2025年2月11日火曜日

記念日のスポットに行ってきた

  今日の建国記念日にちなむ県内のどこかの場所に行こうと、佐古七番町あたりを歩いているときに思いついた。さてその場所は?全国区でいうと今日の記念日のもととなった神武天皇即位の地と言われている奈良の橿原神宮があるが、そんなところまでは行けない。では徳島でその分社、つまり神武天皇をお祀りしているところがあれば、それが県内の、建国記念日にちなんだスポットということになる。

 アミコビル内でWi-Fiの電波を拾って探すと、土成町の樫原神社(同じ読み方だが字が違う)が神武天皇をお祀りした神社であることがわかった。しかしこれもちょっと距離があって今からだと行くのは無理だ。

 他にどこぞないか、と思いついたのが眉山ふもとにある神武天皇の銅像。ここなら佐古からすぐ近まである。ちょっと歩くと寺町に入り、そこの滝薬師はんから石段を上る。しばらくヒルクライム(坂登り)をしていなかったので体はキツイ、休み休み、セコセコ、ようやと神武天皇はんの銅像前広場についた。ここは坂登り・てくてく歩きの御達者なご老人たちが屯しているところであり、また早朝ラヂヲ体操なんどもやっている場所である。


 神社ではないが拝礼をおこなう。神武さんの弓の先にとまっているのが大和征服の道案内をしたといわれている八咫烏(やたがらす)である。


  ここからの眺めはよく、徳島市中心部が見下ろせる、そして遠くには紀伊水道もみえる。

2025年2月10日月曜日

のど自慢

 


 昨日、ワイの生まれた町で、某公共放送の「のど自慢大会」が生中継された。会場にはいけなかったので、あとで録画をみた。

「だれぞ、知っとる人おるやろか」

 いたいた、ワイより年上でもう八十歳にはなろうかという「I」さんだ。映像で見たところ矍鑠として、肌もつやがあり、髪黒々ふさふさ、ステージにすっくと立った姿は、まだ60代と言っても通るほどだ。徳島の民謡が上手いと聞いていたので祖谷の民謡「粉引き歌」でも歌うんかいな、と思っていたが違った千昌夫さんのなんちゃらいう歌だった。ひいき目に見ても貶(けな)し目にみても出場者20人の中では一番うまかったように思う。朗々とでも形容するような声のボリュゥムや屈託のない歌いぶりに感心した。

「こりゃ、かなり、歌いこんどるな、それもちょっとしたステージみたいなところで」

 歌の終わりにキンコンキンコン~キンコロクァ~~~ンと鐘がフルに鳴り響き彼は入賞した。この日の入賞者は20人の出場者のうち5人で、最後の審査発表でなんと、「I」さんはチャンピヨンに選ばれた。

 ええなぁ~、こんなドサ回りののど自慢大会、みたことのある兄ちゃんや姉ちゃん、おばはんおっさんが、趣味で歌っている歌を上手下手にかかわらず披露するって。振り付けも洗練されていないけどその分新鮮やわ。歌い終わった後のコメントもおもっしょい。「〇〇ちゃん、見てますか~、好きですぅぅ」、「ウチの猫が五匹も子ぉ産んだんじょぉ」・・など

 ほにゃけんど、ワイの好きな歌とか銭湯で歌いよる歌なんぞは古臭くて、こののど自慢大会のエントリィ曲には全くなかった。いっちょ古い歌がその「I」さんが歌った千昌夫はんの歌やから。後は歌どころか歌手の名前も全く知らん歌ばっか、大文字のロゥマ字が三つ並んだんが歌手の名前って、そりゃアンタ、知るはずおまへんがな。ワイからすれば昭和40年代以降は新しい歌だ、ワイの知る古き良き時代の昭和20年や30年代の歌を歌う人なんど死に絶えたんかなぁ。

