2021年10月8日金曜日

ある古典よりにみる・身分違いの結婚

  いま「身分違いの恋」だの「身分違いの結婚」などというと、古い「陋習」を感じさせる。現代、身分などというほぼ死語になったような言葉を使ってよいものか、また同性の合意のみによって成立する結婚にそのようなことを言うのはなにか意図的な謗りや悪口だろうかとしか思えない。確かに結婚に様々な障害があってとくに家族や周りが反対することも多々ある。しかし今の世にその反対のの理由として「身分」などという言葉を出した時点でその主張理由はすべてアウトとなる。

 差別言葉が最も敏感なアメリカでなくても、民主主義や人の平等を標榜している日本でも「身分」云々することはすくなくとも公の言説ではない。イギリスにはいまだに貴族階級が残っているので「身分」という言葉も存在するだろうが、それを理由として周りが結婚に反対するのは現代イギリスでも人々の支持を得られなくなっている。

 日本でも「身分」を大ぴらに言うことはなくなったが、唯一の例外は「皇族」であろうか。日本から法律・制度・社会慣習のすべてで「身分制度」はなくなり「身分」はその根拠を失ったが「皇族」のみはそれが残っている。象徴としての天皇の一族としてその特別な「身分」が定められている。そして今世間で話題になっているのは一般庶民「男性」と皇族「女性」の結婚に対するいろいろな言説である。最近の世論調査によれば結婚を認め祝福するという意見が最も多いが、それよりは少ないが反対という意見も同じくらい多い。理由として家族のだらしなさや本人が傲慢だのまた何を根拠にと思うが、計算高くて皇族女性結婚したのだというようなものがある、何か自分のステータスの上昇を企んだり、嫁さんをネタに金儲けを企んでいるかのようないいぶりもある。別に家族や本人が犯罪を犯したわけでもない(犯罪を犯したとて結婚はできる)。これが一般人同士の結婚なら、外野などが反対理由をおおっぴらに唱えたら、名誉棄損の罪に問われるかあるいは差別主義者の烙印をおされかねない。ただ「皇族」という身分だからそのような反対の言説も許されるのである。

 日本歴史を遡ると当然昔の社会は「身分」という区別が厳然としてあったから、身分違いの恋とか結婚はほとんどないんじゃないかとも思われようが、そうでもない、ただし男性が身分が上の場合がほとんどである。高位の身分が男性で低位が「女性」の場合は、正式な結婚は少ないものの事実上の夫婦となっている例は枚挙にいとまがない。ところが逆に高位の「女性」(娘だよ!おばさんが若い男とウッフンするのは除く)と低位の「男性」(もちろん適齢期の若者)とは結婚どころか事実上の夫婦となること、いやそれ以前に恋愛でさえ、厳しく忌避されたものか例は非常に少ない。まして女性最高位の身分である皇女と貴族でもない平の庶民の若い男性との恋、結婚などは皆無といってよい。まぁ深窓に育つ皇女が庶民の若い男性と知り合える機会など皆無に近いからそれも理由として言えるが、たとえあったとしても成就する可能性など0であろう。

 しかし古典を読んでいて唯一の例外を見つけた。この話は、二人の可愛らしい恋であり、そして二人は結ばれるすばらしいロマンとなっている。結末もハッピーエンドであるだけに「へぇ~千年以上の昔でも、こんないいロマンがあったんだ!」と心がほのぼのとする。その古典は「更級物語」の中に、語り部の女性が竹芝寺を通った時にそこであった昔のロマン(伝説)としておさめられている。

 舞台はある天皇の御世の宮中(平安時代初期ころ)、そのころは東国から多くの若者が、まるで人身の貢物のように朝廷に送られ奉仕させられていた。九州駐屯の兵卒である「防人」、あるいは宮中を守ったり雑用をする下僕のような存在として「衛士」(えじ)などが徴集され数年、長ければ十年、苦しい兵役・労役に従事していた。家族と引き離され遥かに遠い国での辛い厳しい仕事である。本人の(故郷、家族を思う)嘆き苦しみ、あるいは送り出した息子を心配する母の心情は「万葉集」の東歌などで今も知ることができる。

