2011年5月5日木曜日

たんごのだんご(端午の団子)

 今日も夜のウォークに行ってきた。駅前の中央通の歩道を歩いていると、向こうから丸っこい犬がよたよた歩いてくる。首輪をしてるが放し飼いの飼い犬だろうか。近づいてみると狸の置物を横にしたような犬である。
 注目したのはその犬が人間のように喘いでいるのである。

 「ゼイゼイ、ハアハア、ゼイゼイ、ハアハア」

 税務署で飼われているわけではない。その喘ぎの一人前のリアルさに思わずじっと見つめました。
 犬にも横目でチラと見られながらすれ違いました。
 喘いでいるといっても、切迫した発作ではなく、息をするついでに、ゼハゼハ、いっているようなおざなりさを感じました。
 たぶん老犬なんでしょう。
 わたしも喘いだり、唸ったりして体が楽になるなら、何ぼでも息するついでに、やりますわ。

 帰り着いた。今日はあまり暑さを感じないが、そのかわり、腹が減ってきた。端午の節句というので柏餅を買ってあったので、2つ平らげる。夜遅く食べるのはよくないのはわかっているが、辛抱でけへん。

 柏餅とはいえ、我が郷土の柏餅は厳密に言えば柏の木の葉ではない。こちらでは「サルトリイバラ」という木の葉を使う。
 柏はブナ、楢、ハンノキ、楡、などと同じ落葉広葉樹(ブナ林)帯の主な樹種である。そのためその樹林帯である東日本は本物の「柏の葉」を使うが、我らの地方は照葉樹林帯である。深山には柏はあるがそれよりは里山に多い「サルトリイバラ」の葉の方が手に入れやすい。どちらも餅を包むのによい大きさを持っている。
柏の葉










サルトリイバラ


しょうぶ湯 もも湯

 最近のわが町の銭湯は絶滅してしまったが、銭湯があったときは、今日は「菖蒲湯」の日であった。
 湯船にはしっかり縛った菖蒲の束が浮いていた。それを見るとなんか嬉しくて、ももぐりまわった記憶がある。葉は青々した長い形であり、根方の方が白くて、根方からは菖蒲が匂い立つ。
 これには独特の香気があり、私には超高価で芳醇な日本酒のちょっと刺激的な香気と似ていると思った。昔はアロマセラピーなどという小難しいことは知らなかったが、この香りをかぐと、効きそうな気がしたものである。

 子供の頃の銭湯の菖蒲湯は、実は今日ではなく、旧暦の端午の節句であったと記憶している。だいたい新暦では6月初旬から中旬になる。昭和三十年代の田舎では、このような節句はまだまだ旧暦でする場合が多かったのである。銭湯もその例に漏れない。
 ちなみに今年は6月6日である。梅雨の走りから入梅にかかるころで、蒸し暑さもだんだんに加わってくる。
 べとついた体をゆったりと菖蒲の浮く湯船に沈め、菖蒲湯を満喫した後、菖蒲の薫りを残しながらの湯上りは、気温湿度は季節的に高くなっているが、浴衣なんかを着て胸元をくつろげ、うちわなどをパタパタすると、たいへん気持ちの良いもので身も心もくつろぐ。
 旧暦の菖蒲湯がお勧めである。

 今日、市内に4つある「温泉」に電話して、「菖蒲湯」をしている温泉場があるかどうか聞いて、あれば、はりこんで行こうかと思っていた。しかし、上記のように季節感がいまいちであるのと、ミーちゃんやハアちゃんが菖蒲湯と聞きつけ、連休もあって、雲霞のごとく入湯客が押し寄せているに違いないと思いやめた。

 「バカバカしいもん。来月のホンマの端午の節句に菖蒲を手に入れ、自分の家の風呂で菖蒲湯しますわ。」

 「菖蒲湯」以外に「桃湯」って知ってました?
 夏の土用に桃の葉を入れたお湯です。
 暑気払い、あせも、主に暑い時期の皮膚病、病気に効果があるそうです。どこでも手に入る桃の葉っぱですから、これも自分ちでできますわな。
 桃の葉

