彼、もう50年以上も昔、城山に県立博物館があったとき自習ブースでよく見かけた。何冊ものハードカバーの専門書を持っていた。ブースが隣り合うこともあり、どんな専門書を持っているのか気になり見たことがある。イタリア語の本、そして東欧系の言語だろう、キリル文字が見えた。そして他には言語学概論の本があった。当時私は言語学の重要性などあまり認識はしていなかった。大体、うち等の県の大学は、第一は英語、第二にドイツ語くらいで、当時イタリア語など勉強する人間は皆無だったと思う。ましてや東欧系言語を図書館で勉強しているのはちょっと尊敬に値した。(というのも私などは英語一か国語だけでも手に余っていたので)へぇ~、語学のずば抜けた才をもつひとがいるんだなぁ。と。図書で頻繁に会うのでご挨拶もしたし、数語言葉を交わしたこともある。私より3、4歳くらい上だったとおもう。
社会に出て何か語学のスキルを活かした仕事をするのか、高等教育機関で言語学の研究をするのかと思っていたが、地元に残った。よくあちらこちらでお見かけするようになった、というのもあるプロパガンダ活動をずっとやり続けていたためである。その内容や彼の服装についてはいわないが、主張も姿も人目を引くものであった。
そして30年くらいたった時(いまから20年ほど前か)、県庁所在地の繁華街の橋詰めで小冊子を販売していた(もちろん彼の著作)。表題をみると万国言語なんとかかんとか、書いてある。以前彼が言語学を専門に勉強していたのをおもいだし、彼がどんな冊子を書いているのか興味があったし値段も高くなかったので購入した。内容を読んだが私の頭が悪いのかほとんど理解できなかった。自分の小冊子を売っていたのはその時ぐらいでそれ以降もだいたいプロパガンダ活動を続けているようだった。
初めて知り合って50年以上たった今日この頃、彼も私より数歳年上もあって、体がよわったのだろうか、あまりお見掛けしなくなった。気になって時々図書館(ずっと彼、図書館を利用している)のガードマンの人に、彼来ますか?と聞くが最近見ないという。病気でもなければいいが、と思っていた。
すると一週間ほど前、彼、地方の某選挙区で衆議院議員総選挙に立候補するというニュースを人づてに聞いた。半信半疑だった。しかし三日前、駅前で自転車に乗って歩道にとまっていた彼に会ったので、確かめると立候補しますという、もう供託金も納めたそうだ。もう、驚いてしまって、がんばってね、としか言えない。二万票以上取って供託金没収されないようなんとかやります。と言っていた。ということは本人も当選するつもりはないなかしらん、プロパガンダ活動の集大成として自分の主義主張をおおやけにする最後の大舞台に出るのかなとおもったが、私があれこれ聞くことでもないし、がんばってな、応援しよるけんな、とわかれた、別れ際に主義主張を書いたパンフレットをくれた。
このように公示日の今日からは総選挙が終わるまでは公的な人になってしまった彼だから、いろいろ遠慮会釈なく批判、避難、いや悪口までもを大っぴらにいう人もいるだろう。しかし語学、言語学を独学で専門に勉強しつつ、半世紀以上にわたって自分の主義主張を絶対曲げなかった彼に対しては私は、そのような側(避難悪口)には絶対に組しない。彼はその主義主張をもって総選挙という大舞台に立つのである。並大抵の人にそれができようか、前の私のブログでいえば、観客席側の人間が自分の意志ですっくと立って、つかつかと舞台にかけ上がり、パホーマンスをするのである。いったいどれだけの人にそれができようか。勇気、気力を持っているだけではない、没収されるかもしれない供託金300万もいる。金銭の損得や世間体を気にする人に(ほとんどの人はそうだろう)はとてもできないことである。
公職選挙法で立候補者には必ず誰にでも割り当てられた主義主張を書いた広報掲載や、NHKテレビの政見放送がある。おそらく彼には最後の大舞台になるであろう。しっかりと自分の生きざまの締めくくりになる舞台を演じるつもりであろう。世間の多くの人が観客席側にいて一生を終えるなか、彼は一時的とはいえ大舞台にたつのである。