 その東国からきた一人の若者が宮中の火焚き屋(夜、警護の為、かがり火の周りで宮中をガードする役だろう)に所属して勤務を行っていた。更級物語本文にはこの東国の若者の姿容姿のついては説明していないが後の話の展開を見ると、私の想像するところ、屈強な肉体を持つ(後には東国武士となるからそりゃぁいい体だろう)、そして美声(歌で皇女を魅惑するのであるから)、さらに視覚的にこのロマンをすばらしいものにしたいという私の願いという以上に根拠はないが「かなりのイケメン」であると思いたい。そして性格は東国のおぼこな若者であるため「率直かつ純朴」・・・と、ここまでこの若い男性を描写すれば、これは現代でもモテ男になるに違いない。おぼこで純朴な、といえば男性から積極的にアプローチするのではなく、現代においては女性から惚れられるタイプ、何もしなくてもあまたの女性が放っておかないようないい男になるのじゃないだろうか。

 とはいえ時代は平安初期、雲泥の差のある身分の区別などから見ると下の下、衛士の男など、宮中の貴族、女官などからしたら、見るにも値しない庭に転がる小石、這う虫けらのようなものだろう。まじまじ見ることもない。

 しかしこの衛士の男、ある日、現在の仕事やその境遇の惨めさを嘆いて、東歌を歌った、本文では「ひとりごつ」とあるが、周りに聞こえにくい独り言というのではなく、御殿の御簾の中に聞こえるのだから東歌にちかい詠唱であっただろうと思う。かなりの美声でよく響くいい歌だったのだろう。また東歌のめずらしい節回しや、東国方言の面白さがたまたま近くの寝殿作りの宮殿の窓際御簾近くにいた皇女の耳にはいった。御簾はご存知のように外部からは中はうかがい知れないが内部の御簾からは男の顔形はよくわかる。皇女はその若者(衛士)に耳目を集中することになる。

 皇女はかなり心をうたれた、歌の内容や、おそらく若者をもっと近くで見たい聞きたいと思ったのだろう。さっそく行動に移す。これは純粋に歌そのものを知りたい、聞きたいでなくそれを発する若者に「魅了」されていることはまず間違いない。御簾を引き上げ、男を近くに召した。男はおそるおそる近づいた。貴人の言うことに否とは言えない。この時点で貴人とはいえまさか皇女とは男は思ってはいまい。今一度の詠唱を所望する(本文は今一度、とあるがわかりにくい東国なまりであってみれば心行くまで繰り返させたのではなかろうか)

 いくら世間知らずの深窓の皇女様とはいえ、そのあとの言葉「私をそこ(東国)まで連れて行ってください、あなたと私は(前世)からそうなる運命にあるのです」とは異様な言葉である。ただ歌の内容が面白いからその東国へいってその歌の内容どうりか知りたい、という好奇心ではとても発することは出来ぬ言葉である。ただ唯一、納得できるのは皇女様、この東国の若者の美声、詠唱、そして男らしい顔、筋骨隆々のマッチョな体形などなども含めたこの若者に一目ぼれして相当深い恋に陥った、という理由である。いくらなんでも皇女様も取るに足らぬ衛士に一瞬で恋い焦がれたため、とは言いにくかったのであろう、激しい恋情を秘めながらそれは明かさず、「・・前世でそうなる運命にあるのです」と若者に言っている。

 身分制の頂点にある皇族と下層の東国の衛士(後に平安後期に発生する東国武士とイメージする方がいいだろう)では天と地ほどの開きがある、話すこと見ることさえかなわぬ隔たりである。しかし当時流布しつつあった仏教思想によってのみ、人はある種の平等意識を持てる、仏教思想では輪廻転生を繰り返す「命」は前世での行いによって王侯貴族にもなるし、落ちて下層民どころか餓鬼畜生にも落ちる、輪廻転生の「主体」は生前の業に引かれ出生の身分・種が確定するが、本来は何色にも染まる中性であると言える。今、王侯貴族でも悪業によっては卑しき汚らわしき悪種に陥るのであるから、ある意味、平等主義と言える。それだから皇女は目のくらむような身分の差を「前世からの因縁である」と仏教的平等観にたってこのように恐れ畏まる男におそらく(皇女は一目ぼれの恋に落ちたため)必死でかき口説いたのであろう。結果、この若者は密かに宮中から連れ出し自分の国へ一緒に行くことを決意し、実行する(連れ出すだけでもたいそうな困難があるが本文ではさらっと触れているだけである)

