2022年9月29日木曜日

善入寺島ヒガンバナ


令和四年版 やまさんの「切幡観音霊験記」

  先日参拝した切幡観音のある霊験の話を動画にしました(再掲)、女人往生のはなしです。今の感覚ではその「往生」はとうてい受け入れられないものでしょう。しかし中世的説話に類する霊験譚です。中世説話集の本にはこのような現代人からは納得できないような往生譚が多く見られます。そこをお含みの上ごらんください。(動画の素材は10年前の春分の切幡寺の動画を使いました

2022年9月28日水曜日

切幡観音参拝の帰りに祖父をおもいだした

  先日の切幡観音参拝記のエピソードの一つです。

 バナナの木を見たあと、帰りは往路の吉野川中央橋でなく、善入寺島(吉野川の川中島)を通って帰る道を選んだ。川中島なので吉野川の分流を二回渡る。市場町八幡のほうと川島岩の鼻のほうでどちらも潜水橋になっていて大水の時は水没して渡れない。

 その岩の鼻の潜水橋のたもとに「かんどり舟」が三隻岡にあげてあった。懐かしいので撮影した。



 私が小学校の時、祖父はかんどり舟をもっていて、吉野川で鮎を獲る時に使っていた。下の写真の左の船と同じ形だった。夏などはなんども祖父にこの船に乗せてもらったし、私が浅瀬で水遊びするとき祖父はこの船の上から、泳げない私を見守っていたものだ。

 かんどり舟は全て木製で独特の形をしており、舵も櫓もなく、長い竹竿を川底にさして押し進める、船の真ん中には四角の生け簀が作り付けられている。大昔は渡しにも使われたようだが昭和30年頃には吉野川の川漁に使われていた。

 祖父もかんどり舟は川漁に使っていた。祖父の川漁はまさに「漁」で、昨今の趣味で(釣り竿などで)鮎を一本釣りするのとは違い、網を使い、大量の鮎を獲るのである。当然、たくさん鮎が獲れるが、それを祖母が自転車の荷台にモロブタをくくりつけその中に獲れたての鮎と氷を乗せて町を売り歩いた。夏だけ祖父が獲った鮎を祖母が行商していたのである。祖父母も中年頃までは家で魚屋をしていて、仕出しなどもやっていたようだが、私が小学校に上がる頃は止めてしまっていて漁期だけ鮎を獲って商売としていた。

 今は鮎は趣味で獲るのみ許される、それも許可証をもらってである。現在ではもう祖父のような「漁」としての漁法は認められていない。しかし私が小学校の頃、祖父は川漁師として登録してあったのか、「せばり」という漁法で鮎を(売り歩けるほど)多量に獲っていた。うろ覚えだが私も何回か祖父に連れられ見学しその漁網やウケを見たことがある。今ネットで調べると下のような漁法であった。


 もちろん祖父一人では出来ない漁法である、時期が来ると祖父とよく似た年頃の人を4~5人集めそれで漁をした。大がかりな網や器具、ウケなどは祖父が所有していた。そして上のような漁法で鮎を獲って引き揚げてきて、ウチでその4~5人の仲間と漁獲した鮎を分配していた、もちろん祖父が網元なので分配は多かったはずだ。

 川島潜水橋でかんどり舟をみてすっかり忘れていた祖父の川漁師としての姿をおもいだした。そうそう、それから祖父の生まれたところはこの善入寺島であったと聞いたことがある。先祖も代々そこで居住していたそうだ。明治頃はこの善入寺島内だけで3ヶ村もあり、祖父もその村で生まれた、しかし大正初年に遊水地帯として全村退去令が出され祖父も含め村人は全員近隣の町村に散って行ったとのことだ。

2022年9月27日火曜日

バナナの木

  三日前の切幡観音参拝のときにみたバナナの木についてのブログです。

 まずその前にワイの人生とバナナとの出会いからお話しします。まだ小学校に上がる前の子ンまいとき(年齢は忘っせた)。祖父がウチの家のすぐ近くにあった青果市場から、買ったか何かの関連でもらったがわからないがバナナの一房をもって帰ってきた。そして一房丸ごとでなく中身の半分くらいを

 「ほりゃ、これが台湾からきたバナナじゃ、食べてみぃ」

 と手渡されたべた。今まで味わったことのない強烈な(いまだとトロピカルなと表現するかもしれないが)香味と果肉のトロッとした歯触りとあとに残るまろやかな甘みに強烈に魅了されてしまった。それがバナナを味わったはじめである。私の年齢から考えると昭和30~31年ころのことであろうから、日本に輸入されるバナナは今ほどは多くなく、またその輸入先は台湾がほとんどであった。