♪~くぁぁっぱ~くぁらぁげぇて~、三度ぐぁぁさぁぁぁ~~、どくぉねぐらぅぅらぁぁのぉぉ、渡りぃぃどぉぉりぃぃ~、愚痴じゃなけれどぉ、この俺ぇぇぇにゃぁぁ~

 三波春夫はんの「雪の三度笠」、どこぞの爺ちゃんが歌うの聞きたかったな。まぁええわ、今晩、銭湯でワイが歌ってこまそ。

2025年2月9日日曜日

なにもブチ殺さなくても

  昨日のローカル紙に徳島市の上八万地区で出没していた猿が捕まったというニュスが載っていた。その経緯を簡単に説明すると

 出没が問題視されだしたのは今年に入ってからだった。徳島市上八万町(八万も含む)を中心に34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害6件確認されていた。いずれも同一の猿とおもわれる。

 そして捕まったのは、7日午前6時、徳島市八万町の文化の森の近くに市と猟友会が設置した箱型の罠にかかっていた。体長60センチ、若いオスのニホンザルであり、被害をもたらした猿同一個体であると思われる。

 その記事の最後は、なんとも悲しく私には衝撃的な一文で締めくくられていた。

 『猟友会によって、その日のうちに殺処分されたということです。』

 「ええぇぇ~、なにも殺さなくても、他に何か手立てなかったのか、殺処分って、文字から伝わる処分の言葉にはまるでゴミか何かを処分するような嫌な響きが感じられる」

 新聞には、このまま(多少の脅しを猿に加えて)山、つまり自然に返しても人に馴れている猿だから、また再び被害があることを考えての決断だったという意味のことが書かれていた。なるほどそれはそうだろう。しかし殺すという手段以外、他の方法は考えられなかったのか。その日のうちにという言葉に、もう少し時間をかけてよい方法を見つけ出せないものかといいたくなる。

 地域住民の言葉もいくつか載っていた。

 「サルは危害加えるからね。子どもにね、危ないしね」

 「もし私、出会ったら怖いな~と思ってたんですよ。安心しました。」

 しかしこのコメント、その日のうちに殺処分したということを聞いてのコメントだろうか。もしそのことを聞いての感想なら、何も殺さなくてもと思った人も多くいるんじゃないだろうか。

 去年、秋田県でツキノワグマが里へ下りて人に遭遇し、多くの被害が出たとき、やはり捕獲した熊の殺処分についていろいろな意見が出た。殺すな。という脅しのような電話が来て問題になった。その時に行き過ぎた感情的で過激な殺処分反対があったため、むしろ世論は殺処分止むを得まい、という意見が多く、支持も多かった。そのことがわが県民にもニュスとして伝わっている、おそらくこのまま県民の意見は殺処分是認に傾くのだろう。

 秋田の熊の場合、殺処分反対派の言説も過激だったが、殺処分を是認した行政当局(具体的には知事・市長)の言説も結構過激だった。

 「あ~もしもし、そんなに殺処分に反対するなら、ご住所をおっしゃって下さい、熊をお送りしますから、そちらで、被害がでないように措置を講じてかわいがって育ててください」

 反対派は黙るしかない。

 しかし、熊と猿を同じにしてはいけない。熊は人命にかかわるほどの被害を人にもたらす。死亡事故、重症者が出る。人に馴れ、人里へ餌をあさりに来る熊は、たとえ電気ショックなどの脅しを加えて自然に放逐しても、再びやってくる。より賢くなっているかもしれない。そして人に遭遇し被害をもたらす。猿も同じじゃないかと、思われようが、上記の記事の被害の実態を見てほしい。「34件の出没情報が寄せられ、うち擦り傷など軽傷の被害が6件確認」である。確かに怪我を負わせてはいるが、すり傷などの軽傷で、それも5~6件に1例である。足にしがみつかれ驚いて転倒が多く、引っかかれたのもあるが、人と猿が共存する高崎山などの猿のいたずらくらいと言えばいいすぎだろうか。中には、歩いていて、なんやら、足が重とぉなったなぁ、と思ってふと重くなった足をみるとお猿さんがしがみついていた、っちゅうのもある。驚いて振り払うと逃げて行ったのである。この程度ばかりだと、「おさるさん、おいたはダメよ、メッ」であるが、軽傷ではあるが人に障害をあたえればそれは許されるべきではない。

