦であるが、明治以前、旧暦で暮らしていた時代は、年末になると暦売りがあらわれ町中を声を上げて売って歩いた。左は江戸職人風俗絵の「暦売り」

 

2024年12月28日土曜日

阿南牛岐公園イルミ

  タイトルが牛玖公園となっており正しくは牛岐公園です。

 

2024年12月24日火曜日

丈六寺山門と紅葉

  昨日新聞のローカル紙に徳島市丈六寺山門の紅葉が綺麗ということで写真とともにその紹介が載っていた。例年よりおそい紅葉で、最終の鑑賞に本日バスに乗って見に行ってきた。



 この寺の三門は県内最古の木造建築物で室町期の建築である。


2024年12月21日土曜日

今日は冬至、銭湯はユズ風呂だぁ~い 

  今日は冬至、どこの銭湯、温泉でもユズ風呂にするんとちゃうかいな。ワイはいつもの銭湯へいく。家の風呂でユズ風呂をするのがやっかいな人は、近くのスウパ銭湯あるいは温泉へ出かけてはどうじゃろか。


2024年12月19日木曜日

寒ぅ~い冬の夜、銭湯帰りの二人を歌った歌

  ワイらの世代で、寒ぅ~い冬の夜、銭湯帰りの二人(恋人)を歌ったフォークは?と聞くと、百人が百人とも答えるのは、かぐや姫の『神田川』であろう。

~貴方は もう 忘れたかしら赤い手拭 マフラーにして

 二人で行った 横町の風呂屋 一緒に出ようねって

 言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪が

 芯まで冷えて~♪

 しかし、私は神田川を第一には思い浮かべない。神田川の歌は昭和48年9月にリリースされているが、その1年半ほど前に(昭和47年4月)に発売されたあがた森魚の「赤色エレジー」のシングル盤のB面に入っている「ハートのクイーン」を真っ先に思い浮かべる。

~ポッケに石鹸一個入れ 軽石手ぬぐいぶらさげて

 君の細い影踏めば お風呂上がりの 寒い道~

 B面であることもあり、今では、ワイらの世代でも知る人も、ましてや歌う人も、ワイ以外はいないだろう。今夜のような寒い夜、銭湯上がりで帰る道すがら、この歌を歌っている。歌詞の内容とは違って、一人暮らしのジジイの銭湯帰りだが、歌えばちょっぴりだけ半世紀以上前の青春時代の自分に帰った気がする。

 その歌を下に張り付けておく

2024年12月17日火曜日

スゥパのイートインコーナ

  独居老人であるワイ、生来のものぐさであったのに、気・体も衰えたジジイになってよりものぐさになった。お片付けもしんどくなって、ほったらかし。家がゴミ屋敷になるのはいいとしても、なんぞエサはあさらにゃ命に係わる。去年くらいまでは朝メシをつくっていたが、それもしんどくなって、朝は手間のかからない買い食いか店屋物である。

 バァガのファストフド店、某牛丼屋の朝定食などへ行くか、朝メシになるような出来合いの食品をスゥパで買って食べている。それでよくお世話になっているのがスゥパのイートインコゥナである。ワイがよく行くイートインコゥナのある某スゥパはうれしいことに24時間営業である。ただし、イートインコゥナは深夜12時から6時までは使用禁止となっている。今朝も朝7時過ぎにイートインコゥナでかけてサンドゥウィッチを買い、備え付けのドリップコーヒメェカでコーヒを落としそれで朝食を済ませた。

 午前6~7時ころ行くと常連のジイやんやバァやんが何人もいる。まぁ、ワイと同じような独居老人かな、と思うが、フーテンの寅さん風に言えば「そうかそうか、意地の悪い嫁や息子に冷たくされて居場所がなくてここへきたのか」のセリフのように、家に居り辛いジイやんバァやんもいるかもしれない。このように書くとなんだか侘しげぇなイートインコゥナに見えそうだが、元気そうなジジババが何人もあつまってワイワイガヤガヤやっているので、そんなことはない。またこのスゥパの方針だろうか、3人もいる掃除係りのジイやんバァやんがせっせと朝から掃除しているので、イートインコゥナは隅々まで清潔である。もちろんトイレもきれいである。イートインコゥナで朝食をとる人ら、せいぜい500円びゃぁのモノしか買わんのになぁ。全くよぉ~できたスゥパやわ、儲けを度外視して老人社会福祉の一環に貢献してる。表彰されてもエエんとちゃうか。

 先日、ここでサンドゥウィッチとコーヒの朝食をとっていると、隣の机に突っ伏してグウスカ寝ていたジイやんが(この人も常連はん)、ムクッと突然起き上がりワイの方を向いて、「すまんけどなぁ、セコぅてたまらんから、救急車よんでくれへんで」というのである。唐突なのでちょっと驚いた。救急車を呼んでくれと言いうのだからかなり苦しいのだろうし切迫しているのだろう。直接ワイの携帯から連絡することも考えたが、スゥパのイートインコゥナであることも考慮して、すぐスタッフの方を探し、スゥパから連絡してもらうことにした。店長らしき人がその人に問いかけ、救急搬送を依頼し、10分ほどで救急車は到着した。そのじいやんをストレッチャーに載せ救急車に乗せたがそこから救急車はなかなか出発しない。ワイがそのスゥパを出る頃になってもまだ停まっていた。もう乗り込んで15分は経っているだろう。一体どうしたのだろう。

 翌朝、そのスゥパのイートインコゥナに行くと、なんと!そのジイやん、昨日と同じ机に突っ伏して寝ていた。

2024年12月16日月曜日

なるほど泡立っているわ

 


 十月ころまるで原野一面に菜の花が咲いているように見えたのが帰化植物のセイタカアワダチソウの黄いろい花であった。ネーミングはセイタカ(背高)そしてアワダチソウ(泡立ち草)と言われるように人の背丈よりも高い。そしてモコモコしている微小の黄色い花は泡立っているように見えるからそのように名付けたのだろうと思っていた。

 なるほどその花が泡立っているように見えないこともないが、黄色い泡っちゅうのはあまり見たことがない。それに形も泡立つにしてはちょっと不自然だ。

 12月に入った今日、そのアワダチソウが群れていた土手をフラフラ歩いていてそのアワダッチソウの花房を見た時納得した。10月頃は真っ黄色になっていた花房は、今はまるで水中からジャグジー風呂のように銀色の泡のかたまりが放射状に吹き出てきているようになっているのだ。これならまさにアワダチソウだ。