 若者はいつこの貴人が皇女様と気づいたのだろうか、気づいた時点でさらにビビリそうだが、そうではあるまい貴人らしい娘を連れだす決意をした時点で誰であろうと覚悟はできていたはずである。なにせもう百年もたたずこのような東国の衛士は武士に成長するのである。初期武士の豪胆さは他の文献でも述べられているが、ここぞと決意したならば、神仏の像でも弓矢で射抜くのが武士であり、命じられればたとえ高位の身分の者であっても刀にかけ殺害するのも厭わないのが初期武士である。連れ出すと決意した時点で命に代えても貫徹するつもりであろう。それが皇女さまだろうと関係ない。まぁ、この固い決意、やり抜く実行力をみて、さらにこの若者に対しる皇女さまの恋情はかきたてられたに違いない。ここまで好かれれば若者も、田舎者だから貴族のように恋情を言葉という形にはできなくても、この女性しか自分にはいないという相思相愛関係になった。

 かの若者は皇女を背負い無事東国の自分の国へと着き、本文では詳しく書かれてはいないが若者と一緒に暮らしたのであろう。しかし当然そのままでは捨て置かれない。この皇女は天皇、皇后の可愛がる娘である。国を挙げての探索の結果、東国へ衛士の若者が率いていたということがわかった。そして家も特定され、迎えの使者もやってくる、皇女は連れ戻されるであろうし、若者も大きな罪に落とされ罰せられるであろう。しかし皇女は使者に言い放つ

 「もしこの男に刑罰を与えられれば自分はどうやって生きて行けというのか(暗に男と添い遂げられねば自分は死ぬしかないと言っている)、帝には、こうなるのは前世の深い宿世の縁があり、この地にこの男と暮らすのは絶対的な定めである(絶対にこの場を離れないし男と別れるつもりはない)。」

 使者は返す言葉もなく都へ帰りその旨奏上した。帝は娘を無理やり引き裂くことはせず、むしろ皇女と男に武蔵一国を領する権限をあたえ、屋敷も立派にしたそうである。やがて二人には子も生まれ子孫も栄えたそうである。

 更級日記の作者がこの地のそばを通ったときまだその屋敷跡の礎石などが残っていて、地元の人にどんないわれの屋敷跡だったか聞いたところ話してくれたのが上記の話である。ちょっとうっとりするような身分違いのロマンである。

 それから千年たった。今、皇女(内親王)とある一般青年との恋が実り、今月中に結婚する予定であるという。しかしどうも世間は祝福とは程遠く、結婚式もひそやかに行われるのではないかといわれている。皇女と庶民の若者との恋ということでこの古典の更級日記にある美しいロマンを思い出したが、現代ではどうもそうなるような雰囲気ではない。ネット社会となり、何もかも(違法性が高くても)赤裸々にさらされる世の中となっている。顔の見えにくいネットはそれをいいことに淫靡な誹謗中傷がまかり通っている。だれでもそのネットの一方的な暴力にさらされる恐れがある。むしろ皇女(内親王)という皇族で公の身分であることを理由に一般人よりより強くそのネットの誹謗中傷が行われているのではないかとおもっている。また週刊誌ではまるで質の良くない有名人のゴシップネタとのようになっている、そこまでこの問題を取り上げる必要があるのだろうか。

 お互い好きあって一緒になるのである、もうそっとしておいてあげればよいと思う。千年前の皇女と東国の若者の恋は、お伽草紙のように最後は「子もたくさんでき、みんな幸せにくらしましたとさ」とハッピーエンドに終わる。現代において皇女と一般男性との結婚はそうはならないものだろうか。

平安時代の恋の道行はみんな男性が女性を負ぶっていた?

  下はある絵巻より、更級日記にあるその身分違いの恋のゆくえを絵巻にして展開するところ、この場面では皇女を若者が背負い東国へ下るところである。


 これも身分違いの恋、下級貴族である業平がなんと皇太后に恋情をいだき盗み出すところ、この場合も背負って逃げる。伊勢物語・芥川で有名なシーンである。平安時代の絵巻にはヒロインをヒーローが負ぶっているシーンが散見される。今だといい車の助手席に好きな女性をのせて爆走するところだろう。

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