2020年11月24日火曜日

鬼伝説 鬼滅の刃から考える

 第一巻しか読んでいないが、ジジイとしてはこのコミック本、「鬼退治」の話の一種として受け取った。日本各地にある鬼の伝説はほとんどがそれ(鬼退治)に類する。中にはエエもんの鬼や、改心して悪から足を洗う鬼もいるが、それは鬼退治という主筋が進行する過程で、派生的に生まれたもので、退治される鬼の本質は変わらない。そもそも鬼は存在自体が「征伐され退治されるモノ」という宿命を負っているのである。

 なぜそんな因果な宿命なのか?それは「悪」の権化だからである。人も時として悪をなす。見逃される小悪もあるだろうし、指弾され自らの命をもって償わなければならない大悪もある。種類程度はさまざまである。人のなす悪で最大の、いわば究極の「悪」を抽出し煮詰め、結晶させ、それを受肉させたのが「鬼」である。なんのことはない人のこころ中にある極悪を投影したのが「鬼」となるのである。

 許されない大悪をなした人を、人ではあるが「○○鬼」と呼んだりする。「殺人鬼」「食人鬼」、あるいは「鬼畜の所業」と呼んだりもする。鬼は人の世の存在の埒外、どことも知れぬ異界からやってくる別種の生き物のように思われているが、そうではなく極悪をなした人を映す鏡の反対側に鏡像として、対称的位置に存在しているのである。

 だから鬼が生きるに必要で最も重要なのは、人がなしうる最大の悪行、「見境のない大量殺人」、そして「人肉嗜好」(つまりおいしく人肉を食べること)をすることである。これが鬼の存在意義といってもいい。これなくしたら「鬼」ではなくなる。このような生き物は「人類」と相いれる存在ではなく、必ず退治されねばならぬのである。

 次にその鬼退治について見ていこうと思う。


 全国的に知られ、大人から幼児まで知っている鬼退治と言えば「桃太郎」の話が有名である。絵本などで取り上げる桃太郎の鬼退治の話は単純であるが、オリジナルはもっと複雑なものではなかったか。そもそも桃太郎誕生の元となった「桃」、あれは邪気を払う霊果とされている。その桃から生まれるというのはなにかの誕生秘話がありそうである。親代わりの爺さん婆さんが桃太郎を育てるのもサラッと流しているが、成長期の教育は一番大事である、いったいどんな成長秘話、あるいはエピソドがあったのかわからない。また鬼が島へ出かけるにあたっての携帯食料「きび団子」を持っていくが、これも何かいわくがありそうである。助っ人の犬、雉、猿が次々現れるが、その絡みの話は端折られている気がする、それぞれに小ドラマがあり、それら動物が鬼退治に参加する意味づけがあるのではないか、・・などなど、決して単純なストーリーではない気がする。このように考えて話を膨らませると鬼滅の刃ほどではないが、結構な巻数の桃太郎鬼退治コミックになるのではないだろうか。

 桃太郎の話はおとぎ話的な色彩が強いが、本格的な鬼退治で有名なのは「大江山の酒呑童子の話である。これは以前、ブログにしているのでそれを見ていただいたほうがいいだろう。

 大江山酒呑童子の話ここクリック

 酒呑童子の話は、都(京都)に近く、いろいろな古典文学や能(能では題は大江山)などに取り上げられ、また映画にもなっているので有名である。しかしよく似た話は全国各地に数多くある。いちいち取り上げればきりがないので、その中から一つ、わが徳島(阿波の国)にある鬼退治伝説の話を紹介する。

 阿波の国の最北端、瀬戸内に面した北灘が舞台である。ここにその名も「骨鬼寺」という寺がある。その寺伝に伝わる話である。

 この地にはいつからか親子4匹の鬼が住み着いて近隣の村人らに害をなしていた。たまたま浄土宗の開祖・法然が讃岐配流を命じられてこの地へ流れてきた。鬼たちは当然、法然を襲おうとしたが、逆に法然に仏の道を諭され、今まで自分たちが犯してきた所業を悔い、浄土に生まれ変わるべく崖から身を投げた。村人たちはそれに感じ入り、鬼の遺骨を境内に埋葬し、寺号も現在の鬼骨寺へと変えたと言われている。

 寺伝では上人に諭されて、所業を悔い投身自殺とある、たしかに悔いたこともあるだろうが、空気を吸うように極悪をなさねば生きれぬ鬼にとって仏心が生まれ悪をなすことができぬようになれば、もう鬼の身としては生きられなかったのだろう、あの世での転生しか選択がなかったと思われる。法然さんは宗教的な聖人であるから武力は用いていない。武力に代わるものとしての有難い説法である、それを受けての鬼の回心であるから、これも鬼退治の伝説の一種と考えられる。

 下が鳴門市北灘にある鬼骨寺山門


 この寺にはその時投身自殺したと思われている(?)鬼の骨、角、爪、歯、なんだろう?よくわからないが、鬼の遺骨の一部とされるものが寺宝として大切に保管されている。下の写真がそれらしい。


 次に二種類の鬼をあげておく、鬼滅の刃に登場する鬼はもちろん前者である。

 下図は百鬼夜行絵巻の鬼であるが、他の大勢いる妖怪の一つにしか過ぎない。異類異形の妖怪とはいえ、有情(うじょう)・生きもの、であるから喜怒哀楽もあり、間違いや失敗を犯す存在である。もちろん鬼もそうである。そのためかなにかしらんこの赤鬼、ユーモラス感がただよう。

 鬼の極悪を平気でなすことができる性質は、地獄の獄卒にふさわしい。「地獄の鬼」は上の妖怪の仲間の鬼ではなく、ひたすら亡者を苛むことに特化した鬼である、一説には地獄へ落ちる人の「悪業」が凝り固まって地獄の鬼になるという。そのため何の情も持たず(有情・生き物、ではない)、淡々と地獄の業苦を亡者に負わせる、ユーモラス感など微塵もなく、ゾッとするような醜悪な顔かたちをしている。

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