 そして今日、このブログを書いていて知ったのだが、今までは繁殖力が強く、大きく成長して邪魔になる嫌われ者の帰化植物というイメージを持っていたのだが、長く硬い木質化した茎を持つところから、よしずの代用としてすだれにしたり出来るし、また葉は乾燥してお茶として煮出して飲めるそうだ。薬効もあるらしい。へっぇぇ~ちょっと見直したわ。

2024年12月14日土曜日

師走 師は走らず、車を走らす

 


 あと10日でジングルベェ、一週間で冬至だ。師走はあわただしいといわれているが、ジジイにはのんびりしたものだ。寒ぅなっただけで日常の生活なんどはなんちゃかわらん。あいかわらずキチャのぉてビンボなジジイ生活である。

 それでもちょっとした懸念は今月にあった。もうすんだが9日に自動車免許の高齢者講習があったのだ。座学講習だけなら心配はないが、実車指導があり、免許を取って以来、実車講習は初めてのことなので心配した。実車指導なんどは若い時に免許取って以来だからもう半世紀以上にもなる。事前にネットなどで調べて、実車講習は合否など判定するものでないことは分かっていたので少し安心したが、車はもう10年くらいまともに運転していないから、教習所でうまく運転できるかが心配だった。数日前から友人の車を借りて運転練習をしていた。そのかいもあったのか、実車指導の指導員からは、「慎重な運転で結構です、このような運転を続けてください」という言葉をもらい、無事、講習修了書を手にした。よかった。

2024年12月12日木曜日

日本のジイやんのどたま(頭)の程度 

 10日びゃぁ前、各新聞に中学生の年代を対象とした世界各国分野別学力順位が載っていた。上位五か国を示す表が下である。三つの分野は、それぞれ数学、理科、国語分野である。まず、この表を見てどない思うかだが、これは世界81ヶ国参加の順位表であって、決してアジアのみで調べられたものではない。そう思うほど、上位五か国はアジアの各国が占めている(よく見るとかろうじてアイルランドが入っているが)。そのアジアの中でも極東(地理的な極東でアジアでもっとも東に位置する)に位置する国が優位を占めている。


 わが日本も三分野で五位以内に入っているから大したものである。なぜ極東諸国が優位かということについては、アジアでは比較的早くから近代化(西洋化と言ってもいいだろう)していて、また国民所得も近年豊かになってきたこと、それに子供の教育に熱心なことがあげられる。他にも分析すれば別の要因も見えてきそうである。例えば、この上表の日本を除く国々はすべて、過去、植民地化された歴史を持っている。シンガッパ(シンガポールともいう)と香港、アイルランドは英国の植民地、阿媽港・アマコウ(マカオともいう)はポルトガルの植民地、台湾、韓国はご存じのようにかっては日本の植民地だった。その因果関係については今の私にはわからないが、研究すれば面白いことがわかるかもしれない。

 まぁともかく、極東の子ぉらは世界でもおベンキョができるのである。それにしてもシンガッパはすごいなぁ、三分野で一位でっせ、しかし人口規模は500万びゃぁである。人々はすべて大都会に住んでいる。もし日本で比較するなら、東京の裕福地である世田谷、太田、杉並、港、渋谷区など合わせたくらいの規模の都市だろうか。そう考えると、このあたりの子ぉらがおベンキョが特にできるっちゅうのも納得できる。この辺りは日本でも高所得者が多く、親も教育熱心だから当然そうなるわな。そうするとシンガッパの子ぉらの学力が異常に高いのも当たり前か。

 これらの国で中学生(15歳)の学力(数学、理科、国語)が高いというのは国の将来を考えるとたいへん望ましいことである。ではこれらの国は将来優位か、というとそうとも言えないのである。懸念は少子化である。上記の極東諸国はどの国も少子化が著しい。また高等教育も進学率が高止まりの結果、これからの伸びは鈍化することも考えられる。これに対し、グローバルサウス(南アジア、アフリカなど発展途上の国々)は子どもも多く、教育機関の整備とともに着実に学力は伸びていくであろうと思われる。むしろこちらの国々の方が将来性があるのではないか。

 なんどと考えていたら、昨日の新聞に大人の学力の順位が載った。これもたいへん興味深い。下にその表を示す。大人(定義は16歳~65歳で、働く年代の人である)の三分野(読解力、数学、問題解決能力)の各順位である。

 大人の学力順位については子どもの学力順位とは大きく違っている。日本は入っているがそれ以外、極東の国々はない。ここでは北欧諸国が上位を占めている。国別比較で大人の学力がそこそこ高くなるのは、まず過去(一世紀以上前から)から現在に至るまで比較的高い教育を受けてきた人々が多いこと、そして社会の中で、生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が整備されていることが考えられる。そのようにみると世界でトップレベルの福祉国家が多い北欧諸国は、先ほどいった『社会の中で、生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が整備されている』が充実しているのであろう。逆に言えば子どもの学力に関してはトップレベルの極東諸国はまだまだ北欧ほどはそれらが充実していないということだろう。極東の国々の、親の子どもに対する教育の熱意には、親は貧しくて高等教育を受けられなかったが、子どもには無理をしてでも上級の学校へ進学させたい、というようなイメージを私は抱く。だから親の学力レベルは低くても子どもの学力レベルは上昇する。

 ここで日本をみると大人の学力レベルは北欧をもしのぐ勢いである。これは日本の生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が北欧より優っているからではない。主に江戸期から明治大正昭和と続いてきた庶民の教育熱心さと、150年以上にわたる学校教育の蓄積の賜物であろうと思われる。それは幕末、日本に来た欧米人が、自国以上に「読み書き計算」が日本の庶民に普及していることに驚嘆したことからもわかる。そのような教育の蓄積が数百年営々と(江戸期から)続いたため大人の学力でこのようなトップレベルの順位になったのであろう。

 さて、後期高齢者に近いワイがここで知りたいのは日本のジイやんやバァやんの学力はどんなもんじゃろか、っちゅうことである。そのようなジジババの学力国別順位などは、どこの調査機関も調べていないし、これからもまず調べないだろうと思う。そりゃそうだろう、中学生ならば、これからの国、社会を背負って立つ人材となるのでその学力は重要であるし、また16~65歳までの働く大人なら、その学力や能力は産業活動、社会活動を通じて国の力にも結び付く、しかしリタイアしたジジババなんどはしらべたところでまず役立たないだろう。

 しかし世界における日本のジッジバッバの頭の程度(つまり国別比較の高齢者の学力)を推測することは出来る。上述した子どもの学力順位、そして(労働世代の)大人の学力順位などから考えるにおそらくご隠居老人の学力この場合は上の大人の学力の内訳、読解力、数学、問題解決能力)は世界トップレベルであろうとおもって間違いないと思う。

