2022年11月25日金曜日

紙芝居屋さん

  紙芝居屋さんが街角や広場に来なくなったのは私が小学校の何年生頃だろう。はっきりはしないが各家庭にテレビ受像機が入り出したのと軌を一にしていると思う。我が家でテレビの中古が入ったのはもう中学に上がってだが、それ以前の小学校の時にも子ども向けの面白い番組があるときは、テレビの入っている友達のウチに見せてもらいに行ったり、早めに銭湯へ行ったりして見た。そのころからはもう「紙芝居屋さん」の記憶は途絶えていた。

 紙芝居屋さんは、もうかなり年配の人だった。そうとう年季が入っているのか、紙芝居の人物のキャラに会わせて、娘や老婆、怪物などの声音を使い分け、今から考えると、ほとんど声帯模写の芸の域に達していたのじゃないかと思う。

 自転車の荷台に紙芝居の枠板、そして引き出しのついた菓子類の箱を載せてやって来たが、メガホンをもっていて、「さぁ、始まるよ~」と大声で周知していた。

 紙芝居屋さんから駄菓子を買った子どもが紙芝居を見る権利があったが、菓子を買わない子でも、買った子が取り巻く集団から少し離れて見るのは大目に見てくれていた。自転車の荷台に紙芝居の道具と共に持ってきている菓子類は種類も限られまったく他愛のない駄菓子だが、なぜか駄菓子屋の菓子よりこちらの菓子が子どもには人気があった。

 のしイカ、スルメ類、ポン菓子せんべい、そして水飴、水飴は紙芝居を見ている間に二本の箸でこねくり回していると透明な水飴が白くなり、おいしさが増すように思われた。くじ引きや、切り抜き菓子板もあり、こちらは当ったり、うまく切り抜くと、おまけの菓子がもらえた。

 紙芝居屋さんが見せる「紙芝居」は鏡に反射させたもので、抜き取る紙芝居の場面に緩急をつけ、臨場感を出したり、ペープサート(切り抜きの人物)のような工夫もあり、面白かったが、普及しだしたテレビの子ども向け番組には対抗できず、消滅してしまった。

下は佐古の諏訪神社境内の紙芝居に集まる子供ら、今もこの境内は昔と変わらない。一人ぽつんと離れて見ている男の子は駄菓子を買う小遣いを持っていないのだろう。ちょっと切ない後ろ姿である。(撮影年月日ははっきりしないが昭和30年代前半ではないだろうか)

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