わがローカル紙の今日の一面トップニュースはイノシシが小松島の中心街に現れ大暴れし、小学生を含めた6人が怪我をしたことであった。まったく凶暴なやつで許せないが、太古から日本人には身近な動物で、害獣ではあるが蛇蝎のように嫌われた動物かというとそうでもない。
我が県の西の方に住む年配の人は子供の頃、「亥の子」の祭りを祝ったことを覚えておられないだろうか。これなどは子どもの健康息災を祈り、豊穣を感謝し、子孫繁栄を願う行事である。これは祭りの名称「亥の子」を見ても分かるように、多産なイノシシにあやかっていると言われている。害獣ではあってもイノシシの多産に注目し、祭りの名称に取り入れるほどであるから、まったく嫌われている獣ではないだろう。また「亥の子」・イノシシの子の「うり坊」は、かぁちゃん、これ飼ってもいい?と言わしめるほどカワイイ。
そういえば亥の子の祭りって今頃だぞ、と調べると(旧暦10月の初めての亥の日)今年は11月6日、つい数日前の日曜日だ。「ワイの祭りだワッショイ」などと浮かれて、小松島のイノシシは出てきたわけでもなかろうが、この時期、イノシシは目立つのかな。
そうだそうだ、ヨーロッパでも日本でも森林は「落葉広葉樹林」が多い。この樹林帯は樹木がクリだのドングリだのの木の実をつけ、秋になると落ちてくる。それはイノシシの大好物で冬に向かっての皮下脂肪を厚くする重要な食べ物である。結果、この時期は昔からイノシシが目立つのだ。だから亥の子の祭りも、ドングリなどをウマイウマイとあさるイノシシ、かたや秋の田の豊作を喜ぶ人間と、季節が重なる今となるわけだ。
とまぁここまでは可愛らしい子どもが中心の「亥の子」祭り、可愛らしくないおっさんオバハンはイノシシなんぞ関係ないわ、いやいや、そんなこおまへんでぇ~、博打好き、特に花札賭博のすきなおっさんオバハンは花札の、猪鹿蝶でおなじみでじゃないですか。
左がその花札、ご存じイノシシと萩の札。ちなみに花札は季節感を大切にする日本で生まれたトランプだからか、全て春夏秋冬どころか12ヶ月に分類できます。じゃぁ、お聞きしましょう、このイノシシの絵札いつ?てっきり秋と思うでしょうね、私もそう思っていました。ところが、これ夏(新暦では7月)なのです。えぇ~~~、意外!なんでぇ?
萩は確かに秋の季語とはなりますが、萩の花は夏頃から咲いてます。7月には萩の花が見られます。だからまったく萩は夏と関係ないこともない。じゃぁイノシシは、夏のイノシシ?なんか関係あるのかしら?この絵札のイノシシをじっとみていると、このちょっと漫画チックにデフォルメされたイノシシ、どっかで見たことあるぞ。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵・五段目」通称・二つ玉、で舞台に出てくる着ぐるみイノシシと似ている。毎回、見るたびに、みょーなイノシシなので客席の失笑を引き起こすイノシシだ。季節も梅雨末期の大雨の夜だから7月だ。
じゃぁこの花札イノシシ、仮名手本忠臣蔵・五段目からきているのか?いや、花札の誕生より仮名手本忠臣蔵が後だから、この説は違うか、でもこの歌舞伎のイノシシと、絵札の漫画チックなイノシシ、仮名手本忠臣蔵との関連を疑うなぁ。花札が生まれたのは江戸期よりもっと早いとしても、イノシシの絵柄が固定したのは江戸期で、そのとき仮名手本忠臣蔵から影響を受けたとも考えられるが、これ、やまさんの怪しげぇな説だから信用せんといて。
このようにイノシシについて書くと、まるでイノシシが愛されるべき動物のような錯覚をおぼえていかん!とお叱りを受けそう。現実に小松島ではイノシシにかみつかれ怪我、池田の方では新聞配達がイノシシに突進されこけて骨折、その人たちから見ればとんでもない害獣だろう。だが一面では(多分に観念的なものであるが)愛されキャラでもある、愛憎半ばとでも言っておこうか。
もう十二年も前だ。ウチの近くに古墳みたいな、でも独立した自然の小さな山がある。「向麻山」と呼ぶ。そこを散歩していてイノシシを踏んづけているような「石仏」を発見した。今ここで説明するよりそのときのブログがあるので読んでほしい(ここクリック)。
このときはこの石仏がどのような仏様あるいは神様か分からなかった。イノシシもてっきりこの憤怒系の石仏に踏みつけられていると思っていた。しかしこのブログアップから7~8年たってから「仏教」や「神仏習合」を本などでお勉強した結果、これは仏教の天部の仏、「摩利支天」さんで、イノシシは踏んづけられているのではなく、この摩利支天さんの乗り物だと言うことが分かりました。つまり、この踏んづけられたように見えたイノシシは摩利支天さんの眷属・子分、これを信仰者の立場から言えば、イノシシは御神獣だったのです。ああ、ありがたや。
とまぁ、イノシシについてしょうむないこと書きちらしました。イノシシの被害に遭われた方、ごめんなさい。
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