私が生まれるずっと前から「鴨島の菊人形」は有名だった。(チンマかったので全国的にか地域限定かはわからないが)子どもの頃は「有楽座」という芝居小屋とアミューズメントパクを兼ねたような娯楽施設で菊人形が大々的に行われた。私の家の近くということもあり、秋が来て菊人形が始まると、周り一帯が華やかになった。単なる菊人形展示ばかりではない。「十二段替えし」などと称して、舞台上に菊人形を上げてお芝居をするのである。
舞台で菊人形がお芝居をするって?どうするの?と思われようが、舞台上でドさ回りの劇団一座が普通のお芝居をするのである。そして見せ場、歌舞伎だと「見え」を切るところだろうか、つまり最高の見せ場がくるとストップモーションするのである。その時が来ると、パッと舞台が暗転し、次にライトがついたときは菊人形が「見え」の格好で型を切っているのが舞台上に演出されるのである。その切り替わる菊人形による見せ場が12場面あるのが「十二段替えし」である。観客はパチパチと拍手して盛り上がっていたのを覚えている。
そればかりではない、菊人形の展示場でも、電気仕掛けで動く菊人形が必ず一つのブースにはあった。覚えているのは酒呑童子の菊人形である。美男子の酒呑童子が盥ほどもある酒杯を両手で掲げ、顔を隠すようにグッと飲み干すとその間に顔が一回転して(酒杯で見えない隙に)鬼の顔に代わって、酒杯が下ろされるとそれが現れるのである。奥まったくらいブースにあることもあり、一人で見るのは怖かったのを覚えている。
近所のごく小さい子というばかりではあるまい、たぶん、入場の係の人と私の祖父が知り合いだったこともあるだろう、菊人形が始まれば毎日のようにタダで入って中で遊んだ。(当時、大人は130円くらいの入場料がいった、これは映画館より高かった)
毎朝、開場の時刻前に「煙火」があがった。ポ~~ンと上がりバァ~~ンと炸裂したあと、煙火の中には落下傘が仕込まれていて、その落下傘が堕ちてくるのだが、下にはひらひらと大きな長方形の紙がぶら下がっていて「有楽座・鴨島大菊人形」とかかかれた宣伝文句が書かれていた。これは有楽座のまわり、ただし風があると結構遠くへ飛んだが、地域の子どもにとってこれを競って拾うのが登校前の日課であった。子どもでも大きくて腕力のある子がだいたい獲得していたように思う。もちろん大人が拾うのも多い。これを有楽座に持っていけば何か記念品ももらえたのも獲得合戦に拍車をかけることになった。
下がその有楽座、正面上方には『楼門五三桐』の石川五右衛門だろう菊人形が飾られている。
その有楽座も私が小学校三年の冬に焼けてしまった。その後も跡地は菊人形会場として利用されたが往時の繁栄は取り戻せなかった。それから60年以上たち、菊人形は吉野川遊園地、そして町役場広場(+駅前広場)と会場を変えつつも存続してきたが、次第に先細って来た。
そして今年は思いもかけぬコロナ災でとうとう中止を余儀なくされた。まことに残念である。そんな中、個人の有志が自前で菊人形をつくり、町内中塚の国道192号線沿いに展示している。主題は「サザエさん一家」のようである。
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