 だからどうした?と言われても困る。ご隠居はんだからその学力を仕事や社会活動をつうじて役立てることもないだろうし、動かず口だけ達者で小難しい理屈をこねるのもどうかと思う。しかし人生の最後にアホなジイやんで終わるよりお利口なジイやんで終わる方がエエわな。 学力=お利口、ではないがある程度の相関関係はあるだろ

2024年12月10日火曜日

アスタムランドイルミネーション

  昨夕、アスタムランドのクリスマスイルミネーションを見に行きました。前のブログでアップしたケンチョピアや万代埠頭のイルミがショボく見えるほどの華やかさでした。

2024年12月7日土曜日

ケンチョピアと万代埠頭のイルミネーション

  12月上旬はもっとも日の入りが早い頃である。日がいるとすぐ闇が迫る侘しい季節だが、その侘しさを吹き飛ばすのがイルミネーションである。わが県の五大イルミネーションは次のように言われている。

1.あすたむらんど HAPPY XMAS 2024/板野町

2.徳島文理大学イルミネーション 文理ナリエ/徳島市

3.夢ナリエ・城内メモリアル2024 イルミネーション/徳島市(市体育館前)

4.ケンチョピア クリスマスイルミネーション/徳島市(県庁前ヨットバーバー)

5.水辺のクリスマスツリー/徳島市(万代埠頭)

 今までのブログで1,2,3は取り上げた。そこで今日のブログでは今まで記事にしていなかった4と5を取り上げる。この二つは距離も近く数百mしか離れていないので、昨夕、同時に見てきた。下はその動画である。

2024年12月4日水曜日

満月イチョウ

  昨日、神山町上分・中津にある満月イチョウを見てきました。この時期イチョウの木の全景が見えるところから見ると、まるで満月のように見えるところからこの名が付きました。まだ午後一時頃でしたが、陽は早くも山にさえぎられ、この辺りは陰になっていました。陽光が当たっていれば輝くような黄色になり、より満月に近くみえたのに残念でした。


2024年12月2日月曜日

土曜日から日曜にかけてのこと

神山映画祭

 土曜日午後から神山映画祭に行った。入場無料、神山中学校が会場である。イヴェント、バザー、出品各映画作品などあったが、私の目当ては蔦哲一朗監督の『黒い牛』である。上映前後に監督自身のあいさつや説明もあった。

 この作品、我々普段テレビ映画で見慣れている(娯楽性をもちストーリーもわかりやすい)ものに比べると、何かを暗喩する象徴的シーン、つまりわかりにくい場面が多く、また展開の意外性もあり、ちょっと難解な作品となっている。題名のように黒い牛が出てきて展開していくが、主人公の男も注目される。

 全くの予備知識もなく、また作品についての解説なども全く知らずに見始めたが、部分部分(各シーン)での象徴的意味を自分なりに解釈しながらみた。シーンのほとんどがモノクロであるが最初と最後のシーンのみ天然色(カラー)となる。

 最初は赤々ともえる山林の火災から始まる。これはおそらく焼き畑民、山岳民、もっと深くよむと縄文系の人々が、山を追われ里に住まざるをえない状況を象徴しているのではないか。主人公の男はそんな山岳民、古代縄文人の子孫じゃないかと思うと、その風貌、行動がよく理解できる。

 映画の早い段階で男は黒牛を得る。どこから来たのか、一切わからない。まるで野牛のような牛を捕獲して農作業用の牛として使う。感心したのは主人公の俳優さんの牛の扱い方のうまいことである。このひと俳優兼牛飼いじゃないかと思ってしまった。その牛とともに江戸期からワイの小まい頃まであった草ぶきの百姓家で暮らす。この牛のいる百姓家を見ていると、昭和30年代までうちらの田舎では、この映画のように同じ棟で農耕牛を飼っていたのを思い出した。

 まるで沼か湖のような深田の代掻き、そして白雨と呼んでもいいような一面白くなるほどの豪雨など、水のシーンも多い。吹き降りの雨と風、黒い土や泥(モノクロだから当然だ)、剥き出しの自然にさらされ、人牛一体となって農耕に励むシーンのなどは、仏教でいうところの地、水、火、風、空という五大と呼ばれる宇宙を構成する5つの中に人も牛も存在していることを強く思わせるものとなっている(まぁこれも、ワイ一人の感想じゃが)

 え?蔦監督はん、こんな仏教の深遠な真理を匂わすように作品作ったんじゃろか、いや、ワイの深読みのし過ぎやろか・・・しかし、寺を出て遍歴する禅僧が、唐突に男と牛の中に入ってくる。経をあげたり、禅僧らしく、禅の文句を唱えたりもする。やはり仏教の何らかのメッセージがこの作品に込められているんか知らん。

 などなど、ワイは考えつつ真剣に映画を見ていたが、周りのおっさんやおばはん連中はどうも違う感想を持っているようで、映画が半分進んだころ、後ろの三人組のおばはんがブツブツ言い始めた。「あんたわかるで?」「ストーリーがわからん」「もう、でるで?」「もうちょっとした出んでか」、そして隣のおっさんは時計をちらちら見だした。くりかえし20ぺんも腕時計を見ている。退屈しているのが態度からわかる。

 そして終わりが近づいたころ、画面は突然、真っ白にホワイトアウト、それが数分(感覚としては5分びゃぁも)つづいた。これ、故障か、あまりにも長いのでそう思った。昭和30年代の映画館ならフィルムが焼き切れてこんな状態になることがあり、そんなホワイトアウトが長く続くと、観客らは(ワイは子どもなのでしないが)ピーピー口笛を吹いて騒いだが、そんなフィルム焼き切れ事故状態であった。

 後ろのおばはんも横のおっさんもそれを切りに出て行った。ワイは辛抱強く見ているとやがてホワイトアウトの画面は徐々にモノの形を浮かび上がらせてきた。雪山か火山地帯の白い硫黄や噴煙ガスのシーンか、よくわからない展開である。

 最後にはまた天然色のシーンに戻る。隠岐の島の摩天崖の上の草地に牛がいる。そして子牛の死骸も、遠くには青い海、青い空、ところが急に火山噴火か原爆実験か、炎と黒いキノコ雲が上がる。この意味は果たして何だろう?あの黒牛や男はどうした?

 この最後の疑問は映画のあとの監督自身の解説でわかった。「人類が(水爆戦争で)滅びてしまっても、自然や生物はその後も続いていく」との意味の言葉を言っていた。下は上映後の監督のインタビュ


 この作品「黒い牛」を見終わって、率直に思ったことをブログにこのように書いてきたわけだが、ブログを書きつつ、調べると、この映画は禅宗の「十牛図」をベースに作られているのがわかった。確かに映画は十章の巻に分かれていて、その各巻の最初に下図の図が小タイトルとしてでてくる。その禅宗の「十牛図」を示すと下のような図となる。


 これで見るとあのホワイトアウトも、あ、八章にあったのだとわかる。八章・「人牛倶忘」である。そのこころは「自分のいるべき場所、たどり着いたのは無の世界」であるとある。そして最後の隠岐の島の摩天崖の上の草地の牛シーンは第九章・「返本還源」である。そのこころは「童子(この場合牛飼いの男)の姿も牛も消え、ただ自然の風景が広がる」となっている。

 今日になってブログを書きながら、この映画のベースに十牛図がなっていることを知り、多くの場面、そしてその象徴的意味が仏教思想に根差すものであることが、自分なりだがよく理解できた。最後にたどり着く「無の世界」とは何か?虚無か、いわゆる涅槃か、仏教思想は般若心経でその「無」を強く打ち出す。これは有名な経で、真言宗、禅宗で重んじられるが、その「無」(空といってもいいだろう)は、とても難解である。しかしこの世に生きながらその境地に達することができるとも。これ以上の理解は、人それぞれであろうか。蔦監督はんは、映像でそれを表現したのだろう。最後の異常に長いホワイトアウトと「隠岐の島の摩天崖の上の草地の牛シーン」である。

 じゃぁ、最終章の十章・入鄽垂手(にってんすいしゅ)はどうなった?「柔和な布袋和尚の姿になった童子が市井に出ていく」というシーンは?

 これは今になって思い当たる。映画の九章のシーン(摩天崖と牛)が終わりエンドロールが始まった。残っていた観客も大方が席を立ち始めた。私は、このような映画として、もしやエンドロール後の最後になにかひと押しがあるかもとの予感があって辛抱強く座っていた。そしてエンドロールが終わるとその十章(柔和の布袋和尚の姿になった童子が市井に出ていく)の図があらわれた。なるほど、蔦監督は、見終わった観客が席を立ち、外へ出ていくのを、十章のこころ「柔和な布袋和尚の姿になった童子が市井に出る」、にオーバーラップさせていたのである。

DJポリスみました

 日曜日図書館に行ったが、周りの道路はただことない人出、図書館横から吉野川橋へ向かう大通りは車全面通行止め、でたくさんの人がそこ(車道)を歩いている。

 「なにごつ、ぞいなぁ」

 と花畑踏切まで人混みをかき分けていくと、そこにDJポリスはんがいた。これが有名なDJポリスはんか、こんな田舎で見られるのはめんざしいので写真に撮った。そのあと紅葉見に行くのですぐ帰った。後で聞くと阿波踊りへスタが開かれていたようでデェズニのパレドや踊り子連の阿波踊りがあったそうだ。


貞光土釜と鳴滝そして紅葉

 昼から、県西部へ紅葉見に行ってきた。貞光奥の端山では道路の街路樹にカエデが植えられていてきれいに紅葉している。


 土釜と紅葉



 鳴滝、三段のカスケド滝で全落差は85mで県下一だそうだ。錦繡の山肌に数条の滝が見られる。

2024年11月29日金曜日

木へんに風(ふう)でカエデじゃわな

  温い日が続いていたがようやく晩秋らしくなってきた。今日は寒い風が吹き、木枯しかとも思われた(実際は気象台が認定するので確かなことは言えないが)、そして夕方は時雨になった。

 この時期、ひときわ紅葉が美しいのがタイワンフウと呼ばれる落葉喬木である。今日、昼頃小松島をフラフラ歩いていたが、そのタイワンフウの紅葉に目を奪われた。


 名前からすると台湾原産と思われる。しかし私の認識では温帯北部や暖帯でも標高の高い山が紅葉が素晴らしいところである。当然、紅葉する樹種も多い。しかし台湾は(確かに高地もあるが)全島亜熱帯に属し、秋にこんな美しく紅葉する木が亜熱帯原産とは驚きである。

 タイワンフウのタイワンは当然台湾の地名だが、フウはなんじゃろ、これ漢字で書くとよくわかる、「台湾楓」とかいてタイワンフウ、なるほど木へんに風じゃわな、これ一字でカエデとも読む。だからカエデの仲間かなとおもったが、調べるとカエデの仲間ではなくフウ科フウ属に分類される、なにやら警視庁の風俗取り締まり課にありそうな名前じゃ。

 葉っぱはカエデの葉をうんと大きくした形でそんなところから「楓」(カエデ・フウ)と名付けたのかもしれない。

 その紅葉の木を見た後、港の方へ行った。港では海上保安庁の職員が船の周りで訓練をしていた。遠くの白い灯台のあたりに不完全ながかかっている。時雨の雲で虹ができているようだ。


2024年11月27日水曜日

強風豪雨

  師走が近づいているのに昨日の強風豪雨、梅雨の末期のころならありえるが、晩秋から初冬に近いこの時期である。季節感を狂わす天気となった。


 傘をさしているが、駅からアミコビルまで歩いただけで、足元がビショコになった。靴下も濡れたため靴の中でむれて気色が悪い。靴下も脱ぎたいし、足も拭きたい。それに妙な天気のせいか、気分もよくないので、昼前に早々に家に帰った。

 大きな原因は思い当たらないが、こまごましたことで精神的に落ち込んでいるのがわかる。外は大雨、ひどい天気のせいもあろう。昼過ぎだが睡眠をとれば気分が変わるかもしれないと、安定剤を飲み、布団をひっかぶると、いつの間にか寝てしまった。途中、ションベンに起きたが、また寝て睡眠を継続した、起きると、もう外は真っ暗、午後6時近い、雨はやんだようだ。

 なんと昼寝に四時間!こりゃぁ、夜寝れんわ、と思いつつ、8時前に銭湯に行く。人少ななので、湯船につかりながら、歌を唸る

 ♪~ちゃんチャカチャンチャンチャンチャ、チャンチャカチャンチャンチャンチャンチャ~、くぅぅらい浮世のこの裏町ぃぃおぉぉ~♪

 帰って炬燵で横になると、そのままコテッと寝てしまい、夜中目覚めて布団に入る。昼間、あれだけ足るびゃぁ寝たのに、朝起きたら6時過ぎ、昼寝も入れると11時間も寝たことになる。寝すぎじゃぁ。おかげでだいぶよ~なった。

2024年11月25日月曜日

霜月末

  月末が迫ってきた。月末は支払いがいくつかある。ワイは銀行通帳からの引き落としでいつの間にやら支払いが済んでいるというのはなにやら落ち着かずスカンので、毎月の支払いは、現金持ってその都度、窓口支払い扱いにしている。

