2022年11月28日月曜日

峰・滝、両薬師参拝

  昨日以上に、今日は暖かかった。冬に突入前の、天からの最後の「小春日和」の贈り物かもしれぬと、最近の体調不良で何かに縋りたい気持ちもあり、歩いて峰のお薬師さんと滝のお薬師さんにお参りしてきた。

 私は強固な神仏にたいする信仰があるわけでもないし、特定の宗派宗教も信じているわけではないが、神仏をたのみとする私の心情は、西行の次の歌に尽くされている。

「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

 峰の薬師


 滝の薬師


 薬師信仰は仏教伝来以来千数百年の信仰を持つ。特定の宗派や教団にかかわりなくあまねく信仰されている。阿弥陀はん、お釈迦はん、大日如来はんはそれによって立つ宗派教団があるが薬師如来はんにはそのような宗派教団はない。癒されることを願う人々はみんな信仰者だ。そのためか寺の本尊でもっとも多いのがこのお薬師さんであると聞く。

 そうそう、また大河の話題となるが、吾妻鑑によると、義時が実朝暗殺に巻き込まれず命永らえたのはこの薬師信仰のおかげであるというのがある。お薬師さんは十二の神将の眷属眷属とは、まぁいわば薬師如来さんの子分・家来のようなものである、しかし神格を持っている)を持っている。それぞれ武神の格好をしているが、十二神将あるためか、十二の干支に比せられている。この中の十一番目の神将は「戌神」(いぬがみ)といわれるが、その戌神が義時の夢枕に立ち、前もって凶行を予言し、また凶行当日、鶴岡八幡宮にその戌神が現れたため、義時は急きょ実朝の太刀持ちを辞退したため、公暁らの襲撃を免れたというものだ。

 昨日の大河ドラマでは、義時の太刀持ちの変更は、実朝からの間接的な命令によってであり、吾妻鑑のこのような神仏霊験譚には組していない。

薬師如来眷属・十二神将


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