昨日、お彼岸も近いので墓を掃除して新しい花(樒)をあげてきた。明後日の彼岸の入りは再び訪れて正式に香華をささげお祈りしようと思っている。この墓も私がなくなれば参る人はいなくなる。当然管理もできずいずれは無縁墓として整理の対象となるだろう。ふと「墓じまい」という言葉が思い浮かぶ。しかし墓じまいするにもそれなりの手続き、また永代供養をするなら宗教施設に頼まねばならない、また宗教施設が嫌でも、遺骨はどうにかしなければならず、遺骨を保存してくれるところが必要である(勝手に遺棄できないよう法律がある)。それにも相当の金がかかる。
ネットで「一番安い墓じまい費用」と検索すると金額が出てくる。それによると30万~300万とある。最低の30万は墓の撤去費用のみくらいで、遺骨をどうにかする費用は入ってないのでそれを入れると50万以上はどうしてもかかるようである。同じくネットで一番安い直葬費用は?と検索すると、いま各葬儀社から格安の直葬費用が広告されている。6万5千円とある。なんと墓じまいの費用より、私の直葬の方が安い。考えると直葬は私一人だが、永代供養は先祖幾人もが累積しているからやはり高くなるであろうかな。
墓じまいというような考えは浮かぶが、今の私にそんな墓じまいを実行しようという気力もないし、第一そんな高額の金もない。下世話でいうように「死んだ後のことはしらん~、どうとでもしてくれ、焼いて粉にして屁で飛ばそうともご随意にぃ~」と開き直りたくなる。いったいどないすりゃええんぞい。
その「〇〇しまい」という関連でいうと今日、JR四国の徳島県内の6つの駅の「駅じまい」があった。板野駅、勝瑞駅、佐古駅、南小松島駅、羽ノ浦駅、石井駅である。どの駅も100年以上あるいはそれに近い歴史を持つ古い駅である。駅そのものは存続するが、明日からは完全な無人駅となるのである。駅員さんがいなくなるのである。6駅の中で私がなじみ深いのは石井駅である。最近まで(バス定期にするまで)JRの定期をこの石井駅の駅員さんから買っていた。また我が家のある駅ではないが、用事や友人と会うのにこの駅でよく乗り降りした。女性の駅員さんとは当然顔なじみとなり、駅で待つ間、いろいろな世間話もした。
鉄道路線が廃止になるわけでもないし、また無人駅になっても駅が存続するのだから、なにも完全な「しまい」になるわけではないからいいではないかとも思われようが、この歳までいろいろな「しまい」を見てきたし、また我が人生の「しまい」がそこに見えてきたいま、このような「駅じまい」を見なければならないのはつらくなる。
今日は石井駅まで列車で行った。駅員さんに一言、「お世話になりました」と言いたくなったためである。大勢の高校生の通学者が降りる一番最後から降り、改札口を最後に出ながら駅員さんに御挨拶すると、もう何人もの人から惜別の言葉をかけられていたようで、丁寧にあいさつを返してくれた。中には花を贈ってくれた人もいたようで、このようにいただいたんですよ、といって改札口の横に飾ってあった。最後に深く礼をして改札口を出たが、駅員さんの目が潤んでいたようにみえた。
断って今日を最後の駅業務を撮らせていただいた。駅業務も明日からは見られなくなる。
駅舎もやがては壊されて(管理する人がいなくなるから)バスの停留所のような簡易な建物になるのだろうな。
13年前、(桃山日記の)ブログ(2011.3.4)に張り付けるのに、「愛の終着駅」BGMの動画を作った。画質は良くないが、駅じまいの今日、その歌を聞きたくなったので再度張り付けておきます。(撮影場所は小松島の赤石駅そして弁天島にかけて、春まだ浅い寒い日だった、当時は昔からの駅舎もあったが、今はバス停留所のような味気ない建物がポツンとあるだけである)
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