 それまでに食べた日本の果物、ミカン、リンゴ、柿、梨、などとは全く違う熱帯のフルーツ、バナナがその一回で大好きになってしまった。とはいっても当時の田舎、また裕福でない祖父母のうちでバナナなどそう手ンごろ易く買えるものではない。時々食べられるようになったのは高校に入ってからくらいだろうか、そのころになると中米産の比較的安いバナナが入ってきたようで値段もウチの家庭でも時々は購入できるようになっていたようだ。

 そして時は流れて現代、大きめのバナナが三房ビニルの袋に入っているのがスーパーで100円で買える。まさに手ンごろ易く手に入るようにはなったが、子供の時切望したようにはバナナの味には魅了されないようになった。何故かなぁ、あの強烈な独特のムチャットした歯ざわり、熱帯のエッセンスの詰まったような香味感は今のバナナには感じられない。あの時食べたのは台湾産バナナだった。確かに多くの人に聞くと昔の台湾産のバナナが今のバナナ(ヒリピン産でキャベンディッシュというおおぶりの品種)より数等おいしかったと聞くが、今、台湾産がほとんど手にないらないこともあって比較ができない。しかし生まれて初めて味わたバナナの味は台湾産だからという以上のものがあったと思う。

 最近は、バナナは整腸にいいというし、また血圧を下げる働きがあるとのことで先の100円のスーパーのバナナをよく買って食べている。しかしよく食べるからか、大味でおおぶりのキャベンディッシュという品種のせいかそうおいしくない。でもバナナの皮をむいて、三つくらいに切り、ビニルラップで包んで冷凍庫でカチカチに凍らせれば俄然おいしくなるのを発見して、最近は生食が半分、凍らせて冷凍バナナにして半分は食べている。

 そして数週間前、あるきっかけからジャマイカの民族音楽に基づく60年びゃぁも前のアメリカのポップミュージユック「バナナボート」が気に入って、原語の歌詞をそのまま覚えて歌う練習を始めたため、また「バナナ」を、今度は客観的に見ようという興味がわいてきた。

 まずバナナの木を知らにゃぁあかん、そういえば、先にいった子供時代、バナナの味に魅せられて、何とかバナナのなる木、がこの辺に生えとりゃせんか、とまるでその辺になっている柿だのユスラウメ、や石榴、サクランボウ、なんどと同じように、その成る木を見つけて、もいで食べりゃぁいいがなぁ、と思っていた。今から考えると熱帯のフルーツがこの辺で実るはずはないのだが。しかし、その子供のころ誰かから、そういや、あそこ(どこかの保育園の園内か寺の境内のどちらかと思う)にバナナの木があるでよ、と教えられた。早速、見に行った、というより下心は実がありゃぁ、もいで食べてやろうとしていたと思う。

 それが芭蕉の木であった。如何にも熱帯に生えるように葉っぱが異常に大きく広く、まるでジャングルの中に生えていそうな木の印象だった。その木の周りをまわり、あるい分かれた株から出ている幾本かの茎の中まで入り、伸び上がってみてみたが、実どころか花も発見できなかった。未練たらたらで大きな葉っぱに手をかけ割くと細長く切れた、その葉片をもち匂いを嗅いだが青臭い匂いのみでバナナの香りなんどは全くしなかった。

 今になって図鑑で調べると、この日本にも育つ「芭蕉」は、確かに遺伝的には果物を産するバナナとごく近縁でほぼ同種と言っていい、その学術名も「ジャパニーズバナナ」というそうだ。実もなるが、しかし甘くておいしい果物の品種の実とは違い、種もあるし、小さく、たべても甘くないしおいしくない。

 熱帯まで旅行に行ってバナナの木を見れない以上、ごく近縁種で遺伝的にはほぼバナナと言っていい「芭蕉」の木を探して切幡観音参拝をきっかけに見学してきた。

 まず切幡観音に行く前に法輪寺で思いもかけずバナナの木を見た。鐘撞き堂の横のあった。何やら椰子の実のようなモノが長細い一本の枝の先にぶら下がっている。これは花?実?近づいてよく見る。



あとで図鑑で調べるとこれは「雄花序」といって雄花の塊で、はなびらのような「花苞」に何枚も包まれているのでこのように丸くなる、外側から一枚ずつめくれて開き落ちていく、下は開いた花苞から隠れていた花がたくさん見えている(たくさんの小さなイカのようなのがそう)。