 その被害を軽視するわけではないが、熊との違いは明瞭である。確かに猿は捕まえられ同じ個体によるその後の被害はなくされるべきである。しかしそれが殺処分に相当するかというと私はそうじゃない方法を考えるべきだと思うのである。熊は人の命を奪ったり、重傷を与え重い後遺症を負わせる。対し猿はいずれも軽症である。殺人を犯した犯人が死刑になるが、人に軽傷を与えて逮捕された人が死刑になるだろうか、量刑相当というものがある。私が何も殺さなくてもいいのじゃないかと思うゆえんである。

 熊を殺すのがいけないといって、じゃぁお前が飼うかといえば、嫌である。しかし、猿の場合はどうだろう、殺すくらいなら、飼えばいいと考えれば、飼う方途も見つかると思う。


 殺処分を猟友会にまかせたが、猟友会も内心猿を殺したくないんじゃないだろうか。本来お山の猟師さんたちは、猿を「山の人」、あるいは「山のオヤジ」と呼んで、弓矢鉄砲を向けず殺さなかった。ヒトあるいはオヤジというように人のような愛称で呼び、人間に最も近い動物として扱ってきたのである。さらには猿は神の使い、あるいは神そのものとしても崇められた。

 今から五年以上前にアップしたブログ、2019年9月14日の記事・「ここいらへん(徳島)に猿の神様っているのかな」を読んでほしい。⇒ここクリック

 ブログを読んでもらうとわかるが、猿が御神体の一つであるこの寺の一画に、猿の寺にふさわしく小屋が設けられなかで猿が飼われていた。ニホンザルである。このようなところででもなんとか生かすことはできなかっただろうか、と残念で悲しくおもう次第である。

2025年2月8日土曜日

今朝は凍りついたわ

  昨日は、病院の予約日だった。診察をおわり病院の敷地内にある薬局で薬をもらって、外へ出ると、気温は低いが、風はほとんどなく快晴、午前十時ころだったが、この調子で行くと陽だまりはあったかいだろうなと感じさせる日であった。西の方を見ると、霊峰・高越山がまるで日本アルプスの峰のように白く輝いている。


 11時過ぎ、少し早いが某バス会社の社員食堂で500円のランチを食べた後、会社横の公園の南向きのベンチに座ると予感通り、風もなく、お日ぃさんがたっぷりと体にあたり、あったかくて気持ちいい。公園内の遊具のある方では近所の保育所・幼稚園の園児が保育士に引率されてきていて、元気に遊んでいた。正午ごろまではそんな春をおもわせる天気だったが、午後になると雲が広がりだした。

 それでも暗くなって午後七時頃、銭湯へ行く道の上には半月が出ていた。しか九時前銭湯を出ると細かい雪がたくさん降っている。見る間にまわりが白くなっていく。気温も急激に下がり、風もある。家に帰ると電気毛布を「強」にして早々と寝た。朝暗いころに目が覚めたがガイにさぶいので、布団のなかでぐずぐずしながら七時半にようやと起きて服を着かえる。外に出ると道はガチガチに凍っていた。車の通行もほとんどなく、たまに通る車はのろのろ徐行しながら進んでいる。下の道の写真で水たまりのように見えるのは水ではなく氷でそれも表面だけではなく底まで凍っていた。こりゃ車でのうても人でもすべるわ。そういう自分は長靴をはき、杖をもって町へ出てきた。喫茶店へ入り、そこのワイファイにつないでこうやってブログを書いている。


2025年2月6日木曜日

縁起物を紛失したが

  身に常時つけているものは値打ち物でなくても、紛失したときは大変残念に思うものである。昨日、チェア型の按摩器で、四肢も含めて全身をマッサージしようと、左手から時計を外し、右手首にはめている数珠も外そうとしたが、いつの間にやらなくなっている。手首からすっぽ抜けたようだが、全然気づかなかった。前日、風呂に入る時、外してまたつけたから前夜ははめていたことは確かである。昼頃までは手首にあったはずだと思う。いったいどこですっぽ抜けたのだろう。図書館のブースでジャンバーを脱ぐとき一緒に脱落したのだろうか。

