数日前、松田聖子さんが中央大学法学部の通信制課程を終えて卒業したというニュースを見た。大学の通信課程で学ぶ人はけっこういるが、元々大学を卒業していて、その上で資格が欲しい、例えば教員免許、福祉資格、司書、学芸員などの免許資格を取るため開設されている資格取得過程に入って一年ほどで終了する人が大多数である。卒業まで勉強する通信生は少ない(原則四年以上かかる、多くの単位を取得せねばならないなどのため)。だから聖子さんが卒業までこぎつけ、学士号を取得したニュースを聞いたときは「努力したんだなぁ」という感想をまず第一に持った。
毎日大学へ通う普通課程と違い、通信課程は延べ1か月程度のスクーリング(面接授業)を除けば、大学から配布されるテキストなどでの独学である。そしてその教科に応じた課題のレポートを作成し、大学へ単位に応じた数のレポートを出さねばならない。そしてレポートが認められ、なおかつその教科の最終試験が合格して初めて単位が取得できる。そのような独学形式であるため、家事や仕事にかまけてついつい勉強を先延ばしにすれば当然、レポートの作成提出が覚束なくなる。結局、卒業課題(昔は卒論と言っていた)までたどりつけるどころか卒業要件の124単位以上を取得できず挫折する人(途中でやめる)が多くなる。
通信制課程の大学を卒業するのは、よほど強い意志をもって独学をコツコツ続けることが必要とされる。くじけそうになるのをサポートしてくれるのは、面接授業での教師や学友との交流、あるいは通信大学生の学習会や交歓会である。
実は私も半世紀ほど前に通信制大学で在籍し学んでいたのである。専攻は日本史であった。卒業(学士取得)までめざしていたが、やはり挫折しそうになった。しかし最後にはなんとか卒業できたのは、一年にのべ1か月ほどある大学本校でのスクーリング、その中での先生や学友たちとのコミュニュケーションで励まされたからである。また時々開かれる四国地方での学習会・交歓会に参加し皆と話しできたことも力になった。
昨日、友人の車でドライブした。行く先は香川の五色台である。台地上の山でかなり広い。上には札所三ヵ寺もあるうえ、さまざまなスポーツ娯楽施設もある。行く動機は、朝から久しぶりの快晴だったこと、展望が素晴らしく瀬戸内海の島々の風景を見たかったこともあるが、半分の動機は、この五色台のある施設で半世紀前、上述した通信課程大学の交換会・学習会が泊まり込みで開かれ、その思い出の場所ということで、懐かしさがあったことである。そのある施設名も思い出せないが、青年の宿泊センターのようなところであった。(ユースホステルとか青年会館のような)、半世紀もたった今、その施設はなくなっている。
半世紀前の五色台のその施設について思い出すと、台地上になった南の崖近くの建物だった記憶が朧ながらにある。今の五色台の鳥瞰図をググルマップの3Dで見る。
方位から見ると五色台の台地上の山塊の南のほうの崖近く、讃岐国分寺を見下ろせるあたりじゃなかっただろうかと不確かながら推定している(推定位置を矢印で示している)。そこで一泊の学習会交換会が開かれた。徳島から中古の360ccの軽四に乗り、高速などもない時代、国道や細い山道を運転しながらはるばるとやってきた。ほとんどの学生は顔も知らない、年齢も社会の階層もバラバラ、ただ通信生という一点だけの仲間である。
その思い出は学習会の内容についてはほとんど残っていないが交換会での内容は今でも思い出す。一緒に夕食をとった後、大学から来ていた職員が司会し、レクレーションなどをやった。これは普通の大学で行われているような学生同士のコンパと同じようなものである。季節は11月末だった。歓談やレクが終わった後、就寝のため部屋に向かったが、そこはユースホステルような二段ベットの集合寝室である。就寝時間が来てもいろいろな話題で同室のみんなと話がはずんで、しんしんと冷え込む秋の夜長をほとんど寝ずにすごした。
歳ぃいくとこのような半世紀も前のほんの少しだけ残っている懐かしい記憶が、わざわざ友人を駆り立てて(現在私は車を持っていないので)行く動機となるのである。友人はこのブログを読むまでこんな動機が半分あったことも知らない。
さて以下は昨日の五色台での撮影写真と動画である。言ったように半世紀前の場所は思い出せないので、今どうなっているかは知るすべもない。
まず八十八か所の札所「白峯寺」を参拝した。
眺めがいいといわれる多島海、その多島海ではエーゲ海なんどが有名だが、それに劣らず瀬戸内海の島々と海の風景は美しい。(といってもエーゲ海がどんなんやら行ったことないから知らんわ!)
五色台の北向の端あたりに五色台のホテルがある。そこの展望喫茶で風景を見ながらしばしくつろぐ。下の動画はホテル展望喫茶からの眺め
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