2011年5月4日水曜日

歳やぁ~寄ったら、寒いか暑いしかあれへんわ

 夜のウォーキングから帰ってきた。今夜のウォーキングからは今までと違う雰囲気だ。なぜか?
 闇を通して、ざわざわがやがや、聞こえてくる。いつもの耳鳴りかと思いきや、さにあらず、よっくきくと、ゲコゲコグワッグワッ、御蟆(おんびき)・カエルの合唱。
 これから夜の散歩はおんびきや虫の音でうるさくなるぞ。

 歩いていても体が感じる夜気も今までたあ~ちゃあう。初夏の陽気というものを感じる。

 家へ帰り着くと汗でベトッ、蒸し暑さも感じ、パンツ一枚になったら気持ちよい。ぶるっとするまでしばらくその格好でいる。
 夕べはまだ寒かったのに!

 歳やぁ~寄ると、寒いか、暑いかのどちらかで、快適温がのうなるわ。

中年組二人遠足

 皆さんの小学校時代はどうか知らないが、わたしの小学校時代、楽しみな遠足は一年に二回あって、5月頃の遠足は、歩いて目的地へ行く遠足で、10月は貸切バスに乗って行く遠足であった。
 五月の遠足は「歩き」であるので、町内の山、公園、寺などを目指して、ひたすら歩く。五月といえばかなり日差しもきつく、暑さもあり、歩きくたびれるのではないかと思うのだが、振り返ってみても楽しい思い出ばかりしか湧いてこない。

 縦隊でぞろぞろいく歩く遠足は、おしゃべりしたり、歌を歌ったり、して楽しいばかりでなく、退屈な学校生活から抜け出る「非日常」のいわゆる「ハレとケ」のハレの日であった。
 あばさかって、虫やカエル、剛のものは蛇を、ひっ捕まえ、ふりまわして、女子を
 「アレー、」
 とおぶけさせたりしたものである。
 先生の注意もなんのその、次々と新手のいたずらを歩きながらやったものであるが、笑って見過ごせる悪ふざけであり、みんなも不快な思いはしなかった。

 昭和の30年代前半は、食事、おやつなどはみんなまだまだ質素なものであったので、遠足のお弁当、おやつも非常に楽しみなものであった。こんな時でなければ味わえないごちそう、おやつであった。
 今だと、そんなものと思う食べ物でも、この時代、遠足でなければ食べられないものもあった。
 「バナナ」、「チョコレート」、「キャラメル」が、わたしの遠足のリュックの中の宝物の食べ物であった。そんなおやつでもわくわくするくらいうれしかったのを思い出す。

 さてさて、時は流れ、幾星霜。去年、訓練校でご一緒だった友達と今日は、二人で、時もあの懐かしい歩く遠足と同じ5月に、歩く遠足に出発しました。
 さすがに中年となり、動きも敏捷ならず、カエルや虫、蛇を引っ掴んで振り回すことはしませんでしたが、楽しいおしゃべりに花を咲かせ、草花や木々を手に取り、海岸では、ワカメを採ったり、イソギンチャクの口に指を突っ込んでピタッと閉じるのをおもしろがったり、幼い頃と変わらぬ遠足となりました。
 出発地は小松島の日の峰山上遊園、遥か向こうにみえる白砂青松の大神子海岸へと「遠足」だ。
Aさんと楽しく歩き出す。
 途中、ノイバラが咲いている。初夏の花で荒地に咲いている。バラの原種である。Aさんと匂いを嗅いだが匂わなかった。
 八重咲のヤマブキの花も咲いていた。
 海岸に着いて東屋で昼飯を食べる。
 このような天然自然の海岸は少なくなった。どこもコンクリのテトラポットなどで興覚めだが、ここは違う。気持ちのよい眺め、空気がうまい。
 ザッザッと砂を歩き、2人で向こうにみえる磯の方へ行く。

 磯の上の階段状の遊歩道を上がる。小高くなったところで砂浜を撮る。この先の磯の道は行き止まり。われわれの後から続いたオババはつき切って進んで行った。

 行は、「下り」だったので当然帰りは、「登り」、山上までの道が来た時より長く感じたが、楽しい二人遠足、小学校の時のように、帰りもおしゃべりに花が咲き、なんども休みをとりながら、ようやく終点へ、でも、「疲れも」なんか心地よい。
 Aさんにそこから徳島駅まで送ってもらいました。

