2021年10月15日金曜日

釈迦庵跡と仏足石

  和田島へ行ったとき帰りし近くをかすめて通ったが、行けなかったのが「釈迦庵」である。機会を改めて再び行くぞと思い、それが気がかりになっていた。ぬくい初秋の天気も今日までと聞いたので今日その「釈迦庵」へ行くことにした。自転車は文化の森駅に置いてあるので、そこからバイパスを通り、恩山寺入り口には一時間ちょっとびゃぁでついた。近くにある義経像を真近で見てから、自転車を置き、旧遍路道を歩いた。

 「釈迦庵」はどちらかというと地元の観光協会も積極的には薦めないマイナァーな名所旧跡である。なぜかというと「釈迦庵」というからには寺院ではないにしてもお堂か何か昔から現代まで伝わる建物があって然るべきだと思われようが、じつは「釈迦庵」は廃寺なのであって今はない。しかし廃寺とはいっても中には(鴨島の河辺廃寺跡などのように)礎石を配置し、旧境内は芝生などで整地されているところもあるが、ここは周りはうっそうとした竹藪の中にあり、多くの竹が寺の敷地へ侵入し放題のまま放置されている。そのため廃寺がどのような伽藍配置であったかわからなくなている。ただ寺院の庭園だった思われるところにある池の広さや(文献には鶴亀池との名が出ている)池にかかるいくつかの飛び石などから昔はかなりな規模の寺であったのだろうと推察される。

 恩山寺から立江の方への昔の遍路道は、源平合戦の時代、屋島へ向かう義経が通った道と一致するところがある。今はこのような竹藪が多い山の細道である。


 義経が敵の伏兵に備え、弓矢を携え用心しながら通ったところから、この山路の坂には恩山寺に近いほうから「弦巻坂」(つるまき)、「弦張坂」(つるはり)と名づけられている。下の写真は「弦巻坂」で道ばたに石地蔵が祀られている。


 なにかの由緒ある石地蔵だろうか、そばの石柱に「花折地蔵」と書いてある。優美なネェミングである。地蔵の右はお不動さんのようだ。


 そしてこの「弦巻坂」を上り「弦張坂」を下りたところ(恩山寺からいくと)にあるのが「釈迦庵跡」である。そこに今は弘法大師むつき堂があり(奥に見えている)、入り口付近に仏足石がある。(木柱には弘法大師おむつき云々、とある)


 中に入るとすぐ仏足石が目に入る。


 磨滅や苔によって見にくいがお釈迦様の二つの足裏の刻印が見える、長方形に近く扁平足である。そして文字も見える。右の方の文字は『三国〇来佛足跡』と読める。


 左の文字は読める文字が少ないが『薬〇寺所〇〇〇者〇』と読める。



 説明板によれば上の仏足石は江戸初期に作られ、四国では大変珍しいものであるという。

 仏様は体に生まれつきの「奇瑞」があるといわれている。足裏にもその奇瑞があり一般的には右ようなものであるという。(魚の目やタコじゃないよ)しかし、上の仏足石は磨滅が激しいのかそのような奇瑞はよくわからなかった。

 ここでちょっと一つの挿話を。仏様の体に生来からある奇瑞は頭上、頭髪から始まってつま先までいろいろある。三十二あり三十二相といわれる。仏教関係者でもその詳細を言える人は少ない。ところが現代の十代の若者がその三十二相の主なものを知っていたのには驚いた!どこで覚えた?と聞くと漫画の「セイントお兄さん」というブッダとイエスが現代東京の下宿で仲良く暮らす漫画があり、そのブッダの特異な体の特徴が漫画であらわされているというのだという。へぇ~、と感心した。しかしブッダとイエスというあり得ない異色のコンビが現代で暮らすってそれ、もしかするとコミカルなものか、と問うとそうだ、という。調べるとわが図書館に全巻そろっていたので読んだ。確かにお笑いの面白さだが、中に盛り込まれたブッダやイエスに関する知識の多さに驚いた。(もっともこれは手塚治虫の「ブッダ」の漫画がベースになっているらしい。)ブッダやイエスの生涯の勉強や、仏教やキリスト教の雑学のええ教材になるわ。