 とわいえ令和の世である。窓口支払いはどこもやっていなくて、振込用紙が毎月月末までに郵送されて、それを持って今はコンビニで払っている。それで今日、今月分の電気賃と下水賃、それに12ヶ月分月賦にしてもらった固定資産税をはらった。

 12回ある月末だが、霜月の月末は特別侘しい気がする。秋から初冬に移り変わる時期で、身の寒さとともに、心もブルッと寒さを感じる。それに輪をかけるのが、陽の短さである。三時を過ぎたころから夕方の雰囲気となり、四時近くなると急激に光が力を失い、五時となればすぐそこに闇が迫る。歌でないが「♪~よるぅぅが冷たい、ここぉろぉぉが寒ぅぅぃ~♪」

 今日はちょうど五時に駅に降りた。空が光を失うのとは反対に駅前のイルミネェイションはキラキラした光を振りまいている。もうねぐらへ帰る鳥の声もしない。


 日の入りが一番早くなるのは冬至がある12月末ではなく、実は11月末である。ウチラへんでは午後4時53分である。

 ♪~よるぅぅが冷たい、ここぉろぉぉが寒ぅぅぃ~♪、のこのごろ、楽しみなのは夜「銭湯」へ出かけて熱い湯船につかり、また時間をかけて蒸気浴をし、体の隅々まであたため、ほぐすことである。そして常連の人とバカ話をして楽しむのである。しかし本日は銭湯も休み、まったく侘しい寒い夜となる。しゃぁない!ホットカペットにゴロンと横になり、借りてきたDVDでも見るしかない。

気分を はらすメント 

  めんどい世になったものだ。職場、いやそれ以外の普通の社会生活、例えば買い物、旅行、散歩でも、「それ」に遭うかもしれん。「それ」とはなんのこつかというと、いわゆる「ハラスメント」である。こっちにゃぁその気がのうても、ハラスメントだと認定される。いや、ただのあいさつの一種じゃ、または軽い冗談、社交の潤滑油に、っちゅうても許されない。こちらの意図は関係ないらしい。被害相手がハラスメントを受けたっちゅう不快感が大事である。

 特にワイらジジイやおっさんが気ぃ付けなあかんのは「セクハラ」(セクシャルハラスメント)である。体に触れるなんどはもってのほか、自然に接触しても、相手が、「いやぁ~いややわぁ~、ワザとのふりして、接触してきたわぁ」とおもわれたら、セクハラを言い逃れるのは難しくなる。

 言葉もよっぽど気いつけなんだらアカン。「おばはん」はダメ、「おばさん」も、相手が「うちはオバサンって言われるほど老けてない、まだ娘のつもりじゃ、こりゃぁ、このジジイ、うちのこと貶め嫉むつもりで、いいよんじゃ」とおもわれたら、これはハラスメント。では「おねぃさん」ではどうか、「このジジイ、おまいの姉なんぞではない、またおねいさんとよばれるほど親しくない、それなのにまるで小料理屋の女中はん呼ぶようにおねぃさんだと、これは小バカにしとるか、なんか下心があってそう呼んびょんじゃ」、でやはりハラスメント。ともかく「ウチ、いややわぁぁ~、スカン、タコ」とおもわれたらアカン、ハラスメントの可能性大。年齢、容姿、結婚、子の有無、何の職業(社会的地位を暗示する)に触れるのも、ブッブゥゥゥ~である。「触らぬ、いや物申さぬ神にタタリなし」っちゅうことわざを地でいかにゃな。

 ほな、どない呼ぶんぞい、ちゅうことやが一番無難なのは、「あのぉぉ」とか「もしもし」とか、人称を使わぬのがよろしいようである。話する場合でも話題に気をつけにゃな。

 他にもこのようなハラスメントがある


 最近かなり話題になったのが某県知事のパワハラである。数か月前やったかな、新聞やテレビが、そのことを非難しても、この知事、ドびつこく(知事職を)やめなかった。ワイも、そのことをちょろと聞いた時は、「けしからんなぁ、知事の権力をかさに着て、弱いヒラの職員にパワハラしたんやな」と思った。しかし、その後よ~に聞いてみると、部下は部下だが、ヒラの職員なんどではなく、(県民)局長っつう県庁のお偉いさんだった。

 なんや、お偉いさんどうしで、やったやられたのパワハラかい、ヒラの弱い職員ちゃぁうんかい。これ、パワハラちゅうより、権力争いっちゅうたほうが、すっきりするが、どうなんやろ。まぁ、お偉い同士でも、相対的に上司に当たる人がパワハラ行為ちゅうのはありえるが、そんなん、公衆の面前で熱入れて吠えまくらんでもええ、でるとこでるなり、話し合いでなり、当事者同士ですきにすりゃええ。パワハラで騒ぐなら、世の中のホンマに弱い下の者、非正規職員やパートの人に対してもっと敏感になってほしい。まぁ、知事と局長らのパワハラやったやられた言うのは、例えたら時代劇の、お代官さまと越後屋の軋轢みたいなもんとちゃぁうんかいな。「えちごやぁ~、おぬしも悪よのぉぉぉ~、いえいえお代官様ほどでは・・とてもとても」

 もう社会から、そして間もなく世の中からもリタイヤしつつあるワイからみるとパワハラを目にすることは少ないが、上記の「カスハラ」(お客が店の人に対して過度に怒る)はよく見る。激高の度合いが高い(怒声が響く)のはオバサンもいるがジイサンがおおい。店側に落ち度がある場合、店側が全否定するならまだしも、だいたいは客が不具合不都合を合理的に説明すれば、店側もわかってくれて、両者が納得できる解決になるはずだが、いったん怒りに火がつくと、店側の対応にかかわりなく自ら怒りをエスカレーションしている人がいる。極度の怒りの興奮は、非常識な店側への要求となってくる。こうなると完全にカスハラである。

 見ていて、思うのは、ワイくらいの歳になるとなると、偏屈になり、他意見を聞かない、独善的に陥り、他者の落ち度の許容範囲が狭くなる、また喜怒愛憎の「怒」と「愛着」がいびつに増大してくる。そしてその感情の突出を持て余す。いったん火が付くと一人で興奮する。これらはみなワイに当てはまる。つまりカスハラジジイになる要素満載である。人のふり見て我がふり直さにゃな。

2024年11月20日水曜日

また私に近い歳の有名人がなくなった

  火野正平さんが亡くなったというニュースを今日の午後聞いた。今年、それもわりと最近、BS・NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」で元気に自転車を転がし全国各地を回り、視聴者から寄せられた思い出に基づく心の旅を続けられていたのに。だから逝去のニュースに、え、何で急に、と驚くとともに同世代としてとても残念でさびしい。