2011年5月3日火曜日

民族大移動

 ゴールデンウィークにみんなが行楽・旅行・故郷訪問で移動するのを「民族大移動」とマスコミがいっていたようにおもうが、大震災が起こり自粛ムードもあり、今年は移動人数がそれほどでもないのか今はそのような言い方はしないようである。

 「民族大移動」という言葉を聞くと「ゲルマン民族大移動」というのを学校で習ったのを思い出すが、それを意識してのネーミングであろう。
 
 さて、今回のゴールデンウィークどれくらいの割合の人がバカンスで移動したのだろうか。半日、日帰りなどの短いものも入れれば、かなりの割合だろう。
 
 みんな車を持っているから、たとえ半日、日帰りだろうと、相当遠くまで行ける。江戸時代であれば徳島城下に住み、金毘羅参宮に旅立ったとすると、最短でも往復4日は見ておかなければならないだろう。全行程徒歩だから無理もない。しかし、今、自家用車で出かけるとすれば、金毘羅参宮して他の讃岐の観光地をいくつも回り、日帰りで帰ってこられる。
 便利な世の中になったが、しかし考えれば、一日で遠くの観光地をめまぐるしく移動して、落ち着いて見たり、くつろいだりすることができないのがはたしていいことなのだろうか。
 私なんかは徒歩の旅行でもいいから、ゆるゆると旅をしたいと思いますが。

 「晩春、というから今頃、全日本人の6人に一人が、十日から数十日にわたる旅行に出発しました。これぞ、規模といい、費やした日数といい、まさに日本民族大移動である。」

 「え、え、え、なんかの間違いでないの?そんなに大勢が長期の旅行だなんて信じられない。」

 いいえ、間違いではありません。驚くべき割合の日本人が長期にわたって仕事を中断し旅行に出たのです。
 ただし、平成23年の話ではありません。
 へいせい、ではなく、ぶんせい、文政13年の晩春頃から始まった動きなのです。

 文政13年(西暦1830年)旧暦3月20日、ここは徳島城下、佐古町、子供たち2~30人が急にスルリといなくなった。親たちは大騒ぎして、探しまわる・・・・・・・・・

 「集団でいなくなった。どないしたんや。」

 「ハメルンの笛吹き男にかどわかされたか。」とはいいませんでしたが、人さらいかと心配し八方手をつくし探します。

 このことが全国的な民族大移動をもたらすきっかけとなったのです。
 やがて、子供は船に乗ったことがわかり目的地もわかります。それは

 お伊勢参り だったのです。

 「お蔭参り」ともいわれ、ヒシャク一本持って旅立てば金銭を持たなくても各地で、寝所や食物、そのほか必要なものをタダで受けることができます。大神宮の参拝は一般の人の報謝を期待できたのです。
 また、家業を放って出発しても、「お蔭参り」は許され、帰ってきてもなんら咎められることはなかったのです。
 息苦しいといわれた封建社会の江戸時代と言われますが、こんな素晴らしい息抜きがあったんですね。

 阿波からの往復で当時、徒歩だから伊勢まで十数日かかります。それでも上記のような報謝、親切を受け子供たちは参宮をすませ無事帰ってきます。

 この後、阿波から全国に「お蔭参り」は波及し、大ブームになります。この年、全日本人の六分の一が参宮したといわれています。

 規模といい日数といい、今のゴールデンウィークのちまちました楽しみを上回っていますね。そして、文政の民族大移動のきっかけが我が徳島の佐古のガキ、いや、坊ちゃん嬢ちゃんたちであるというのも面白いですね。
 無一文でも旅行できるシステムを有した江戸時代、金のないやまさんには魅力やわ~ぁ。

 

2011年5月2日月曜日

弥生のみそか

 秋ごろのブログで黄砂の襲来について書いたが、今日、我が地方に黄砂がやってきた。黄砂は春の風物詩となっているようで春の季語でもある。ということは今日の黄砂が本格的な黄砂である。
 