 バナナ(芭蕉)の木といったが、これは草の仲間で、幹のようなものは葉がたくさん巻いたものである。

 法輪寺の芭蕉は果実がはっきりしないが切幡寺の芭蕉は実がなっているのがわかる。切幡寺の芭蕉、三つの花苞がぶら下がっているが真ん中の花苞の茎の上の方を見ると青い指のようなモノがたくさん見えるこれが果実である。

拡大すると
さらに拡大すると

モンキーバナナのような形になっているではないか。なるほど芭蕉はバナナの仲間だと言うことがよくわかる。ただ食用には向かない、堅いタネがあり、甘くもないし食材には向かないようだ。

2022年9月24日土曜日

切幡観音参拝記

  このところ老耄が激しく、動きは鈍ぅなるやら、アッチャコッチャの筋肉関節は痛いわ、日によってなんとなくセコイ日もあるやら、おまけにボロボロの歯まで痛いわで、どんならん。精神の方も惚けが進んだのか、人の名前ばかりかモノの名前まで忘れて出てこない始末。特にこの一週間、ボンヤリが過ぎる。そして彼岸の入りには6年ぶりに末妹と会っての先祖の墓参りで、なにやらもう死の前兆かもしれんと思うほど心身ともに弱っていた。

 彼岸の中日は昔しゃぁよく切幡に(切幡観音)に言ったものだ。60才過ぎて車を手放してからは自転車で行くしか手はなくなった。しかしコロナの前までは茶飲み友達が車で一緒に彼岸に参拝に連れて行ってくれたが、ここ2、3年は行っていない。昨日の彼岸の中日は朝から小雨、押しつけるような低い雲が垂れ込め、とても自転車なんぞではいけないし、体調も悪く、今年の秋の彼岸の切幡観音参拝は諦めていた。このまま死ぬまで行けないのかなぁ~

 しかし、今朝、空を見上げて青空に鰯雲が浮かんでいるのを見たら、頑張って切幡まで自転車で行こうという気になった。心身は若干重いが昨日までよりはましである。無理をせず、ゆっくり秋の風情を楽しみながら、自転車を漕いでのサイクリングをすると、むしろ心身も快調になるかもしれんと期待を抱きつつ、出発した。

午前9時過ぎ、鰯雲を見ながら鴨島駅前を自転車で出発する。


御所奥~讃岐へ抜ける国道を走る、すぐ吉野川に土手の上りになり、昭和28年架設の吉野川中央橋を渡る。


国道からそれて土手道を少し走り農道を北へ向かう。樹齢500年以上という楠のある「案内神社」の横を通る


さらに北上すると九番札所法輪寺に行き当たる


法輪寺でしばらく休憩する


境内のお休みどころの横に鐘撞き堂がある、そのネキをみると

「おお!こりは!芭蕉(バナナの木)ではないか?」


近寄ってよく見ると間違いない、芭蕉(バナナの木)だ。


実は切幡観音にお参りするのは信心や先祖回向もあるが、切幡寺にはバナナの木がある。最近、ディユ~~~オ、の叫びの歌「バナナボート」を原語で覚えて歌う練習をしているので、頓にバナナという植物(栽培種も含め)に興味がわいてきていた。幸い四国地方は暖かいのでバナナの(栽培種ではないが)遺伝的にほぼ近縁の「芭蕉」が植えられているので、それをじっくり見たいと思っていた。しかし手ンごろ易くどこにもある植物ではない。昔から切幡寺にはあることは知っていたのでそれを今回の参拝のついでに見ようと思っていた。しかし、ここにあろうとわ!このバナナの木(芭蕉)はお寺はんに何か縁、あるいはいわれがあるのかな。
 ともかくこの寺にもあったとは!よく観察して何枚も写真に撮る(これについては改めてブログを立てようと思っています)
 
 法輪寺を出て農道を行くとアッチャコッチャにヒガンバナが咲いている。例の♪~赤い花なら~♪、の「長崎物語」を歌いつつ、自転車を漕ぐ、ずっと登りになっている道のしんどさもこの間は吹き飛んだ。

切幡寺への道の途中、中世の城跡「秋月城址」がある、山の起伏を利用した砦のような中世の城跡だが、往時をを偲ばせるものはなく城址跡を示す石碑のみが建っている。


城址あとからはもうすぐで切幡寺の参道入り口である。九番はんからこの切幡寺までは信仰の道ゆえか、江戸期以来の石仏などが多い、この参道入り口にも庚申塔・青面金剛はんがいらっしゃる。寛政年間であるから230年びゃぁも前である。
 