 今日は、正平さんを追悼の意味で、二年前わが故郷に「心の旅」で来てくださったときの私のブログを再掲いたします。火野正平さんのご冥福をお祈りいたします。

2022年、10月20日のブログより

 昨夜、何気にテレビを見ていると目に飛びこんだのが私が毎日使っている「鴨島駅」である。そこに「火野正平」さんがいる。驚いた!番組名を見ると「こころ旅」とある、これは読者の手紙を元にその手紙にある場所を訪ねる番組である。

 正平さんが手紙を読んでいるのを聞くと、主は70歳ちょい手前の女性、そして訪ねてほし場所は「県立川島高校」、半世紀以上前、ある親しい友人と楽しく会話しながら川島駅から坂を上って通学したこと、そしてその友は30代半ばで病で亡くなったことが記されていて、その半世紀以上前の女子高生の時友と共にあるいたその「坂」をぜひ正平さんに訪ねていってほしいとのことであった。これを聞いて二度びっくり、なぜなら、私がやはり半世紀以上前、同じ坂を毎日通ったのがこの川島高校だったからである。(このブログの右上のプロフィール欄にワイの高校時代の写真を貼ってあるが、この写真はその高校のクラスの集合写真の一部である

 出発地はだから、わたしのおなじみの鴨島駅。下は鴨島駅ベンチに腰掛ける正平さん。正平さんも歳ぃいったな、なんかこの写真を見ると、まるでワイが鏡に向かっているようやわ。


 今朝、汽車に乗るとき鴨島駅の同じ場所を確認した。そう、この下図の場所が、今でも高校生が汽車の時間待ちをしているベンチで、正平さんはすわっていた。


 駅前から南の向かっての通りの一つにボロボロになったアーケード街がある、正平さんはそこを自転車でゆく。大昔、手紙の主やワイが半世紀以上前の高校生の時は、この通りも「銀座通り」と呼ばれ、いろいろな店がひしめき、買い物客でにぎわっていた、しかし今はずっと南の国道ぶちに賑わいの中心は移ってしまい、現在ではほとんどの店が閉まっていてシャッタ―街と化している。


 「いやぁ~、こんな撮影があったとは地元じゃが、知らなんだ、知っていたら何があってもそれを放っておいて見に行ったのに、残念。それにしても何時撮影に来たのだろう。この後、なぜか吉野川土手沿いを(上の写真から向かっているのとは方向が違う)走った時、その撮影時の手がかりがあった。曼殊沙華が真っ盛りなのである。今年は盛りが少し遅かったので9月下旬ころと思われる。下は曼殊沙華の咲く吉野川堤防上の道をゆく正平さん。(今日、鴨島駅の駅員さんに聞くとやはり9月下旬に撮影に来たそうだ


 そして例の「坂」を、正平さんも川島高校生のように徒歩で上った。「あぁ、ワイもこの坂を上ったはるか昔の高校の時が思い出されるわ」


そして川島高校校門前につく、実はワイが高校の時(手紙の主もだが)は正門はこの場所とは違っていた。校舎ももちろん(現校舎もかなり古くなっているが)ワイの時とは違う、まだ木造だった。そして最後に、校舎(後方の鉄筋コンクリト)が見える坂の途中で立ち止まり、改めて読者の手紙を読む正平さん。


2024年11月19日火曜日

ガイド付き寺町散歩 

 一昨日(日曜日)、図書館主催の寺町歴史散歩に参加した(申込者は20人ほど)。寺町にある寺をガイドはんと一緒に歩いて、歴史的な遺跡、遺物(お寺が多いので歴史上の人物のお墓が多い)を見学し解説を聞くものである。下は散歩途上その解説の様子、赤のベストを着ているのが一緒に歩いてくれたガイドはん。


 ここらあたりはワイ一人で足るびゃぁ歩いているので、ほとんど新しく知ることはなかった。ブログにも何度も取り上げている。そのなかで知らなかったのを下に写真と共にアップしておく。

 上の寺の山門を入ったところにある踏み板は三畳ほどあるが一枚の大きな阿波の青石で作られている。


 前(一人で)寺町をフラフラ歩いた時は、こんな六地蔵はなかったが、今回新しく作られている。伝統的な六地蔵と違い、ずいぶん斬新である。一番端の空を飛ぶオッゾウはんなんどはまるで鉄腕アトムである。寺の境内には入れないので、裏と横から撮影した二枚の写真

 

 歴史好きのワイでもこれはしらなんだ!滝薬師境内にある供養の奉納石塔に刻まれているのが江戸期の徳島城下の「鳥屋新助」はんの名前、この人は城下で商売を営んでいたそうだが、なんと天保の改革ででてくる町奉行の「鳥居耀蔵・甲斐守」のおじいちゃんだとか(母方だろう)、へぇぇぇ~、である。下がその石塔


2024年11月18日月曜日

トラのはなし

五黄のトラ

 ワイの同級生の(十二支)の生まれは、おおかたは寅年となる。だいたい同級生の四分の三は寅年で、残りの四分の一はウサギ年となる(日本では4月生まれから一年間同学年となるので)、ワイは三月生まれなのでウサギ年だ。それがどうした?という話だが、どっちゃ生まれでも変わらんだろうと思うのだが、ワイが小ンまい時、祖父母から残念なように言われたのは、「おまぃが、もちっと早よぉ生まれとったら(前年12月までにおじみそ怖じミソ?か・ウチらの地方の方言で、怖がり)や、いじめられっ子にならなんだのになぁ、数か月早よぉ生まれてたら、ウサギで無ぅて、寅年も寅年!五黄の虎じゃったのになぁ、そしたらよかったのに」

 これは何度も聞いたので、その「五黄の虎」っちゅうんはえっぽどイイ生まれやったんやな。と思ったものである。まぁ、寅(虎)は百獣の王だからわかるが五黄とは?なんじゃろ、明治生まれの祖父母が育った時代は「九星気学」による天運が人に大きく作用すると考えられていた。九星とは「一白水星. 二黒土星. 三碧木星. 四緑木星. 五黄土星. 六白金星. 七赤金星. 八白土星. 九紫火星」である(各星が人の運命に作用するというのは西洋占星術にもある)。この五番目が「五黄」となる。それと「十二支」を組み合わせると9と12の最小公倍数の36の組み合わせができる。つまり寅年と五黄の組は「36の1つ」となる。1950年の次は1986年、その次は2022年であった。