 空が澄む秋には黄砂はほとんどなかったみたいだが、近年のアチャラの国の自然破壊の影響か、それとも異常気象か、春以外にも起こっており、これからも季節外れの黄砂現象が頻発するかもしれない。
 黄砂とはいっているが、砂というような大きさではなく微粒子に近い、窓ガラスやフロントガラスにくっついたのを観察するとわかるが天花粉(ほれ、カタカナの名前わっせた、赤ん坊の尻にパタパタする白い粉)のように細かい細かい粒子である。黄砂というより黄塵といった方がよい。
 いつもならはるか向こうに阿讃山脈が見えるが今日は黄砂で霞んで見えない。

 今日は旧暦の弥生の晦日(みそか)、明日からは卯月となる。月暦では本日が春の最終日となり、そして今日は八十八夜でもある。季節は初夏へと移っていく。
 
 弥生の晦日に日光に到着した芭蕉は、翌、卯月朔日に日光山へ参拝する。

 あらたふと 青葉若葉の 日の光 

 桜もすっかり青葉となり、午後の強い光の中、その木の下道を木漏れ日を受けながら通るのは気持ちよい。

 

2011年5月1日日曜日

病草紙を読む

 病草子を今日は取り上げます。潔癖症の人、エロ、グロが嫌いな人はご遠慮ください。 
 
 平安末期から鎌倉時代初期成立といわれる病草紙(絵巻物の一種)にはいくつかの病気がとりあげられている。900年も昔の国宝の絵巻物といえば、なにか上品で、絵は美しく、文章も人を魅了するようなものと思はれるが、そんなものばかりではない。「病」、これは人の「業」であり、「死」とともに避けては通れないものである。そしてひどい苦痛、醜さが伴う。しかし当人にとってはそうであっても、見る人には笑いのタネかもしれない。
 「なんと、人非人な!」
 というなかれ、諧謔(ユーモア)がなくなればこの絵巻物の価値はない。
 
 よくぞ、こんな題材で絵巻物を作ってくれたものと感謝しなければならない。「病」の姿は赤裸々なものであり、それだけに当時を生きた人の生々しい息づかいを感じる。
 まず最初は、現代人にも多い、上品な病 「不眠症の女」 
 次はおそらく今の「痔瘻」であろうと思われる 『尻のあながたくさんある男」 
 排泄する時、穴ごとに出て、わずらわしい、とある。
 横で熱心に見る女が印象深い。
 そして次は 「ふたなりの男」 ごくまれに男と女の両方の染色体をもつ真正の「両性具有者」がいる。陰茎と陰唇、男女の両性器を持つのである。
 本人は寝ているところへ、
 「おいおい、こっち来て、見てみろや」
 と、いたずらな男が着物をめくり、次の間の男を手招きしている。
 この何とも言えない笑顔が印象深い。
 ヨーロッパ中世なら、有無を言わさず、「悪魔」として火あぶりになったかもしれない「両性具有」、しかし、日本やギリシャではそんな野暮、いや無残なことはしません。
 
 プラトンはおもっしょい説をとなえています。
 大昔、男と女は分離してなくて、一体化していた。よく形はわからないが、どうも球形に近いもので、ゴロゴロ転がっていたみたいだ。変ないきものだねえ。
 なんか不都合を感じたものか、神の王、ゼウスが、パカッと二つに分けた。そして一方が男、片割れが女になった。
 だから、それ以来男と女はお互い引き合うんだとさ。

 で、「両性具有者」は、分離がされてない原初の姿、別に化け物でもなんでもなく、むしろ神話時代の超能力を有すると考えられる卓越した存在に見られていた。
 ちなみに「両性具有者」は英語でandrogynousというんだけれど、当然これギリシャ語、andro-は英語のmanと同じで人とか男を表し、gyno-は女性を表す。
 日本でも最近は両性具有者をアンドロギュノスというように(まるで恐竜のような名前じゃ)呼んだりする。

 日本ではこの絵巻のように「病気」の一種として扱われている。

他にもいろいろな病がありますが、興味のある方は、大きな図書館にはこの「病草紙」の絵巻物シリーズがありますから、そちらで見てください。