彼の政治的な主義主張は(選挙用のパンフに書いてあるが)とても私の賛同できるものではないが、彼の半世紀以上にわたって曲げなかった(ほとんど人からは無視されるか陰口をいわれた)信念はすごいと驚嘆する。そのことだけでも私のささやかな一票を彼にささげたいと思うが、私の所属する選挙区でないのでそれはできない。
彼のこと半世紀以上前から知っているといったが、それは多様な言語学をコツコツ勉強する姿や半世紀にわたって続いてきた政治的な主張のみである。彼のもっとも深遠な部分の人生観や、そして彼ならおそらく持っているだろう自分独自の哲学などは全く知らない。今まで(50年間、そして以前冊子を購入した時など)の何かの機会にそのようなことを彼と話してみたかったが、もうそれはできないだろう。彼、歳とともに、特に古希を過ぎて、もともと贅肉の少ない人ではあったが、痩せて、顔かたちも、深山や、大瀧、で苦行をしたり、高山の峰々を回峰修行する僧のような近寄りがたい雰囲気になってきた。徳の高い阿闍梨のような雰囲気を身にまとう彼にそんな話はできない。
ところが、その彼、もっとも世俗の極みであるような政治家を目指すのは、矛盾があるのではないかなとも思ったりする。徳の高い高僧と見える外面的雰囲気は必ずしも内面を表すことはないから、高徳の僧のよう、とみる見方は私の独断的な思い込みであろうか。しかし、ギリシアのプラトンのよれば「政治学」は哲学やそのほかの多数ある実践学の最高に位置する学問であり、もっとも最高の政治形態は哲学者が統治する「哲人政治」といった。現代あまりにも世俗にまみれた政治である故、政治すなわち世俗の極みのようなイメージを持つが、本来はプラトンのいうような哲人政治が理想であったはずである。彼もそのような政治の理想を抱いて立候補するのかもしれない。
なんとか彼に賛同支持する人が有効投票者数の10%をこえて供託金だけは没収されないことを願っているが冷静に考えるとむつかしい。清貧にしか見えない彼から300万没収するのは見ていてつらくなる。
2 件のコメント:
最初、誰のことを書いているのかわかりませんでしたが、読み進むうちに、どなたかわかりました。
ある面、知る人ぞ知る有名人ですね。
知りませんでした。
東欧系言語を図書館で勉強していたとは……。
ちょっとあぶない人ぐらいに思っていましたが、そうだったんですね。
認識が改になりました。
貴重な情報ありがとう。
>>カルロスさんへ、いつもコメントありがとうございます。
ここ数日未明の寒さにこたえました、カルロスさんもあったかくしてくださいね。
やはり知ってましたか、ある意味有名人ですからね。世は選挙モードで駅前はうるさくなていますが彼、マイペースなんでしょうね、自転車でえっちらおっちらと普段と変わらぬ活動ですかね。あれから駅前で見かけていません。選挙公報の一般配布やNHKの政見放送はまだのようですが、今日の地方紙には政治主張が載ってましたね。
みんな知る有名人だから票に結びついて、なんとか当選は無理としても票の有効数の一割は取れて300万の供託金没収は避けられたらいいけど難しいでしょうね。
信念の人と書きましたが、あれだけの主張を数十年続けられるのは並大抵じゃないですね。やはり半世紀以上も前、東新町でおじさんが女装してコッポリ履いて、派手なピーチパラソルで闊歩しているのを初めて見て驚きましたが、市内へ来るようになり頻繁にみるようになりました、市内の友人に「かれ、何者?」と聞いたら、ニヤリと笑い、なんであんなパホーマンスをしているか知らないが、彼、高学歴で大きな資産家だと答えてくれました。
女装おじさんもなにか信念の人だったような気がします。もしかすると既存の価値観のアンチテーゼとしてなにか深い主張があって身をもってその哲学・人生観を示したのかもしれません。ずっとその格好で最後まで通したようでした。時の流れとともにいつかいなくなり、それはもう知りようがありませんが。
彼も、もしや資産家だったら、と願いますが、どう見ても清貧にしか見えない彼、300万痛いだろうと私などは思うが、覚悟はできてるんじゃないかな。
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