そこで自転車を置いて、歩く、山門まで上り坂


山門からすこし行くと333段の石段がある。頑張って上るが、おジイにはキツイ、途中なんども小休止する。やっと切幡寺本堂に着く


下るのは石段でなく坂道の方にする。すこし下ったところに見たかったバナナの木(芭蕉)がある。


このバナナの木(芭蕉)については先にも述べたように次回のブログでまた詳しく取り上げます。
 寺参拝のあと自転車に乗って帰路につくが、今回札所二ヶ寺を回ったが、験のいいところで三ヶ所参りにしようと帰り11番はんの藤井寺も参拝することにする。
 寺入り口は扇状地の扇部分になっているためか結構高度があるようで、なんと!切幡寺参拝口からほとんど自転車を漕がず、吉野川土手まで自然に下り走った。

善入寺島、吉野川最大の川中島を通る、ここから見る別名麻植富士・高越山は秀逸な姿を見せる、下はマンジュシャゲと高越山

対岸の川島町から善入寺島を眺める、この橋は潜水橋で他郷の人は珍しいらしい。この橋は狭く対向できないので渡りきるまで車は待つ

そしてそこから藤井寺へ、道はだいたい平坦で楽である。体も思ったほど疲れていない。そして藤井寺参拝


出発点に帰り着いたのは午後2時過ぎ、約五時間のサイクリングであった。

2022年9月22日木曜日

曼珠沙華陀羅華

 地球温暖化で季節感覚が狂い、それに応じて植物も狂い咲きがみられたり、咲く時期がずれたりしている。しかしそれにもかかわらず、このヒガンバナはたいしたもんだ!彼岸を迎える頃、例年どおりにその花が咲き、アチラコチラで目を楽しませてくれるようになっている。葉っぱも何もないところに急に棒のような茎が伸びその先にド派手で大輪の真っ赤な花をつける。その花は畦や原野に突然のように出現するため、特に我々の目を引き、秋の彼岸の風物の最大の特徴となっている。また彼岸の墓参りに古い墓地などにおまいりするとまるで葬殮(そうれん・葬儀)を飾る花のように墓地の草地にたくさん咲いている。子ンまいとき祖母から「あれは葬殮花やから、綺麗ぇても摘んだり、ましてや花瓶に飾ったりしたらあけへんのでよ」と言われたことを思い出す。あんなに美しいのになんで縁起悪いのかなぁ、と不思議におもった。

 その不思議はいまでも持ち続けている。歳ぃいっていろいろなこの花の情報を知ると縁起が悪いといわれているのはたいした理由ではないことがわかった。理由は二つ、墓地や寂しい原野に咲くことが一つ、そしてもう一つは有毒植物であることである。どちらも花の美しさを毀損するものではない。

 この花は凶兆として見てはいけないと思う、マンジュシャゲを漢字で「曼珠沙華」と表記すれば、天上からの瑞兆(めでたく尊い兆し)として降る伝説上(仏典)の花と同じ名前で、けっして厭われるものではない。またこれは私一人の感想かもしれないが「マンジュシャゲ」は、文殊菩薩のご本名(〈マンジュシュリー〉mañjuśrī)に似ている。文殊菩薩さまは知恵の仏様で、そのご本名に近い呼び名のマンジュシャゲはむしろ花の名前として好ましく響くだろうとおもう。ちなみに私のご本尊はマンジュシュリー・文殊菩薩さまである。

 私はこのマンジュシャゲの花が大好きである。彼岸の前後わずかな期間だけ華やかに咲いたあと、それ以外の期間(ほぼ一年間)は全く目立たないこのマンジュシャゲだけに、この花が咲くと特に心を寄せて愛でたり、マンジュシャゲの歌を歌ったりそれにあわせて踊ったりと、少々狂う(季節の変わり目もあって脳に作用するのかもしれない)。

 11年前の私のブログからであるが、曼珠沙華が好き過ぎて、下のようにマンジュシャゲ風呂をつくって入って楽しんだこともあった。


 以下、今年のマンジュシャゲをご覧ください。

マンジュシャゲの花園(国府中学裏)


鮎喰川とマンジュシャゲ


マンジュシャゲと蝶(♪~はぁなが女か、男がちょぉぉかぁ~♪)


麻名用水とマンジュシャゲ


神社とマンジュシャゲ


お地蔵さまとマンジュシャゲ


汽車の窓からのマンジュシャゲ


廃線跡のマンジュシャゲ(鴨島駅引き込み線)


変わった色のマンジュシャゲ(リコリスといい栽培種、徳大薬草園前)

 なお今日のブログの題「曼珠沙華陀羅華」は(マンジュシャゲだらけ)と読みます。

2022年9月21日水曜日

秋の墓参り

 ウチの先祖の墓は集団墓地にある。秋分の日前後は当然墓参りに訪れる人が多い。墓地備え付けの水桶、柄杓、箒、など使用しようとすると混雑するので、だいたい少し前に(彼岸の入り前に)墓の掃除を済ませ、花(ウチらの地方では色花は供えず樒を供する)を新しくする(花も直前に購入すると売り切れだったり、いい花は買われて貧けた花しかなかったりするので)。香華を手向けると言うが「華」の方はそのように早々とすませ、「香」(線香)の方だけ彼岸に入って手向け、お墓参りをする。

 だいたい彼岸の中日の一週間前くらいに掃除して樒の花を変えるが、台風の影響でできずに昨日の朝それを行った。そしてそのあと秋分の日までに正式にお参りしようかと思っていた。すると妹から昨夕急に連絡があり、今日こちらへ来て墓参りをしたいとのことで今日の昼すぎ妹と一緒に墓参りをすませた。

 天気予報をみると明日、そして次の日の秋分の日も天気はあまり良くなさそうである。比較的天気も良く、秋冷の今日、妹もそろってお参り出来たのはよかった。

2022年9月20日火曜日

濁流漲る鮎喰川

  水位は昨日より下がったようだがほぼ川幅全面、濁流が流れている。


 ところどころ急流になっている。

ほとんど被害はなかった

  台風のウチらへの最接近が昨日の夕方から夜にかけてだからかなり心配した。というのも一昨日から風雨がかなり強く、また昨日の朝も大雨そして暴風と言ってもいい風が吹いていたため、これ以上風雨が強くなればウチの家にもかなりダメージがあるんじゃないかと思っていた。しかし予想に反して昨日の昼前から風雨はウンと弱まった。やがてまた強くなるかとおもったが夜にかけてどんどん風雨はおさまってきた。結局、洗濯干し場のトタン屋根のすでにかなり壊れている部分が若干飛んだくらいですんだ。

 今回の台風は前のブログでも少し言及したように日本の東海へ抜けていった。こんな時は大陸の秋の空気をもたらし爽やかな秋の天気になるはずだが・・・今、午前9時前、風はほとんどなく曇っている。朝の空気は冷涼であるが日中はどうなるだろうか。「暑さ寒さも彼岸まで」という。明日は彼岸の入りである。そろそろ気持ちの良い秋の天気になってほしい。


  

2022年9月18日日曜日

やってきたよ台風14号、どないなるやら心配

  国営放送のテレビニュースの台風情報を見ていると、アナウンサーのまぁ脅すこと、脅すこと「今までに体験したことのない猛烈な台風です」だの「甚大な被害が予想されます、なにを置いても身の安全を確保してください」などなど、具体的には、電信柱が倒れる、あるいは大型トレーラーが風で横転する、なんどといっている。こんなのが直撃される地方の人は恐怖を感じるだろう。まぁそれがあらかじめの対策をとることを促し、あるいは避難をして少しでも人的物的被害が食い止められれば、脅しまくられることも是としなければならないのだろう。

 それにしてもちょっと脅しすぎじゃないかとも思ったりする。「今までに体験したことのない猛烈な台風」ったって、そりゃぁ若い衆はそうだろうが、ワイらジジババはこの徳島県で「第二室戸台風」を経験している。これはいまだに記録の破られないっちゅうくらいの強烈な強さの台風じゃった。なんせ上陸したときの気圧が925ヘグドバスカル、今話題になっている14号は鹿児島の南沖で930ヘグドバスカルで、夕方ごろに薩摩半島に上陸したときは当然これより気圧は高くなるので、第二室戸台風の方が俄然強い。

 これが徳島の東海岸をなぞるように通ったため徳島県は暴風、洪水、土砂崩れ、高潮の大変な被害が出た。昭和36年9月のことである。下は旧徳島新聞社 旧徳島ホール映画館前の立体交差が洪水高潮のため水没し波が洗うところである。

 この時ワイは小学校5年生、ウチの家は少し内陸に入ったところにあったので高潮の被害はなかったが、家の前にあった青果市場の屋根が風ですっかり吹き飛ばされるのを目撃している。

