2022年11月27日日曜日

実朝暗殺の前に

  先週の大河で実朝暗殺か、とおもったが大事件のためか、引き延ばされたが、今日がいよいよ暗殺本番となる。さて、暗殺に至るまでと公暁抹殺までどのような複雑な人の動きが展開されるか、それは興味があるが、もう私は、大方の真面目な歴史学者の言うとおり、公暁単独犯に(心情的にも)傾いているので、黒幕説は支持しないで今日の大河を見る。

 小説家や脚本家は「自由な創作」が命なので、どのような奇天烈な説を唱えようが自由だが、首尾一貫性は大事にしてほしいものだ。鎌倉時代人ではなく現代人の行動の論理性に重きを置くのは歴史ドラマとしていいとしても、論理矛盾や首尾一貫性の破綻は止めて欲しい。

 予告編によると、エピソードか、それとも重要な事柄なのか分からないが、怪しげな予言ババアが出てくるようだ、前々回か、このババァ見た時、「あらぁ!」ババァ役の「北林谷栄」がまだ生きとったんか!と思わせるほど北林谷栄ににた婆さんだったが、あとで配役をみるとこれが「大竹しのぶ」、ワイらが若い頃は、おぼこな田舎娘のキャラで、今になってもそれが頭にインプリンティングされているが、時と共に変われば変わるものだ。

 世界を含め世に暗殺事件は数々あれど、こんな絶好の見せ場での暗殺成功はちょっとないくらいすごい。最高権力者が戴冠式とほぼ同じような「場」で殺されるのは、例としては思い出せない。日本の重大な暗殺は、入鹿、実朝、義教、信長にしても、白刃をひっさげて堂々と斬りかかっている。ある意味暗殺者も覚悟の凶行である。しかし世界史の大帝国の権力者の暗殺は、こっそりと(あわよくば暗殺者が誰か分からぬよう)実行される場合が多い。そのため毒殺や宮廷奥深くでの密殺が多い。日本ではそのようなこっそりの暗殺が少ないのは、命のやりとりに対する潔い国民性か、それとも武断的な武家が政権をズッと担っていたためだろうか。

 今日の見せ場の「鶴岡八幡宮社殿の石段」を実際に見たい気がしたが、今まで忘れていたが、なんと、ワイ、十年前にここへ行って写真を撮っとったわ、これを見ながら、ふむふむ、ここで暗殺が行われたんやな、と改めて思った。当時の公暁が潜んだと言われる大銀杏は枯れていたが、大きな切り株はまだ残っていて、当時を偲ばせる。

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