何度か向麻山の石仏を拝みに行ったのだが、昨日のブログでこの石仏は「摩利支天」さんだと紹介した。しかし気になって今日、現地へいって何枚か参考のため写真を撮ってきた。
秋だなぁ~、途中、カラスウリが真っ赤に実り、絡みついた木から垂れ下がっていた。
まず向麻山の鳥瞰図を見ていただこう。古墳のような独立した小さな山、といったが下のようなものである。すぐ横には飯尾川が流れている。摩利支天さんの石仏は頂上から少し下ったこの位置(矢印)にある。
今から12年前、石仏に詳しくないころ作成したブログでは、私の推理として、これ、田畑を荒らし、作物を食い散らす、シノシシ除けの守護神として拝まれたんじゃないかと思っていた。石仏は憤怒の形相で、イノシシを踏んづけているからだ。
そのあとで天部の仏を含め多くの仏さまがあることを知り、これはイノシシに乗った「摩利支天」さんじゃないかと判断した。
摩利支天さんはどんな仏様(天部)というと、ウィキによると
『摩利支天(マーリーチー)は陽炎、太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」(Marīci)を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。』
とある。 そのお姿は通常、三面(顔が三つある)、各三眼、八臂(はっぴ)で金剛杵(こんごうしょ)、弓箭(きゅうせん)などを持ち、猪(いのしし)に乗る姿で示されるが、調べると下の写真の石仏のように、一面で弓矢だけが目立つ摩利支天さんの石仏もある。
以上のことを踏まえたうえで今日、向麻山に出向いて撮った石仏を見てもらおう。
このような急な山の斜面にたっている。
全体像足元のイノシシ、カエルみたいだが尻尾がある。台座は少し風化しているが刻文は読めないことはない。
台座前面は建立者や協賛者の名前が彫られている。所は美馬郡拝原村と読める
台座右面は年号 建立は明治十三年である
台座左面は、石工の名前が読める。石井村、遠藤某
台座の後ろは何も彫っていなかった。台座にはこの像は摩利支天さんですよ、と示すような刻文はなかった。私はこの石仏は摩利支天さんと判断したが、どうだろうか。
追伸
ネットでニュースを見ていると巨大イノシシ捕まるとのニュースが配信されていた。
記事によると、体重200キロ超、体長182センチ、胴回り141センチもある雄の巨大イノシシが、鳥取県江府町内の山中で仕留められた。ぼたん鍋で200~300人分の肉が取れるそうだ。写真を見ると、もののけ姫に登場する巨大な猪神、乙事主みたいだ。
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