 その五黄の寅生まれの、九星気学による天運によればその歳生まれは、非常に強い運勢を持つと言われているとのことである。それだから、九星気学による「運勢暦」を毎年買って、その吉兆をみて、家庭の行事や、今年の運勢はどうか、と参考にしている明治生まれの祖父母は、ワイが五黄の寅生まれでなく、四緑木星の卯(ウサギ)だったのが残念でならなかったのだろう。でもワイとしたら、五黄土星はともかく寅(虎)なんぞ動物として好きではない。ウサギのほうが良かった。もっともベトナムやベラルーシ(ウクライナの隣国)での「十二支」にはウサギはなく(虎はある)、ウサギの代わりに猫となっている。猫大好きのワイとしたら、猫年生まれがよかったが。

茶トラ

 そのワイの大好きな猫であるが、ねこでトラといえばとら猫だろう。一昨日、小松島のある寺の山門をくぐった時、子犬ほどの大きさの茶色のトラねこが土ベタに半分横になり体を大きく曲げて自分の股をなめていた。ワイが近づくと、動きがパタと止まったが、じっとそこを動かず、胡散臭げに顔をこちらに向けた。しかし逃げるでもない。早よぉ行けや、と言ってるみたいに睨んでいる。太々しい感じのする猫であった。

 祖母も猫好きだったせいかワイの子ども時代はずっと家に猫がいた。物心ついたころから高校生までに間に飼った猫は5匹くらいだろうか。いずれも種類は、三毛(三色のブチ)やタマ(白黒二色のブチ)であった。トラは飼っていなかった。というのも、トラは気が荒く、家にいつかないから(祖母が飼うのはおとなしいメス猫ばかりだ)と祖母は行っていた。トラ猫の性格にこのようなものがあるのか、と調べるとトラ猫が特に気が荒い性質はないようだが、茶トラは大方がオス猫で、そういったこともあって祖母は飼わなかったのかなぁと思っている。(全く茶トラのメスはいないわけではなく二割程度はいるそうだ

ふうてんのトラ

 ふうてんのトラとは映画「男はつらいよ」の主人公である。シリーズ映画であった。ロードムービーであるが、「ふうてんの」といわれているように、アウトローな身で(一応、テキヤという根無し草のような商売をしているが)気ままに全国をフラフラ経めぐる。そして絶対成就しない恋も毎回のお約束事である。これはとんでもなく長く続いた。たしかシリーズ映画の長さではギネスに認定されたようだ。始まったのは1969(昭和44)年8月封切り、が第1作でその後次々作られ最後の48作目は1995(平成7)年12月封切り、であった。始まりは私が高校三年の夏、私が45歳になった年のお正月映画が最後であった(主演の渥美清さんの死で

 私はこの映画の大ファンであった。20代の時、市内の封切館ではじめて見た時、「ああ、こんな生き方もあるんだ。出世や金持ちになるだけが人生じゃないんだ」と青臭い考えだが思ったものである。トラさんの生き方に全面的に賛成したわけではないが、もともと旅行好きで放浪癖のある私は、トラさんのように全国を放浪し経めぐる生活にはあこがれた。いつか自分も全国を巡ってフーテン暮らしができたらいいなぁと、できないながらも夢見た。

 そして39歳の年が終わる時、仕事が嫌になってやめ、車でだが全国放浪の旅に出た。最初の二年間はまったく故郷に帰らなかった。そのあと四年間は、半年は家にいてあと半年は全国放浪という生活が続いた。まさにトラさんのようなフーテン暮らしである。

 足の向くまま気の向くまま全国をフラフラするフーテン暮らしは、今思い出しても、うっとりするくらいすばらしかった。まだ40代前半で体力も気力も充実していて、知らぬどの土地へ行っても楽しく過ごせた。山や海岸、湖でぼんやり過ごしたり、知らぬ街の雑踏を歩くと、なぜかわくわくして気持ちがはしゃいだ。九州や東北、北海道には無料またはわずかな入湯料で入れる、露天や地域の温泉もある。出たり入ったりでその地でゆったり過ごした。また名所古跡を尋ね、歴史上の出来事を夢見て半日過ごしたこともある。

 ただ「トラさん」と違ったのは、彼はフーテン暮らしをしていても、テキヤで稼いでいた。その仕事の性格上、有名観光地神社仏閣で商売をするから全国を経めぐることもできたわけだ。それで金が稼げるから、フーテンのトラさんの仕事としてはこの上のものはない。だが、私はそんな稼ぎはできなかった。ただ銭をできるだけ使わないような放浪のフーテン暮らしである。だから蓄えた金も少しずつだが確実になくなっていく。5年もたてば金もほとんどなくなった。

 平成8年の8月、北海道を旅していた。テントで寝たり、車で寝たり、また北海道にはほとんど無料のライダーハウスもあり、放浪のフウテン暮らしにはそう金もかからなかったが食料、ガソリン代、フェリー代、などはいる。そろそろ持ち金もそこをついてきた。野宿が寒くなる9月ごろには家に帰って、生活費のためにいよいよなにか生業につかにゃあかんな、と考え始めていた。

 その8月の初めころ、網走駅でのことである。夕方、駅前のスーパで食料を仕入れ、車は駅の無料駐車場にとめ、駅の待合室のイスに座り、豆をかじりながらコーヒを飲んでいた。駅待合室には備え付けのテレビがあった。そのニュースから流れてきたのが、渥美清さんの死亡である。結局その年のお正月映画(前年12月23日公開)48作目が遺作となったのである。「もうワイのフーテン暮らしも終えなけりゃとおもったころ、フーテンのトラさんも死んでしまった。なんか、これは因縁というか、フーテンのトラさんとの同調とでもいうか、そんなものを感じるなぁ」とニュースを見終わったあとそのような感慨にふけった。

 フーテンのトラさんとの因縁そして同調していると思うためか、今もこの映画1~48作は何度でもみる。なにせ私が高校3年から45歳になるまで作られた映画である。その各々を見るたび、その年の自分のしていたことを、思い出し、懐かしさに浸る。この映画が喚起するその年の思い出は楽しさもあるがほろ苦さもある。しかし心地よいものである。

あめトラ

 マスコミのセンセーションな見出し時の推移順に挙げてみる
 
もしトラ⇒ひょっトラ⇒ほぼトラ⇒確トラ⇒またトラ


 断定はできないがこれを見ると、日本のマスコミは、アメリカ大統領に再びトランプさんが返り咲く可能性を軽視していたんじゃないかと思えてくる。この見出しの流れを見ると、マスコミは嫌な奴だからなって欲しくないと内心思っていたんじゃないか、でも、もしなったらどないしょうに、そして選挙が進んでくると、ひょっとすると、から、ほぼになり、ついに定をへて、ついにまたトラに。


 前もブログに書いたが、私はアメリカ共和党贔屓ではあるが、必ずしもトランプはん贔屓ではない。ただ、彼は喜怒哀楽がわかりやすい、大統領として見るのでなく、ただのアメリカのおっさんとしてみれば(横からみているだけなら)、かなり面白っしょいおっさんである。
 