 数珠の素材は紫檀だが手首に巻くほどの小さなものなので値打ちのあるものではない。しかし愛着もあるし、第一、念珠という言葉もあるほど念が込められたものと考えると、紛失は縁起という点では良くない。だがおそらくもう出てきはすまいとあきらめた。

 そしてずいぶん冷え込んだ今朝、家から外へ出るのに手袋をはこうと手に取ると、なんと右手の手袋にその数珠がからまっている。手袋を脱いだ時に一緒に抜けたようだ。結局、再び私の手首に数珠ははめられた。みつかってよかったわ。


2025年2月5日水曜日

寒波

  立春を過ぎての、昨日からの「氷が張るほどの寒さ」や「降雪」は今冬一番の寒波になるようだ。下は今朝国道192号線である。道路にも(薄いが)雪が積もっている。車はあまりスピードを落とさず走っていたが、これより西の地方や山間部は積雪も多く、車の通行には難渋しているのじゃないだろうか。(軽四トラックが写っていて特定を避けるためナンバを消そうと思ったが、ナンバに雪が吹き付けられ白くなっていてその必要ななかった


 急な気温の低下、強い北西風、降雪などは寒波の特徴であるが、75年間生きてきた経験から言うと、ワイの小ンまい時、昭和30年代は冬の間中、今日のような寒さは普通で、寒波と言えばもっと強力なものだった。氷が張るなんどということは毎朝のことで、北極生まれの寒気団が南下してワイらの地方を襲ったときは(それが寒波だ)、数センチの分厚い氷が張ったもので、それが解けないうちに次の氷が張るものだから、厚みを増したり、また何重にも氷がはったものだ。小学校の行き帰りで通る道のそばに天水桶があり、それに厚そうな氷が張っていたので、上に乗ってみたことがある。小学生で体重が軽いとは言え、割れもせず床のように体を支えた。小学校3、4年の時である。この頃は雪もよく降るし、積もることはもちろん、気温が低いせいか数日、時によっては十日余りも残雪があった。今は積もってもすぐ溶けて残雪が何日も残るということはなくなった。

 今日の全国の気象ニュスを見ると各地のドカ雪の報道が多くなっている。冬の温暖化が言われているのにそれに反する気象のようにも思うが、誰やら、たぶん気象予報士さんだと思うが、「冬の温暖化は、即、雪の消滅をもたらすものではなく、まず、それはドカ雪となって表れる場合が多い、冬の気温の上昇は、大気中の水分の上昇をもたらし、雪積雲を発生させやすいからそうなる」といっていた。

 北海道の帯広では2mをこえる雪で、何と一日の降雪量が観測史上最大の124cmに達したそうだ。北陸日本海側でも2mを記録しているところが多くなっている。

 昔しゃぁ、アンタ、雪ぃふって、よろこぶのはスキィ場のおっさんくらいやったが、今は雪景色や、雪そのものを楽しむ海外客雪のない国々・中国、台湾、東南アジアなど)が増えて、降雪、積雪を見て喜んでいる。たとえ雪がある国(欧州・北米)でも日本ほどの降雪積雪は珍しく、日本の雪を見るとその圧倒的な量に仰天する人が多い。


 中でも合掌造りの岐阜県の「白川郷」、お猿さんが雪の中露天風呂に浸かるのが見られる長野の「地獄谷温泉郷」などは、ただことないほど観光客が押し寄せて、雪で儲けさせてくれている。しかし今回の寒波によるドカ雪は、あまりにもものすごく、交通途絶の恐れも出て、バスや車も雪で止まれば観光どころでなくなるので、もうちょっと緩めてつかぃ、と天を仰いで祈っているようだ。今日のニュースで白川郷では一日の降雪が1mをこえ合計2m28cmになったといっていた。しかし大雪で降りこめられ、あるいは吹雪で動けなくなるのも、命に別状なきゃぁ、雪なんど見たこともない南国の観光客にはこの上ない体験になるんじゃなかろうか。