 仏足石の横には江戸期に大流行した(明治までその影響は続く)「光明真言塔」が建っている。信仰の証であろうかそれともご利益を願ってだろうか、オン、アボキャ・・の光明真言を一味同心してみんなが多数唱える。百万遍とかが多く、それを記念して光明真言塔を建てるが、この光明真言塔は何と六億遍である。すごい!のべ回数としても何人の一味同心する人がいたのだろう。裏を見ると「寛政四年」の年号が刻まれている。18世紀末である。


 そして小さなお堂の右の竹藪の中にあるのが釈迦庵跡とその池である。こちらは動画で見てください。旗山の義経像の次に釈迦庵跡が出てきます。


 恩山寺から立江寺への道を行きつ戻りつしていると、名古屋から来ている同年輩の歩きお遍路さんと三回顔をあわせた。挨拶したり一言二言話しかけていると三回目には、無人販売所で買ったミカンが多くて背負うのに重いのでよかったら召し上がりませんかといって10個近く頂いた。阿波の住人であるこちらがお接待しなけりゃならんのに、お遍路さんの方からお接待された。ありがたや、南無大師遍照金剛

2 件のコメント:

carlos さんのコメント...

やまさん、おひさしぶり
9月末からの3回目の入院(抗がん剤治療)が終わって、今日退院した。

今回はきつかった。
効果の程はほとんど期待できないが、副作用で確実に体力を奪われた。
吐き気と脱力感で数日寝たきりで起き上がれんかった。

退院の今日も37.8度の熱が出て、なぜかおしりから出血。
何度も便秘を繰り返し力んでだそうとするので、痔になったのだろう。
あるくどころか、立っているのも息絶え絶えだが、カーテンに囲まれたベッドで過ごすのは耐え難いので、退院する。
病院もコロナが鎮まってきたので、入院患者を増やし、たまっていた手術をどんどん消化するようになり、そのために主な治療が一段落した患者にどんどん退院・転院を勧めている。

そんで帰ってきたものの、わが住まいはエレベーターのない4階のアパートである。
2階まで手すりを頼りにあがったところで、階段にへたりこみ、吐いてしまった。
もうどないなるんかいなと、不安になった。
休んでから、30分くらいかかって4階まであがり、部屋に倒れ込んだ始末です。

でもやっぱり、自宅はええわ。
思い切って帰って良かった。
といっても、今月の末にはまた入院のスケジュールを言われている。
いややなあ。

そんでひさしぶりに、やまさんのブログ読んでうれしい。
やまさん元気じゃ。
読んでてこちらも、気分あがるよ。

yamasan さんのコメント...

carlosさんへ
コメントいつもありがとうございます。たいへんな二週間でしたね、普通だと退院おめでとうだけど、まだまだ病との戦いは続きそうですね。全快おめでとうと言えることを切に祈っています。
 自宅が精神的にいいとのことでそこで安静静養されて体力が回復されればいいですね。でもまた治療スケジュールで入院があるんですね、たしかにトホホですね、私だと心が耐えられるか自信がないです。
 なんかcarlosさんの気分が上向きになるようなものがあればなぁ。
 最近私は以前は感じたことのない、癒されることのないしんどさと、生きることの虚無的な感じを頻繁に味わうようになりました。幸いまだ歩けるし、自転車にも乗れるので近頃、私はほとんど早朝家を出て、暗くなって帰るまで外でいます、独居老人で家事をするのもおっくうで食事も外食かコンビニで済ましています。家はあるけどほとんどホームレス生活です。でも妙な話ですがそれがなんとか私の心を持たせているのだと思います。
 よく仏教に関するブログを書いていますが、いまだ芯から傾倒しているわけでもなく、仏教の言う究極の境地はすばらしいと思いますが、到達できる自信などありません。もがくばかりの人生です。
 carlosさんはまだ外を出歩くのは無理みたいですので安静静養しつつなんか楽しいことを見つけてください。