汽車で貞光観光はたいへん不便である。なにせ日中は上り下りとも3時間にほぼ一本しか汽車がない。引地のお堂をみて、町筋にある文化財になっている古い映画館の建物を見てもまだ帰りの汽車の時刻にずいぶん間がある。そこで町筋を時間つぶしのためぶらぶらした。
そこであらかじめ考えていたことだが、時間があればうろ覚えだが尋ねてみたい場所を少し探索がてら歩くことにした。それは明治生まれの祖母の里がどうなっているか、ということである。祖母の里は町にあり、八坂神社(ギョンサン)の近くだった。何度か祖母に連れられて祖母の里へ行ったことがある。といってももう半世紀以上も昔のことで、その場所が特定できるかどうか自信はない。
大昔境内で縁日だったのだろう、人でにぎわう八坂神社(祇園社)の場面の記憶はかなり残っているし、そのすぐ近くだった(町中だったが)昔の農家風の祖母の建物の外観や、土間、座敷などの様子もおぼろげながら記憶に残っている。
もし今祖母の里の人が同じ場所に住んでいるとしても、家も多分建て替わっている可能性が高いし、私と何親等隔たるかわからないが、とおい祖母の縁をたよりにその家を訪問してどうこうという考えは全くない。ただなつかしさに、もし里の家及びその子孫が同じ場所に住んでいるなら、特定してチラリとでも見たいだけである。
ギョンサンはすぐわかった、貞光でも有名な神社で夏祭りの時は今でもにぎわい、コロナ下で中止になってはいるが毎年花火大会も開催されているほど重要な神社である。しかし行ってみると記憶と大きく違っている、まず社殿は新しくなっている、それに境内はこんなに狭かったかしらん?というほど小さい感じがした。
そしてその近くにある祖母の里の家のあったあたりに歩をすすめる。それと思しきあたりには今も家が建っている。半世紀もたっているが、記憶に残る外観にほぼ似ている。ここに間違いない。確信した。しかし細道から敷地に入り表札を確かめはしなかった。だれが住んでいようともう今は関係ない、大昔祖母に連れられてきた記憶をてがかりに、いまその場所に行ってきたというだけで満足である。(写真を上げるつもりはなかったが、細道でグーグルのストリートビューにも掲載されていず、特定されないということで細道からとった写真を私の思い出の一つとしてあげておく)
そうそう引地のお堂へ向かう途中の山のほうにこの町筋にある八坂神社(祇園社)本殿の奥宮という神社があったのでその写真も上げておく。
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