 今日一日寒波は続くようである。

2025年2月3日月曜日

二月二日、三日、四日は特異日?しょぉもない雑学

  まず今日の二月三日は暦の上で二十四節季の「立春」である。太陽黄道を二十四等分に分けたうちの1つである。だからその日は自動的に決まる。それが今日である。単なる黄道の通過点ではあるが、この頃になると太陽高度も(冬至などと比べると)高くなり、ゆえに日の光も強さを増す頃である。それは季節の変化の一つとしてとらえられ、立春と名付けられた。その名のように春の兆しが立ち始める日とされている。

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ 紀貫之

 今日は立春だが、予報では今日からガイに寒ぶぅなるっちゅう話だ。まだまだ気温は真冬であり、肌実感としては「どこに春らしいあったかさがあるんぞぃ」である。しかし先に言ったように徐々に強さを増していく陽光は確実に春を感じる。上記の和歌で貫之はんは「(以前手ですくった)その水が凍っているが、立春の今日、とけているだろうか」と(・・らむ)推量で和歌を結んでいるが、おそらくとけてはいまい。しかし晴れていれば光に春を感じ、風にもこころなしかわずかの春を感じたのかもしれない。

 立春の前日が「節分」である。だから昨日の二月二日が節分であった。それについて、友人が、「節分って二月三日じゃろ、と思ってた。二月二日なんやな」と言っていた。立春は毎年同じ日ではなく一日前後するときもある。だから前日にある節分も当然それによって変わる。年によってどれびゃぁ変わるかネットで調べてみた。するとおぶけたことに、今から60年も前の1966年から今年までの間はほとんどが二月四日が立春であり(五日も5回ある)、三日に立春が来るのは今年を入れてたった二度しかない。だから、たしかに節分は二月三日と一般的に思われてもしかたないとおもう。

 節分の日は「鬼は外、福わ内」と豆をまき息災を祈る日である。ところが今はそれに加えて恵方巻という巻き寿司を吉方に向いて食べて、息災を祈る行事もあわせて行われる。ワイの小ンまい時の、ウチラ辺の地方では断じてそんな風習はなかった。聞くところによれば大阪あたりにはそんな風習があったそうであるが、すし屋がそんなうまい話に乗らない手はない。全国にこの風習が広まれば、すし屋はより儲かる。そういうことで近年ではワイらの地方にまで定着してしまったようである。どこのスウパもきにょうは恵方巻が山盛りになって売られていた。すし屋はんのマーケチングの成功例じゃなかろうか。

 ここでふと思った。2月14日は恋人たちが注目するチョコを送るバレインタィィンデである。十日びゃぁばかり早いが、この「節分」の語呂がよく似てるから節分の日を「せっぷん」の日にしたらどうじゃろかい。ちょっと長めの恵方巻の寿司を恋人同士(別に男女でのうてもええのは最近あたりまえじゃ)両方からパクつき食べていく、そうすると食べ終わりに近い最後は接吻状態になりまんがな。で、恵方巻も売れるし、接吻もできるし、目出度し。我ながらええアイデアと思いまんがなぁ。

 ところがネットで調べるとなんと、すでに「接吻の日」というのがありました。知らなんだなぁ。接吻(キス)の日は、日本では毎年5月23日だそうだ。これは、1946年5月23日に日本で初めてキスシーンが登場した映画『はたちの青春』が公開されたことに由来しているそうや。残念。

 次にあしたの二月四日はなんの日?語呂合わせで「西の日」らしい。ホンマでっせ。ところが西の日があるのに、東、南、北の日はない。語呂がうまく合わないからだろうか。それにしても西の日だけしかないのはなんかの理由か。歳ぃいってあの世が近いワイがおもうに、西を大事にするのは、やはりあの世、極楽浄土が西のかなたにあるからじゃなかろうか。チィ~~~ン、ナンマアンダブ

 難波(大阪)にある「天王寺」の西門と西の鳥居は、極楽の門に通じているという。ここは西の方極楽浄土に通じるスターゲイトじゃ。下は13世紀の一遍上人絵伝より、天王寺の「西門」と「西の鳥居」