 さて、今回の14号、よそは知らん、大切なのはワイの家じゃから、恐怖を覚えるほどの台風がウチらにどれくらい接近するのかが気になる。進路予想図をみると

 

 残念ながら暴風圏内に入っている。先ほど空を見上げると低く乱れた雲が西の方へ向かって流れていた、現在は(午後四時前)やや風と時々驟雨があるが大したことはない。

2022年9月15日木曜日

いつまで続く残暑

 いつまで続く暑さなのか、地球温暖化の所為じゃと言われていて、九月中旬になってもこの暑さ。昔しゃぁ、ずっと涼ぅしかって、すごしやすかった(結句、昔はよかったなぁ)、なんどといつものように年寄りの繰り言も出てこようが、まぁ昔と違って今はビンボ人も含めて家にはクーラーがあるから、暑さに関しては一概に昔しゃぁよかったとも言えまい。

 しかし、「お天道(おてんとう)はん、もう、ええかげん、おこらえなして」と言いたくなるのは、朝晩の気温の高さである。ヨンベも「臥し待ち月」をみながら夜の散歩と外を歩いたが、まぁ蒸し暑いこと!少し歩くと(Tシャツと短パンだが)、シャツが汗でビショコになった。もう九月中旬でっせ、曼珠沙華が咲こうというこの時期、なんぼう日中は暑ぅても、夜も10時近うなりゃ夜気が気持ちよいものだが、なんとも異様な朝晩の気温の高さである。

 この朝晩も含めた気温の高さはウチらだけだなく西日本全般に広がっているようだ。気象ニュースなどを見ていると、台風などの影響でフェーン現象が起こっているとか言っていた。ワイは気象予報士じゃないので専門的なことはわからんが、素人のワイでもわかるこの初秋の蒸し暑さは予想がつく、というのは今まで日本に接近した台風は列島から西に逸れ、朝鮮半島へ向かい、それから日本海へ進むというパターンが多い。日本の西や日本海に低気圧があると、太平洋の暑い湿った気団がその低気圧に向かって吹くから、蒸し暑くなるのはあたりまえと思っている。70年以上生きてきた経験からわかるが、台風が日本列島より東の方へ抜けると、今度は大陸の冷やされ乾燥した気団がそれに向かって吹くから、列島は秋冷となる。いわゆる「台風一過の秋晴れである」(ただし言ったように東海へ抜ければである

 明日一日はまだ暑そうだが、週末から三連休にかけて台風が近づいている。三連休は雨で荒れるかもしれない。しかし今度の台風の通り過ぎた後は、大陸の爽やかな秋の気団の到来が期待できそうである。10日間の長期予報を見ると

 台風一過の20日(火)は天気回復し、最高気温25℃、最低22℃、翌朝は19℃、とようやくと秋の訪れを実感できそうだ。

2022年9月12日月曜日

いざよい

  旧暦の8月15日の十五夜は天気が悪く見られなかったので、翌日の「いざよい」(十六夜)月に期待していた。

 昨夜がその十六夜、月の出は十五夜より少し遅れる。午後7時過ぎ東の空低く見られるかと探したが、それらしい位置の雲が光っているばかりで月は見えない。


 午後8時過ぎ、ようやと、雲の切れ間から、十六夜月が顔を出した。


おお、左っかわに光っている星は「木星」ではないか。お月はんと木星と一度に撮影できたわぁ~(満足)


 十六夜とかいて「いざよい」と読む。古語の「いざよふ」(動詞)から来ている。意味は

1 進もうとしてもなかなか進めない。 躊躇 ちゅうちょ する。 ためらう。 2 進まないでとまりがちになる。

 月は一日ごとに月の出が50分びゃぁずつ遅くなっていく。十六夜(いざよい)は前日の満月の出の時刻、東の空に出ているはずの月だがまだ出ていない。「なんか、出を渋っているのか、ためらっているのか」ということで「いざよい」の月と名付けたようだ。

 ちなみに今日は旧暦の17日、もっと遅くなるので、立ちん坊しながら月を待つので『立待ちの月』

 明日の旧暦18日はもっとおそくなるので、「もう立って待っとれんわい、縁側で居て待ってこまそ」つうことで『居待ちの月』

 明後日の旧暦19日は、月の出はもっと夜が更けるので、もう「横になって寝て見てこまそ」ちゅことで『臥し待ちの月』となる。

 中秋の名月は十五夜ばかりでなく、あとあとまでその名の示すように見て楽しめるよ