 私が大笑いしたエピソードの1つを紹介しよう。上の写真はトランプはんと同じ共和党のマルコ・ルビオ上院議員である。かれとは8年前共和党の大統領指名選挙を争ったが、今回、トランプはんは彼、マルコ・ルビオ氏「国務長官」に指名した。かなり仲がよさそうであるが、8年前、共和党指名候補選挙を争ったときは厳しい論戦があった。その論戦がまた面白い。

 口が悪く、金持ちのわりに下品なトランプさん、マルコ・ルビオさんが背が小さいので「お前はちびマルコ」だと挑発した。もっとも英語ではLittle Marcoであるが、日本人の私はその日本語訳のちびまる子で笑いのツボにはまってしまった。
 上の写真でみると確かにトランプはんより低いが揶揄するほど低くはない。逆の高身長に関しては、テレビ映えする高身長の人物大統領選に勝つとの俗説もある。身長188センチと背が高いトランプ氏からの皮肉は、ルビオ氏のプライドを刺激したようだ。
 「政策の話をしよう」とかわしていたルビオ氏だったが、挑発に乗って「トランプ氏の手は小さい」と身体的特徴をあげつらった。同じ土俵に上がったルビオ氏を、トランプ氏は見逃さなかった。「マルコは『手が小さいやつはあそこも小さいに違いない』と言うが、私には何の問題もない(つまりチ〇ポは大きい)」とやり返した。手以外そんなことは言っていないマルコ・ルビオはんだったが、シモの話題に引きずり込まれてしまって、トランプはんの威勢に完全に押されたのである。で、ちびマルコはんは敗退した。

 このマルコ・ルビオさん、共和党員らしいいい政治家である(と私は思っている)。そんな揶揄して敗退させた相手ではあるが、ちゃんと実力を認め、トランプはんは国務長官に指名した。もしかして期待できる大統領になるかもしれん。ええトラになったらいいな。

2024年11月16日土曜日

野ぐそ

 

 昨日、雨もよいの天気だが、降っていなかったので、鮎喰河原を散策していた。ススキなんぞが生い茂り野草でほとんど隠れた土手横の道を歩いていた。するとどうしたわけか急に便意を催し、とても辛抱できる状態ではなくなった。近くに公衆トイレはない、ええ、どないしょぅに!

 パンツ、ズボンがウンコもぶれになることを思うと、もうここは「野ぐそ」しかない。であたりキョロキョロ、人に見られるのがこの上なく恥ずかしいので、絶対見られたくない。幸い人気はない。そのうえ荻、ススキ、泡立ち草なんどの人の背丈もある野草が生い茂っている。ただ、土手は野ぐそをしようとしている場所より高く、上から見下ろす位置だから、もしかしたら見える可能性もある。

 しかしもう出かかっている、ええぃ、みるならみれ、と急いで草むらに入り、ズボンパンツを下ろすと、即座に粘性のゆるぅ~ぃ便がビ音とブ音を響かせながらケツからひりだされた。

 ホッとしたが、次にハッと気づいた。「あああぁ~~っ!」、先にカバンからチリ紙出してケツ拭く用意するん忘っせとった!ばらまけたビチ糞をよろけて踏まないように、パンツズボンはそのままの状態で中腰でケツを突き出し、なんとかバッグからチリ紙を取り出し、ケツ拭きをようようすませた。

 チリ紙は持って帰るのが筋だろうが、糞用のビニル袋なんどないので、申し訳ないが糞もぶれのチリ紙は、そこに捨てた。糞は肥えになるが、紙はエコリサイクルにはならない。エコでゆうなら糞のあとケツを拭くのも、わら芋の葉っぱなら、自然にエコリサイクルになるが、紙はなかなか自然土に帰らない。野ぐそといい、糞もぶれの落とし紙の放置といい、ワイは指弾されるイケナイことをしました。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。これからはバックの隅に落とし紙や汚物入れのビニル袋を用意します。

 しかし、もしや荻ススキの野原でも間違って入る人のためには、汚れた紙類の散らばりは、ここで野ぐそしてますよ、の標になり、糞んづけるのに注意を喚起するやもしれん。昔、知らずに野ぐそを踏みつけて、靴底について、そのまま自家用車に乗って車を出発させた、ところが(冬だったかな)ヒーターで温もった車のなかで徐々に人糞のにおいが充満し、それでやっと気づき、超不快な思いをしたのを思い出した。糞は踏まないのに越したことはない。あ!でも考えたら、ワイの踏んだ野ぐそも紙など散らばってなかった。風で飛ぶこと忘れてた。やっぱ、これは言い訳や、野ぐその紙は持って帰るのがエエ。

 野ぐそなんど、下卑た行為のようだが、背に腹は代えられぬ、ズボンのなかが糞尿地獄になるよりゃましだろう。でも野ぐそにもエエとこがあるらしい。野ぐその徳についてある人が「糞」いやちごうた「文」を書いている。ワイの言い訳に張り付けておく。

「糞土師(ふんどし)」を名乗る伊沢正名氏は、1974年から現在まで野ぐそを続け、自然との共生を提唱しています。伊沢氏は、人間が生きていくうえで欠かせない「ウンコ」を、自然界に生きる他の生物に対して貢献できるほとんど唯一の行為として捉えています。

伊沢氏は、著書『くう・ねる・のぐそ 自然に愛のお返しを』『ウンコロジー入門』などを通じて、野ぐそが自然環境を守り、災害時のトイレ問題を解決する手段であることを説いています。また、生物がするうんこが他の生物に食べられ、植物・動物・菌類からなる生態系の命の循環に必要であることも解説しています。

伊沢氏は、野ぐそを続けることで、地球全体で考えたら「うんこより大事なモノはない」と語っています。

 でも、紙で拭いたらエコリサイクルにならないから、その趣旨でいうと、紙は持って帰って別に処理するか、その場で捨てるなら、紙ではなくわらや柔らかい広めの葉っぱ(芋の葉)などで拭くのがよろしおますな。じゃけんど、ワイの野ぐその場所、周りは荻ススキや細長い葉の野草で、触れば切れる鋭い刃のような葉だから、無理にあれでケツ拭いたら、肛門の周りが傷つくなぁ。

2024年11月13日水曜日

阿南で秋の花と真夏の花が同時に鑑賞できる

  阿南市では秋の花「コスモス」真夏の花「ひまわり」が同時にみられるというので今日、行ってきました。

阿南市那賀川町古津にあるコスモス畑


阿南市那賀川町岩脇にあるコスモス畑


阿南市柳島にあるひまわり畑



動画