数日前にニュースで瀬戸内寂聴さんの文学碑(記念碑)が建立されたと聞いた。図書館からも近いので先ほど見てきた。13年前に寂聴さんの文化勲章受章を記念した石のモニュメントの近くにあった。
碑の説明を読むと、日付が今日になっている。ニュースで聞いたのが数日前なのにこれはどうしたことだ。と思い調べると今日が命日に当たるのだ。そのため11月9日となっている。
寂聴さんの作品は時代物の小説「中世炎上」しか読んでいないので、私はとても彼女の文学ファンとは言えない。そのたった一つの感想をいうと、その小説が元とした古典「とはずがたり」を、難しくても、解説本や辞書をみながら直接読む方が面白かった。原典を直接読もうという動機を与えてくれた彼女のこの作品は、そういう意味では感謝している。
もうかなり前、やはり寂聴さんが、古典をもとにした大作に「寂聴版・源氏物語」がある。かなりの人気でたしかベストセラーになったと記憶している。私は読んでいないので分からないが、これに熱中し、源氏物語ファンになった人は、ぜひそこでとどまらず原典を読んでほしい。わたしも千切れ千切れながら何十年もまえから原文の源氏物語を読み続けている。いまだに読み終えないが。
さて今日のお題の「間接的記憶」
もう半世紀近い昔、私が24歳の紅顔白皙の青年だったとき(?)、一年臨時で務めていたある職場にその当時では珍しい女性の管理職がいた。テキパキと仕事の出来る方だった。あるとき、雑談か何かのきっかけで瀬戸内晴美さんの話がでた(まだ出家前の名である)。そうすると彼女は、私は徳女(徳島女学校の略・今の城東高校の前身である)で瀬戸内晴美さんと一緒に通っていたというのである。そのときの彼女の年齢ははっきりしないが50歳かちょい前くらいと思う、たしか寂聴さんの後輩として同じ徳女に通っていたと聞いた。
その話の聞き手は私以外にも数人いたが、中の一人が彼女に女学校のときの瀬戸内晴美さんはどんな感じでした、と聞いた。すると彼女は感嘆するような声で「そらぁ、すごかったわよ」「もう女子生徒の憧れの的でもあり、行動は瞠目することばかりだったわよ」、と答えていた。そして何事もはっきりと自分の意見をいい、上に屈することもなく態度は堂々としていたといい、また格好もハイカラで、特に彼女は、瀬戸内晴美さんの、ニッカボッカのブルーマーの体操姿がとても格好良かったと(瀬戸内晴美さんは陸上か何かやっていたと聞いたような記憶があるがそこは曖昧)、ちょっとウットリとして、その姿を思い浮かべるような表情で話していたのが強く印象に残っている。
これが半世紀もの大昔、当時の女性上司を通じた瀬戸内寂聴さんの、私の間接的記憶である。
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