2020年11月26日木曜日

徳島、歴史的建造物が少ないと聞いてはいたが、毀滅の大正時代さえ・・

  わが徳島県で最古の歴史建造物といえば、室町時代に建てられた「丈六寺山門」であろうか。これはよその県と比べても、最古というにはいかにも新しいといわねばならない。奈良にある飛鳥時代の法隆寺ほど古いものはなくても、最古というからには平安、鎌倉時代の建造物が残っていてもよさそうなものである。古いものを残したがらない県民性なのかなとも思ってしまう。

 毀滅の大正のブログを書いていて、わが県に残る大正時代の建造物を探していたが、これも見つからない。わずか100年びゃぁしかたっていないのに市内を探しても、大正時代の建造物が見つからないのである。ワイがチンマイとき昭和30年代前半ころ、は木造の古い民家、あるいは町屋、長屋のようなものでも大正期に建てられたものはまだ存在していた。しかしそれらは老朽化が進み、台所・風呂、便所なども旧式であるため、昭和40年をこえると次々と取り壊されていった。

 当時としたらまだ半世紀もたっていない大正期の老朽民家なんど、なんの価値もないものと思われていたのは仕方がない。昭和40年頃は大正のボロッちい家などは保存すべき価値(特に民家は)はなかった。しかし一世紀以上たち大正期の建物がほとんど消滅してしまった今、歴史的建造物としての価値が出てきた。どんどん取り壊される中、古いものに固執する人、固陋と言われても古いものが好きな人が一人くらいいて、大正期の民家を今に残したのが一軒や二軒あってもよさそうなものだが、大正期の現存する民家は絶滅してしまった。

 今徳島で、比較的近似の時代の近代的歴史建造物を探すと、県庁と牟岐線の鉄道を挟んでレトロな洋館建・三河邸があるが、あれは昭和4年の建物で大正期ではない。他、レトロなビルディングも(旧銀行や商社)も幾つか残ってはいるがこちらも昭和7~9年ころの建物で残念ながら大正期の建物ではない。大正期の毀滅のブログを書き始めてから、あっちゃこっちゃ大正期の建造物を探したが、民家や長屋、町屋などは市内ではどうも見つかりそうもないのであきらめた。

 結局市内で毀滅の大正期の建造物といえるのはこの二つしかないんじゃないのかとの結論に達した。もし市内にほかに大正期の建造物を知っておられる方がいればお教え願えればと思っております。

 その1(居住できる建物ではない)、徳島佐古配水場の赤煉瓦建築


 正面入り口の門、鉄柵は大正期の建築を再現している。ただし配水場本体の赤煉瓦の建物は昔のままである。

 反対から見た赤煉瓦配水場、若い坊ちゃん嬢ちゃん方がこの横を通ってもき、やはりレトロな雰囲気を感じるのか、いつ建てられたかは知らなくても、立ち止まってみたりスマホで撮影したりしている。

 その2
 建造物といえるか疑問だが、徳島公園内に静態保存されている蒸気機関車「8620型」も製作年、使用年とも大正期だ。これは鬼滅の刃・無限列車のモデルとなった機関車である。

 これ以外に、市内に何か大正期の建造物があればぜひお教えください。

0 件のコメント: